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『地域と人口減少の経済学』読書メモ

先月刊行されたばかりの『地域と人口減少の経済学 スマート・シュリンクという選択肢』(中公新書、900円+税、2026年)の著者・小峰隆夫氏は、2001年に国土交通省の国土計画局局長(現在は国土政策局)を務めた元官僚の人物。国土行政、地域政策に携わった経験をもつ方が、今までのような国が魅力的なスローガンを打ち出せないばかりか、スローガンを見いだせる時代ではなくなったと認めていることがまず新鮮でした。
ところが、未だに国土強靭化の夢物語が語られていたり、かなり特異な地域の劇場型成功事例をもてはやそうとしたりしています。人口データには出生と死亡による自然増減と国内外の移住による社会増減があります。それらのデータは冷徹な将来予測を示します。人口という視点では、個人が見えませんが、進学・就職・結婚・出産など、いずれも個人の選択を伴いますので、人の増減や移動は自発的・自然なものであり、特定の場所に人口が集積してその場所にしか集積の利益が生まれないのは当然です。よって、それぞれの自治体の首長や議員、職員には、それらの現実を見極めてなおかつ将来世代のためを考えて政策を立案実行しなければならない能力・器量が求められます。
そこで、著者はスマート・シュリンク(賢く縮む戦略)を提唱しています。これまでの地域政策といえば、いきおい出生率の上昇を目指したり、定住人口を増やしたりすることに重点が置かれ、ばら撒き型の短期的には受けの良い政策が行われがちです。しかし、人口減少は必然ですので、将来維持管理のツケが大きくなる社会資本を増やし続けるのがはたして賢明であるかは議論があるかと思います。
自治体による面白いメッセージの伝え方の例として損失回避バイアスを利用した八王子市の大腸がん受診率向上策を示しておきます。それによると、「今年度がん検診を受診された方には、来年度検査キットをご自宅にお送りします」では受診率22.7%だったのに対し、「今年度受診されないと、来年度、ご自宅に検査キットをお送りしません」としたメッセージの受診率は29.9%だったといいます。つまり、利得を強調するよりも損失を強調した方が、効果が大きくなるというものです。モノは言いようとも取れますが、国任せでなく、住民も頭使って暮らす自治体を選べよというのが、本書から学べたことかなと思いました。

『日露戦争』に登場する熊本ゆかりの人びと

本書では、日露戦争時の著名人たちがどのような言動をとったのかを振り返っています。熊本にゆかりのある人物のそれを紹介してみます。

夏目漱石…「開戦当初は他の文学者同様、講談調で月並みな新体詩「従軍行」を発表した。しかし、当初の興奮が冷めると戦争を賛美して軍人や国民を鼓舞する軽率さに気づき、たとえ世間の関心や社会問題と遊離しようとも、自分自身にとって切実な問題だけを書こうと決心した。それが『吾輩は猫である』である。(中略)漱石は、国民的な流行語になった「大和魂」を徹底的に茶化しているのである。」(p.132)

矢島楫子…「キリスト教界の大多数は戦争に協力する態度を示した。(中略)全国各地の教会では戦勝祈禱会が開かれ、祈りや献金が捧げられる。日本基督教婦人矯風会の会頭矢島楫子も戦争支援体制を取り、同会は慰問袋の送付や出征兵士宅の訪問や生活援助、出征・帰還兵の送迎など、幅広い活動を展開した。」(p.112)

徳富蘇峰…「新聞社の中でも桂内閣寄りの『国民新聞』のオーナー徳富蘇峰は醒めていた。「国民の熱心」は、実は日清戦争当時の半分もないと断言する。しかし、その冷めた意識は国民が大いに責任を感じるがゆえであって、その方がよい。逆に、現在「突飛の議論」を行う者こそ、「畢竟二、三の飛び上り者流」にほかならないという。すなわち、蘇峰は浮ついた国民意識を警戒していたのである。奉天会戦後の1905年6月時点でも蘇峰は、日本は表面上強がっているが、実際は今回の戦争で「総ての力は殆んと出し尽し」たという。戦費は外債でまかなうことはできても、取り替えのきかない兵力量の問題はどうしようもない。よって、蘇峰は「完全の戦争」よりも「不完全な平和」を喜ぶと断言した。」(p.121-122)

鳥居素川…「従軍記者たちは、ジャーナリストとしてニュースを追うことより、戦争を素材に名文・美文を書くことを競いあった。朝日新聞の鳥居素川・半井桃水、毎日新聞の大庭柯公などが渡航、田山花袋が博文館から、志賀重昂が毎日新聞から派遣され、名文を競った。また、さまざまに文体を工夫した観戦記の通俗読み物が数多く登場、読者を魅了した。こうした従軍記者の書く記事は、日露戦争の戦場を悲壮美の世界として描くものであり、実際の戦場とはかけ離れたものであった。」(p.124)

