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みなが知る必要のあること

最近立て続けにオックスフォード大学出版局が手掛ける「みなが知る必要のあること(What Everyone Needs to Know)」シリーズの翻訳書を2冊読みました。1冊は、ブルース・W・ジェントルスン著『制裁 国家による外交戦略の謎』。もう1冊は、ジェイムズ・カー=リンゼイとミクラス・ファブリーとの共著による『分離独立と国家創設 係争国家と失敗国家の生態』。どちらも2024年に白水社から刊行されています。
書籍の内容をここでは詳しく記しませんが、国際情勢や国際関係の報道に接したときにその背景を理解して動向の成否を考えるうえで役立つ貴重な知見を示してくれます。先を読むには豊富な歴史の知識・教訓を知らなければならないとつくづく思わされます。
ネットユーザーにとっては大変ありがたいことに、『分離独立と国家創設』の筆頭著者のジェイムズ・カー=リンゼイ氏(英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス欧州研究所研究員)は、国際関係の時事問題を短時間で解説したユーチューブ動画チャンネルの配信を行っています。無料で視聴できるので興味を持たれた方は、この動画へアクセスしてみるのもいいと思います。
https://www.youtube.com/c/JamesKerLindsay/Join

所有者不明土地を動かすには

所有者不明土地を得たいときの手段として従来は「不在者財産管理制度」がありました。私も司法書士の協力を得て同制度を使って依頼者の希望を実現したことがあります。この制度では家庭裁判所へ申し立てて専門職を管理人に選任してもらい、申立人へ権利移動の許可を得て手に入れることになります。しかし所有者不明のすべての財産を管理人は管理し続けなければなりませんから、特定の土地だけの取得に終わる場合、管理人としてはいつまでも残りの土地を管理し続けなければならない面がありました(幸い私がかかわった案件ではすべての土地の行き先が定まり管理人の管理は無事終了しました)。
今なら2023年4月から導入された「所有者不明土地管理制度」を活用することにより、特定の土地だけの購入希望者が申立人となり、地方裁判所から選任された管理人から買収の許可を得ることが可能になりました。このあたりの活用事例が1月7日の朝日新聞「大相続時代 不動産の行き先 第5回」で紹介されており、たいへん興味深く読みました。
そして、この制度は一般の方だけでなく市町村長による活用も可能です。詳しくは1月8日の朝日新聞「大相続時代 不動産の行き先 第6回」で紹介されていますが、行政が所有者不明の空き地や空き家を解消するため