『日露戦争』読書メモ

千葉功著『日露戦争』(吉川弘文館、3000円+税、2026年)を手に取ったきっかけは、4月4日の朝日新聞読書面に載っていた吉田裕氏による書評でした。同書評の言葉を借りれば、日露戦争の全体像を解明した意欲作で、政治史・外交史の分野での通説批判が鮮やかとありました。本書の目配りは多岐にわたり、アイヌや沖縄出身を含む兵士の立ち位置から浮き彫りにした戦場の記憶、教育や文化を通じた戦争観の変遷などに触れてあります。それこそ大半の国民が「坂の上の雲」のイメージに留まっている歴史観を洗い流す、研究者の視点の広がりを存分に感じる著書でした。本書は吉川弘文館の「日本歴史叢書(新装版)」シリーズの一角ですが、巻末に当時の日本歴史学会の代表者・児玉幸多氏による同シリーズ刊行時の辞が載っています。著者の千葉氏は学習院大学教授なのですが、児玉氏はかつて学習院大学の学長を務めておられたのを思い出しました。
それはさておき、「日露戦争は日清戦争と違って、日本が西洋の帝国主義列強と本格的に戦った最初の事例」(p.4)です。だからこそ、「日本が戦争を遂行するにあたり、どのような軍事・政治・経済的施策が取られたのか」「どのような戦時国民動員が行われて、それが社会にどのような影響を与えたのか」「日本の帝国化ないし一種の大規模な異文化接触がどのような現象として表れたのか」(p.5)を知る意味は大きいと思います。
戦争のリアルさという点では、かなり無謀な戦争であったということが改めて理解できた思いがしました。とりわけ陸軍の戦死者・戦傷病者といった損耗率は高いものがありましたし、戦費の調達のため国内経済にも多大な負担を与えました。一方で、メディアの戦意高揚ぶりや兵士の日記・手紙に見られる戦地での朝鮮人や中国人に対する蔑視記述など、現代にも共通して懸念される武力重視の対外強硬思想や外国人差別感情といった醜悪な国民統合の土壌を見る思いがしました。
81年前の敗戦だけでなく120年前の戦争の実相からも学ぶべき点が多々あるのを感じます。

菊池事件の真実を求めて

5月24日、菊池恵楓園ボランティアガイド・ハンセン病問題を考える会の主催により岱明防災コミュニティセンターで開かれた、自主映画上映と講演「新・あつい壁」inたまなへ参加しました。この催しは、①ハンセン病問題を正しく理解し、偏見や差別を解消する機会とする、②菊池事件・F事件を、正しく理解する機会とする、の趣旨で行われたものです。プログラムは3部構成となっており、①ハンセン病を理由に憲法違反の「特別法廷」で裁かれ死刑執行(1962年)された冤罪事件である菊池事件をモデルにした中山節夫監督の映画「新・あつい壁」上映、②菊池事件国民的再審請求人団・菜の花法律事務所の国宗直子弁護士による講演「菊池事件の真実を求めて」、③菊池恵楓園ボランティアガイド11期生の方による活動紹介「こだわりたいこと ―ガイド活動を通じて学んだこと―」でした。
菊池事件については、①憲法違反の裁判(2020年2月26日菊池事件国賠訴訟判決)と②本件犯行とFさんとをつなぐ客観的(物的)証拠ない+新証拠2件を争点に熊本地裁へ再審請求されましたが、2026年1月28日に①憲法違反の可能性ありとしながら、②新証拠に明白性ないとして棄却決定が出ました。現在、福岡高裁での審理(次回は7月17日、13時半門前集会あり)に移っています。弁護士の講演では、この再審請求の支援のため、署名活動や上映運動(上映費用5.5万円)、学習会を行っているので、協力可能であれば菊池事件国民的再審請求人団事務局(熊本中央法律事務所)へ連絡してほしいとのことでした。
https://www.facebook.com/kikutijiken
講演を聴いて証拠捏造の不公正な捜査と杜撰な裁判だったことを改めて感じました。司法の過ちを司法が自ら正せるかどうかは、主権者である国民からの信頼が得られるかどうかにもかかわることです。
※事件の概要と2026年1月28日熊本地裁再審請求棄却決定など司法判断の問題について簡潔に知りたい場合は、岩波書店発行の『世界』(2026年4月号)に掲載された西日本新聞記者の久知邦氏による「菊池事件「憲法違反」としながら再審を認めず――ハンセン病差別と司法」も参考になります。
菊池恵楓園ボランティアガイドの談話では、2022年にリニューアルした国立の菊池恵楓園歴史資料館で隔離政策を推進した園長の証言の展示がなくなったことや、自治会およびガイドは黒髪小学校通学拒否事件と称している事件名表記が同館では竜田寮事件の名称で展示されている問題について触れられました。ここにも過ちをいまだ矮小化しようとする国の姿勢が見てとれます。

『日本社会と外国人』読書メモ

5月19日の朝日新聞オピニオン面に「最高裁判断を国際水準に」と題する対談記事が載っていて、その中で最高裁の調査官や事務総長などを経て最高裁判事を務めた経験のある泉徳治さんが、「裁判官は(国際)人権条約についてきちんとした教育を受けておらず、民事や刑事事件で目にすることはほとんどありません。条約は「国と国の約束」で、法的効果を国民一人ひとりに与えるものではないという誤った観念が強いのだと思います。」と率直に語っていました。裁判官ですら、そうですから、出入国管理政策を担う行政庁の水準も推して知るべきで、外国人をその労働力で役に立つ存在かどうかでしか判断せず、人権の観点からその扱いぶりはどうなのか疑問です。
その思いを、朴沙羅著の『日本社会と外国人 入管政策が照らす80年』(中公新書、1200円+税、2026年)でさらに強く感じました。一例を挙げると、第二次世界大戦以前から日本に居住し、サンフランシスコ平和条約の発効によって日本国籍を離脱した旧植民地出身者およびその子孫が保持する特別永住者という在留資格がありますが、これについて「欧州各国では、居住国生まれの三世以降が外国籍のまま参政権を所持しないことを人権侵害だとみなし、重国籍や地方参政権付与などによって問題を解消する傾向にある。それに比して、かりに、日本では民族浄化を目的とした極右排外主義団体のデマや誣告に乗せられる形で、滞在資格を「特権」として議論しようとしているとすれば、民主主義を標榜する法治国家としてあまりにも情けないことではないだろうか」(p.180 出典は金明秀の2014年の論考)という指摘もあります。日本は1995年に人種差別撤廃条約へ加入しましたが、国内に人種差別を禁じる法律はいまだありません。今年で成立して10周年(2016年5月24日)になるヘイトスピーチ解消法も、「人種差別そのものを罰したり禁じたりしたものではなく、差別的な言動を防ぐための教育や啓発に重点を置くもの」(p.184)となっています。

『〈平等〉の人類史』読書メモ

米国カリフォルニア州にあるダートマス大学の歴史学者である、1965年生まれのダリン・M・マクマホン著の『〈平等〉の人類史』(作品社、4500円+税、2026年)は、人類史というだけあって類人猿や原始時代まで遡って「平等」の概念のありようを辿った、日本語版では518ページに及ぶ大作です。原書では「Equality」とあり、訳者あとがきでは、日本語本来の意味では「同等」が近いとありました。それはともかく、通常「平等」といえば、日本国憲法第14条の「法の下の平等」を思い浮かべると思います。同条第1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とあり、政治的、経済的又は社会的平等を保障しています。ここでは、すべての個人の機会の平等であって、結果の平等を指しているものではないとされます。しかし、現実の社会では、日本国内に限らず、ことに経済的な格差=不平等とそれに起因する序列化が問題になっていて、これはどうにかしないといけないという意識は高まってきているのではと思います。
著者によれば、霊長類の近縁種の研究から言っても、支配の序列の底辺にいる個体には、ストレス、炎症、免疫反応の衰弱など、健康に悪影響を与えるさまざまな変化が引き起こされることが明らかになっています。そのため、序列に抵抗することは、ヒトとしての本質の一部なのですが、序列を築くことにもヒトはどんな動物よりも長けています。いわば、ヒトの歴史は、築かれる支配とその序列への抵抗の繰り返しと見ることができます。その過程で国家や資本が生まれたり、さまざまな宗教や思想が形成されたりしたように思えます。ただし、平等の観念は非常に複雑で、平等を掲げながら新たな序列が作り上げられた歴史もあって、そう単純に時代は進んでこなかったことも理解できます。
本書を読む前に、柄谷行人著の『定本 力と交換様式』に接し、そこでは「交換様式」を手掛かりにさまざまな思想家が登場しました。それで、「平等」を手掛かりにした本書に登場する思想家との重なりが多い印象も受けました。その時代にあって「何をなすべきか?」と考える人こそ、ホモ・サピエンスそのものですから、注目すべき思想家が重なるのは当然と言えば当然かとも思いました。
加えて本書の読書期間中に、立教大学特任教授と一般社団法人UNLEARN理事である、西井開氏による法人向け脱ハラスメントプログラムの一つバイスタンダー研修を受講する機会に恵まれました。この研修では、最初にハラスメントが起こる背景には加害者と被害者間に優劣の力関係があることが示されました。力を持たない人が持つ人に対しては、忖度や我慢があります。一方、力を持つ人が持たない人に対しては、抑圧的な態度をついとる、相手から指摘されにくくなる、気づきにくくなる、好意を持ってくれていると勘違いしてしまう、となります。被害者は孤立状態になることからも、この場合、正確な知識を持った第三者による介入が大きな役割を果たします。ここでは紹介しませんが、介入の選択肢は豊富にあり、最終的には再発防止と加害者による謝罪を求めます。ハラスメントのことを考えたら、平等や力と交換様式の概念にも通じる話だなあという気がしてきましたし、実績ある学者が公表するまでに至ったモノの考え方にはその学者仲間による査読を経ているので、信頼度が高いと思います。何よりもハラスメントに抵抗することは、ヒトとしての本質の一部という見方ができると思いました。
以下は本書からの、ちょっとした豆知識メモです。他にもいろいろありましたので、ほんの一部です。
・1864年にヘンリー・ウィートンの『国際法原理』が中国語に訳されるまで、中国語に平等に相当する語がなく、代わりに「平行」という語が用いられた。仏教用語としての「平等」は遣唐使(804-805年)の最澄が日本に伝えた(1052年、宇治の平等院建立)。
・古代ギリシャ・ローマ時代の平等は市民の間だけに通用するもので奴隷(戦争奴隷)は除外された。
・宗教における神の前の平等も、異教徒や不信心者は同等に扱われなかった。
・イタリアのファシストが名称やシンボルに使ったのは古代ローマ時代の権威の道具「ファスケス」に由来する。斧の柄を囲むようにニレまたはカバノキの棒で束ねた形状をしている。法に違反した者を打ちのめしたり、断頭したりするために使われた。結束され分割されない絆のシンボルとしてファシスト以前は使われた。米国ワシントンDCのリンカーン記念堂のリンカーン像はファスケスの上に手を置いて腰かけた姿となっている。米国下院議長席の後ろの壁も飾っている。
・1919年、国際連盟規約の前文に日本が提出した人種的平等条項を入れる動議を握りつぶしたのは、英国や米国などだった。1944年、国連憲章を起草するダンバートン・オークス会議で「完全な人種的平等」と「すべての国家とすべての民族の平等」を力説したのは、当時、中国の駐英大使に率いられた中国代表団だった。

環境省の悪だくみが露見

4月16日に環境省職員による「水俣病は他の公害病と比べて恵まれている」発言は「あった」というのが、やはり事実だと落ち着きそうです。
この発言をめぐる水俣病患者連合発の文書は、以下の3点となっています。
(1)5月1日付け要望書…発言が「あった」。
(2)5月3日付け声明文…環境省を通じて発出。会長補佐が「発言があったとは認識していない」と否定。
(5月12日の環境相記者会見でも「事務方に確認し、不適切な発言はなかった」と石原氏が述べる。)
(3)5月13日付け声明文…発言が「あった」。3日の声明は会長の確認を得ておらず「無効」。会長補佐も謝罪。
上記(2)の文書発出の背景に環境省による被害者分断工作があったと考えるのが自然ではないでしょうか。
環境省の職員は、一時は患者連合の一部役員を手なずけてシメシメと悪だくみが成功したかに見えましたが、結果的に自分たちの親分(大臣)にもウソを言わせてしまったことが明るみに出ました。
(1)~(3)の文書は、行政が国民との向き合い方で陥りがちなミスを省みる資料として、ぜひ展示されるべきです。
https://kumanichi.com/articles/1990727

肥後の猛婦

NHKの朝ドラ「風、薫る」に出てくる、伊勢志摩さんが演じる梅岡女学校校長兼看護婦養成所長についてですが、史実では熊本県出身であり、女子学院初代院長や日本キリスト教婦人矯風会初代会頭となった矢嶋楫子(やじま かじこ)です。大宅壮一がかつて「肥後の猛婦」あるいは「四賢婦人」と称した矢嶋姉妹の一人です。矢嶋家は、幕末の思想家・横井小楠との関係が深く、楫子の姉の子に徳富蘇峰、蘆花がいます。出身地の熊本県益城町には四賢婦人記念館もあります。
「風、薫る」の主役2人のモチーフとなった大関和と鈴木雅の実際の経歴は、共に子を2人ずつ抱えるシングルマザーという境遇にあって、英語力を使って看護学を学んだそうですが、矢嶋楫子はDV夫と断髪して離婚し、末娘とともに長崎から船で上京、船上で自ら改名、後に教育者へ転じたという経歴を持っています。彼女を主役に据えた朝ドラを創ってもいいぐらい波乱万丈の人生を送っています。
今週から登場シーンは見られませんが、地元熊本のNHKや新聞もあんまり話題にした様子はなく惜しいなあと思います。
https://kumamoto-museum.net/shikenfujin/
https://www.joshigakuin.ed.jp/ozekichika_specialsite/
https://news.yahoo.co.jp/articles/f29cfb935eea43f10a253eb528ebf4605f02138b?source=fb&fbclid=IwY2xjawRxALpleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFCaEVraUxjVkJMZm51d29Vc3J0YwZhcHBfaWQQMjIyMDM5MTc4ODIwMDg5MgABHqWUtJIxccB4egsLDFu6vLSnDtmxv-W-EWO0gOjHmUgwSD_erlDbLFpmTeEg_aem_YQG7Ku26gnRY70-uBGJCWQ

LINEグループを作れと言われても

株式会社アテンプトの代表者である私の名前を騙る珍妙なメールが自分宛に届きましたので、記念にスクショしてみました。
文中、「会社内部専用のLINEグループを作成してください」とあり、「会社」という用語が記されています。ですが、文頭にはなぜか「公司管理を円滑にするため」と、中国で「会社」を意味する「公司」を用いています。AI翻訳に、ちょっと難があるようですね。
どっち道、会社には代表者の私一人しかいないんで、グループを作っても意味ないんだよね。

『世界』2026年6月号より

本号掲載記事から気になる情報をメモしました。

○松野誠也「日本軍毒ガス弾製造工場で何が起きていたか――新資料が示す実態」
・東京第二陸軍造兵廠曽根製造所(現在の北九州市小倉南区下吉田)では、毒ガス(広島の大久野島で製造)を充填して毒ガス弾を製造する作業(填実という)や発煙弾・焼夷弾の製造を行っていた。同製造所では計148万発の毒ガス弾を製造した。
・国立公文書館が所管する曽根製造所調製「軍需動員実施ノ概況及意見」は、1941年度の要員増強と毒ガス弾製造量の増大が確認できる唯一の資料である。
要員人数:1941年6月373名→同年9月590名→同年12月628名→1942年3月945名
毒ガス弾検査合格数:1941年4-6月103,112発→同年7-9月109,087発→同年10-12月153,517発→1942年1-3月148,447発
・曽根製造所では原始的な方法で毒ガス充填作業が行われていた。工室内の空気は蒸発したびらん剤によって汚染されていることから、排風機が設置され、風道から排風塔(陸自小倉駐屯地曽根訓練場に4本現存)から排出していた。だが、通気不完全な劣悪な労働環境であり、工員が中毒被災した事故発生の記載も上記資料にはある。さらには製造した毒ガス弾からの漏洩や噴出事故が発生していた事実も記載されている。
・慢性気管支災や肺がんなどに苦しむ元曽根製造所関係者に対する「毒ガス障害者対策」(健康診断、健康相談、医療費や各種手当の支給など)が始まったのは1993年からだった。実態把握は関係者の証言によるしかなかった。上記資料が国立公文書館へ移管されたのは2017年度であり、それまでは陸軍省・第一復員省の流れをくむ厚生労働省内で死蔵されていた。もっと早くに公開されていれば対策の実現も早まった可能性がある。
※旧軍の毒ガス弾は製造当時の国際法においても使用が禁止されていましたたが、実戦使用したことが分かっています。敗戦前後にこの国際法違反を隠ぺいするために国内外で廃棄・遺棄しました。そのため、戦後も国内外で有毒成分に暴露したことによる被災事件が発生しています。莫大な日本の税金を投じて中国国内での処理事業が続けられてきましたが、被害を受けた中国の国民へ日本政府が補償を行うことはありませんでした。曽根製造所における毒ガス弾製造については、北九州市平和のまちミュージアムの展示や江浜明徳著『九州の戦争遺跡』の記述にもなかったので、本記事に触れるまで承知していませんでした。排風塔の存在と合わせてもっと知られるべきだと思います。円筒状の排風塔はグーグルマップの航空写真で確認できます。

○吉田敏浩「ルポ戦争準備国家」
・健軍配備の長射程ミサイル「二五式地対艦誘導弾」(配備完了の3月31日に合わせ「一二式地対艦誘導弾能力向上型」から改称)と静岡県の富士配備の地対地弾道ミサイル「二五式高速滑空弾」はともに三菱重工の開発によるもの。
・戦前・戦中の軍隊直轄の国営軍需工場を工廠と称したが、三菱重工などは現代版工廠としてミサイル特需で潤う。長射程ミサイルの開発・量産などの費用は、今年度予算で約9733億円に達する。
※敵基地攻撃能力を持つことは相手にとっては脅威でしかないので、そうした兵器は保有しないというのがつい3年半前までの政府見解でした。相手にとって保有基地は最前線となるわけで、そのことからも、抑止力になるどころか、大枚をドブに捨ててまで基地周辺住民を危険に晒す愚策でしかありません。

○内田聖子「軍拡はAIからはじまる」
・「QuitGPT」(ChatGPTを解約しよう)という運動が2026年1月から始まっている。トランプ政権下のICE(移民関税執行局)による移民排除や不当逮捕にはOpenAI社が開発したChatGPT利用の監視技術が使われている。同社の社長夫妻は、トランプの支持基盤MAGAInc.へのテック業界最大2500万ドル(約40億円)の寄付者である。市民がChatGPTのサブスクに支払ったお金でOpenAIは莫大な利益を得て、それがトランプへの献金となり、同社の技術は移民の弾圧や排除に使われている。その連鎖を断ち切り、トランプとICEに対抗するために、OpenAI社が開発したChatGPTを解約しようというものだ。
・この運動は米国とイスラエルによるイラン攻撃後さらに広がった。この作戦に米国防総省がアンソロピック社のAIモデル「Claude」を使用していたので、同社が国防総省に対して自社のAIを使用することを禁じた。アンソロピック社が同省のサプライチェーンから排除された代わりに同省との契約にすかさず名乗りを上げたのがOpenAIだった。倫理よりも利益を求めるOpenAIへの批判が一気に高まった。3月初旬時点でQuitGPTに賛同し解約またはボイコットした人は400万人と推計されている。OpenAIでは社員が大量に離職し、契約を破棄する企業・団体も多数現れた。GoogleとOpenAIの従業員1046人が、アンソロピック社への連帯を示す公開書簡に署名した(4月13日現在)。
※ChatGPTに今年の東大の入試問題を解かせたら数学は満点なのに、世界史の正答率は25%と、「(AIの)知識量は豊富だが、論述を適切に構成する力がなかった」(朝日新聞東京本社版5月8日夕刊)ようです。AIには効率一辺倒の正答を求める技術はあっても歴史から何を学ぶかといった、倫理判断の力は弱いので、AIを使う人間の能力が試されると感じます。主権者による権力者に対する監視の力を日頃から養い、不当な権力の行使をさせないよう行動することが重要です。

朝鮮と水俣

安田菜津紀さんがゲストを迎えて対話するラジオ番組の5月6日配信回のテーマは「朝鮮と水俣」。ゲストは、『紙に描いた「日の丸」——足下から見る朝鮮支配』(岩波書店、2021年)の著者である、一橋大学大学院社会学研究科教授の加藤圭木さんでした。朝鮮近現代史・日朝関係史の研究者である加藤さんは、大学院生時代の2011年3月10日(東日本大震災の発生前日にあたる)、初めて水俣を訪問し、水俣病センター相思社へも行ったことがあると明かしていました。
水俣病の公式確認から70年が経ちましたが、その原因企業のチッソ(当時の社名は日窒)およそ100年前の1925年に日本の植民地支配下にあった朝鮮へ進出し、建設したダムによる発電事業や肥料製造事業展開します。その過程で朝鮮の人びとの人権を蔑ろにする様々な問題を引き起こしました。この番組中の対話によって、朝鮮におけるチッソの人権軽視の体質が、水俣病の発生と隠ぺいによる被害拡大、被害者差別につながったことが学べます。つまり、水俣病の歴史を70年と限って振り返るのではなく、昭和100年の時間軸と空間軸にまず一歩広げて考えみる大切さが感じ取れました。
番組MCの安田さんによる水俣取材文も参考になります。
https://www.youtube.com/watch?v=0bDSsnemk9k
https://www.iwanami.co.jp/book/b593242.html
https://d4p.world/33600/

水俣病70年と昭和100年

5月6日(水)午後10:05放送の「斎藤幸平が掘る!日本の現場 ~水俣病の70年~」が、「らじる☆らじる」で2026年5月13日(水)午後10:55まで聴けます。
特に地元紙の元論説委員長の高峰武さんが、なぜこの事件が終わらないままになっているのか、過去の流れを分かりやすく語っているので、良質の番組でした。
この放送を聴くと、先日の「昭和100年記念式典」での首相の式辞の内容がいかに薄っぺらいものだったかと改めて思います。まさに「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を伝えることが大切」です。
https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=MZNLX8Y17X_01_4314940

日本国憲法の読み方2026

祝日法第2条によれば、5月3日の憲法記念日は、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。」と定められています。したがって、憲法をめぐる学説の積み重ねや政府の解釈を振り返り、国の成長につながらない動きには抗うように心を新たにするのが、同法の定めに沿った、その日の過ごし方なのかもしれません。ちなみに同条では、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定める建国記念の日は、「政令で定める日」となっています。2月11日というのは歴史的な根拠がないばかりか、法律で定めたものではないので、政令を改正すれば変えられます。たとえば1952年の、日本国との平和条約の発効日である4月28日とかは候補の一つになると言えるでしょう。
さて、話を5月3日の過ごし方に戻すと、最近重宝しているデモカレンダーの案内で知った、第42回憲法をまもる熊本県民のつどい「日本国憲法の読み方2026」に参加しました。講師は地元国立大学の憲法学者・德永達哉氏が務められ、資料として日本国憲法全文7ページと第9条解説14ページの提供がありました。たいへん充実した内容で、ありがたく感じました。
講演の内容は、自己紹介(祖父は自民党の政治家)に始まり、憲法の前文(国民主権、平和主義)、第99条(天皇・国務大臣・国会議員・裁判官・その他の公務員の憲法尊重擁護義務)、第9条(戦争の放棄)の解説と進んでいきました。
以下は、9条をめぐる講演のポイント。
・9条が放棄したものは、「武力の行使」とその実行部隊であり、それが日本の最大の特徴。1929年の不戦条約を前提として憲法に戦争放棄条項を持つ国は約150カ国(約30カ国は軍隊を持たない非武装国家)あり、戦争の放棄を定めた憲法を持つ国が主流。同条約は当時の日本も締結していたので、日中間の戦争を「事変」と称していた。戦後の学説と政府は、9条の全体で、侵略戦争も自衛戦争もその他の戦争もすべて放棄したのだとしている。
・警察権力の範囲に留まる最小限度の実力(殺傷を目的とするのではなく妨害排除執行権限に留まる暴力)の行使は、「武力の行使」には直ちにあたらない。その発想から「自衛隊」の前身である警察予備隊が誕生した歴史がある。海上自衛隊も国境警察の規模なら許容できるという論理。「自衛隊」が違憲とならないための解釈の積み重ねがあった。
・政府の解釈では、現存の「自衛隊」を合憲であると説明しなければならない立場にある。そのため、「自衛隊」については、憲法が禁止する「戦力(敵兵の殺傷)」には至らないレベルの実力・暴力・武力の行使は、決して禁止されているわけではないと論じている(1980年政府答弁)。それが「自衛のための必要最小限度の実力」という解釈である。
・9条改憲の着地点が何かを政府は説明しなければならない。仮に、「自衛隊」を、敵兵の殺傷を業務とさせる公務員組織へと作り変えるとなれば、その公務員を担う若者をリクルートし、職務命令により、業務に服務させるために必要な手続きを構築し、その上で、暴走を制限する規範を設け、裁判制度を見直し、良心的兵役拒否など従事する公務員の尊厳を護る制度を拡充する必要が出てくる。それらの段取りも整った上で、改憲せざるを得ない旨を説明しなければならない。
こうして講演を振り返ると、いま与党が訴えていることは、とにかく9条を改憲することが目的化した歪な状況です。憲法に自衛隊を明記しないと違憲になる立法事実が何かを正直に誠実に説明すべきです。自衛隊は、本来、人命救助であるとか、国民の保護に資するよう設計されてきた公務員組織であったはずです。ハーグ条約では、敵兵の殺傷することを仕事とする公務員組織を軍隊と定義します。公務員には憲法尊重擁護義務がありますから軍隊という組織に変わるのであれば、それに属する国民は敵兵の殺傷に従事する義務を負います。そんな仕事に従事したい国民を少子高齢化が進行する国で現実的に確保できるのでしょうか。国の成長を期するのであれば、もっと賢明な道へ向かうべきです。

役人がダラ幹を丸め込むのはお手のもの

久々に「ダラ幹」というワードが、私の脳内に浮かんだニュースでした。
被害者団体が5月1日と2日後の3日に出した文書において、ある事実の記載がまったく違うものにすり替わる珍妙な出来事が起きました。この間に権力の側がどのようなお家芸を働かせたのか、それに団体幹部がいかに易々と乗せられたのかが窺えます。
(下記は新聞記事を基に再構成)
▶5月1日の文書・・・団体幹部と事務局長が事前確認の上、環境相へ提出。
「事前協議で環境省職員が『水俣病は他の公害患者に比べて補償が恵まれている』との趣旨の発言をした」と記載。
※提出時に、事務局長が口頭でも指摘し、幹部もその場で否定しなかった。
▶5月3日の文書・・・環境省経由で報道機関へ提供。(文面も役人が起案したのでは?)
「(環境省側から)そのような発言があったとは認識していない」と、1日の文書で指摘した事実を否定。
※団体幹部が事務局長の指摘を否定したことを受けて、環境省は「省内の調査でも現時点で指摘された発言は確認されていない」としてまんまと火消しに成功。事務局長はハシゴを外された形に…。
◎両文書を水俣病歴史考証館でぜひ対比展示してほしいものです。
https://kumanichi.com/articles/1987685

『球磨川流域豪雨とダム問題』読書メモ

清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会編『球磨川流域豪雨問題とダム問題』(すいれん舎、2000円+税、2025年)を、編者の会の共同代表の一人である緒方俊一郎氏から頂戴して読んでみました。同会は、発足して30年以上。川辺川ダム建設は、たとえ流水型であっても球磨川流域の豪雨災害を防ぐことはできず、川辺川沿いの脆い地質の山地の岩を崩し、川底に堆積した土石により清流を濁水化させると考え、反対しています。反対するのは流域の地形や地質、人吉市に氾濫を起こした洪水の原因分析など、専門的な検証結果の積み重ねによります。その論拠の強さや確かさは、本書を読むとよく理解できましたし、これまで国交省は説明会でも質問に答えず、時には事実の捏造を繰り返してきた歴史が明らかにされています。
たとえば、2020年7月に発生した豪雨災害後、国交省は「川辺川ダムがあれば浸水は6割防げた」と主張し、当時の熊本県知事に流水型のダム建設へ舵を取らせました。しかし、この豪雨災害時に、川辺川流域に局所集中豪雨が降ったわけではありません。球磨川の中流域の山地へ局所集中豪雨が降り、人吉市街地で球磨川がまだ氾濫しない時刻に支流の山田川や万江川が氾濫して多くの命が奪われています。人吉市街地を襲った大洪水は球磨川からでも川辺川からでもなく合流点でつくりだされたものでした。合流点の直上の低地は丸太の集積場となっており、膨大な丸太が貯木されていました。洪水によってそこから流れ出した丸太が流木となって第四橋梁にたまりダム化し、その後崩壊したのが要因と考えられます。
既存の治水ダムも豪雨時にはダムを守るために緊急放流を行い、かえって下流域に洪水災害を起こす危険性があるものです。災害を防げず清流も維持できないものに多額の税金をつぎ込んで新たに造る価値があるのか、よくよく考える必要があります。
球磨川と言えば、私が住んでいる宇土市を始め、宇城市や上天草市の上水道の水源です(水に恵まれないがゆえに半導体工場やデータセンターの立地進出がない、乱開発リスクが少ないというのがメリットではあります)。下流の八代市から上天草市までは実に122kmに及ぶ送水管でつながっており、まったく縁がないわけではありません。この水の恵みに関心を持ち続けたいと思います。
https://tewatasukai.com/
https://suirensha.co.jp/pages/56/detail=1/b_id=326/r_id=331/#block326-331

『定本 力と交換様式』読書メモ

今年3月に岩波現代文庫から出た、柄谷行人著『定本 力と交換様式』は、世界史の構造を規定する物神的な謎の力を著者独自の交換様式論で展開する骨太の著作です。その理論自体が鮮やかで魅了されると同時に、そこへ考えが到達した過程を追えるのがそれ以上に刺激的でした。本書では古今東西の先哲の思想を読み漁りかつ読み解いた軌跡が存分に示されています。それら先哲の思想には読み手である私自身も触れたものもありましたが、そうでないものも多くあります。著者の華麗な読み解きにより、すでに触れた思想に対する新しい解釈や世間一般的に未知の思想への目配りがなされ、未来への知を獲得する醍醐味を感じました。
私の読書記録で確認すると、2010年にやはり岩波書店から刊行された同氏の著書『世界史の構造』を確かに読んではいるのですが、特に読書メモを残していないところを見ると、なんかモヤモヤした読後感に終わったからなのだろうと思います。それは、著者の交換様式論にもまだモヤモヤさがあったからだったに違いないと、今回思いました。
人類は世界宗教を発明し、あの世に国家も資本もない平等な人間社会を求めてきた一方、現世にポスト資本主義社会の実現を求める思想の科学を生んできた歴史があるんだなあと思いました。そこでいくと、宗教と科学が目指すものは案外近しいのかもとこれまた面白く感じました。
さて、本書を読みながらもう一つ感じたのは、当然のことながらAIにはけっして生成できない知があるということでした。AIが生成の源にするものには本書で取り上げられた先哲の著作も含まれるかもしれませんが、AIには字面を読むことしかできません。字面を再構成してなにがしかの文章要約を論理的に発出することはできても、先哲の著作が生まれた時代背景や人的交流の影響、それらによる思考の変遷までも読み解くのは難しいのではないかと思います。AIは間違いとか失敗を犯さず瞬時に正答を出すことには長けていますが、人間のような意識や感情、つまり楽しさも苦しみもないわけなので、ズレや独自性を創造するのは不得意なんではなかろうかと思います。
というわけで、本書で展開される理論についてのメモはほとんど含めないヘンテコな投稿になりましたが、この一冊で先哲の真髄に広く接することができることだけは請け合います。1800円+税というのは、ずいぶんお得です。
https://www.iwanami.co.jp/book/b10159289.html

AIに考える楽しさを奪われないでいたい

昨日オンラインで、日本工学アカデミー(EAJ)第7回公開シンポジウム「生成AIと倫理 II」(共催:産芸学官 円融の集い場)を視聴しました。AI理論の礎を築いた数理工学者の甘利俊一さんが登壇されていて、なかなか含蓄あるお話をされていて興味を覚えました。御年90歳。学生時代は反戦平和運動に参加し、学生自治会の委員長も務められました。続いてきょうは、同氏による第40回(2025)京都賞 先端技術部門の受賞記念講演「幸運なるわが人生」の動画(下記リンク)を視聴しましたが、これもいいお話が聴けました。時間がない方は、最後の5分間だけでも聴かれると、AIとの付き合い方の参考になるかと思います。
https://youtu.be/ww5JNDBeTKw?si=Os6y0KFgMgIh1tvA

『独裁者の倒し方』読書メモ

独裁者の失脚のさまを見るのは、その体制で甘い汁を吸っている取り巻き以外の人にとっては痛快なのだろうと思います。ドラマの世界ならなおさらそうだと思いますが、得てして現実はそれら取り巻きを含めた新しい独裁者に取って代わられるのがオチで、なかなか民主化へ進むのは歴史的にもレアです。ことに外国に強制された政権交代の実績は惨憺たるもので、過去100年間に米国が行った政権交代作戦の11%ほどしか民主体制の確立につながらなかったと以下の書のp.237にあるくらいです。
マーセル・ディルサス著の『独裁者の倒し方 暴君たちの実は危うい権力構造』(東洋経済新報社、2200円+税、2026年)を読んでみる気になったのは、3月21日の朝日新聞に掲載された書評がきっかけです。評者は同紙文化部記者で、本書を身近な話として読める部分があるとして、「忠実に見えるという理由で無能な役人たちを独裁者が昇格させると、政権の上層部は権力にけっして近づくべきでない人だらけになる」(p.68)を引用し、「あなたの会社に、そんな社長はいませんか」と結んでいました。ひょっとしたら、評者の勤務先に対するグチなのかと勘繰りました。
確かに会社にも独裁者はいるでしょうが、権威主義国家と異なり社員の命を取る暴力装置まで備えているのはさすがにないでしょうし、私服を肥やしし過ぎると市場からも見離され、会社自体の存立が行き詰ってしまいます。私企業の独裁者を倒すのははるかに容易だと思います。
そうした中、本書で紹介している希望が持てる情報としては、抵抗運動の「3.5%ルール」というものがありました。これはハーヴァード大学のエリカ・チェノウェスが命名した法則で、「戦闘や一般大衆によるデモ、その他の大規模な非協力的行動のような、観察可能な突出した出来事に国民の3.5%が積極的に参加したときに、失敗した革命は1つもない」(p.165)というものです(ただし、1962年のブルネイでの叛乱と2011-14年のバーレーンでの抗議活動は例外的に失敗したともチェノウェス自身が指摘しています)。
ところで、一応民主主義国家である日本国内における政治参加というのは選挙での投票行動だけとは限りません。他にも手軽で楽しい方法があるものです。
https://democalendar.jp/

広島訪問メモ

戦争遺跡保存全国ネットワーク・広島主催ミニシンポジウム「ヒロシマ、ABC兵器をめぐって―原爆被害と毒ガス加害―」の聴講が目的で、中学の修学旅行以来、実に半世紀ぶりに広島平和記念資料館を訪問しました。当時と異なり今回訪ねた日の入館者のほとんどは外国人観光客でした。それに配慮してか、被害の実相を伝える展示では、大きなサイズの写真資料が多用されていました。実物資料を人の肩越しにしか見れないほど来館者が多いのも驚きでした。戦争で命が奪われるのは交戦国同士の国民とは限りません。核保有国の国民はもちろん世界のだれしもが、人類共通の問題として戦争や大量破壊兵器の愚かさを知るべきです。その機会として広島の教訓が果たす役割の大きさを感じました。
シンポジウムでは、『陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』(集英社新書、2025年)の著者である佐田尾信作氏(陸戦隊兵士だった父が入市被爆者)による報告「軍都・軍港と西瀬戸内海の戦争遺跡」がありました。著書や当日の報告でも紹介があった、朝鮮人労務者100人ほどが掘削工事にあたった第二総軍地下壕があった「二葉山」は会場に向かうバス車窓から眺めましたし、朝鮮王族の李※(イウ)公の名が刻まれた「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を帰りに平和公園内で見てきました。李※は、朝鮮王族として生まれ、陸士45期。第二総軍司令部教育参謀(中佐)として着任中に広島で被爆し重傷を負いました。「宮様」救助のため、陸軍船舶部隊(暁部隊)の特攻兵器「マルレ」の訓練生たち(彼らも入市被爆します)が、現在の原爆ドーム近くの相生橋付近まで船で川を遡上し、収容しています。ですが、被爆翌日の1945年8月7日に似島の陸軍検疫所で死亡しました。このとき、御付武官の吉成弘が自責の念から自決しています。※は「金」+「禺」で一字。
ところで、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の造りは、亀をかたどった台座の上に碑柱が西向きに建っています。これは「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という韓国の故事に基づいているそうです。アジア太平洋戦争末期、三池炭鉱などに、朝鮮人や中国人、捕虜など約2万人が労務動員されていた大牟田には、徴用犠牲者慰霊塔がありますが、やはり亀が頭を朝鮮半島の位置する西へ向けて建てられています。

『古代の天皇制』読書メモ

今年3月に文庫化されて出た、大津透著の『古代の天皇制』(岩波現代文庫、1600円+税、2026年)の補章の「天皇号の成立と唐風化」だけでも読んでおくと、日本史のたしなみがある人物かそうでない人物かぐらいの判別を付けられるようになるかと思います。
天皇号がいつ成立したかについての研究では、推古朝説と天武朝説が有力で、最近の教科書では、天武朝説が取り上げられることが多いそうです。
著者自身は、天皇号は、7世紀初めの推古朝に成立し、8世紀初めの大宝律令で制度化され、「スメラミコト」と読まれていたと考えています。詔書というミコトノリで読み上げる主体であり、謚号も和風でした。8世紀中葉から漢字二字の漢風謚号が成立し、同じ天皇号でも礼制を中心とする中国国制の影響を強く受けたものに変質(唐風化)していったと考えています。
古代中国には「皇帝」と「天子」の二つの君主号がありますが、日本での君主号は「天皇」で一つです。その契機となったのが607年の隋の煬帝の激怒にあります。第二回遣隋使が携えた国書の中に、倭王が「天子」と名乗った箇所があり、「天子」は世界に自分一人しかいないとする煬帝からすれば無礼と大いに不興を買ったわけです。以後の国書からは「天子」という記載が消えます。
たとえば、735年に唐から日本への国書には宛名を「日本国王主明楽美御徳」としています。これはその前に日本から唐へ送られた国書にそういう記載があったからと見られます。唐にとっては「日本国王」以外はあり得ないので、「天皇」と書いても受け入れられません。そこで、和語で王の姓名らしく「主明楽美御徳(すめらみこと)」とごまかしてみたわけです。考えようによってはかなりしたたかな外交を展開していたとも言えます。このような外交の才に恵まれた例としては、豊臣政権や江戸幕府と朝鮮王朝との間の国書偽造・改竄(はては朝鮮国王印の偽作まで)にかかわった対馬の宗氏を思い浮かべます。無用な争いを避け、通交で互恵をもたらすお家芸を、現代人はバカにはできないかもしれません。
本書の補章以外の部分の読書メモは、本投稿に加えませんでしたが、「第六章 クラとカギ――クラの思想」など、それこそ歴史教科書では目にすることができない分野の論述に触れられて奥深かったです。「大蔵省」「監物(けんもつ)」「典鑰(てんやく)」といったワードが出てきます。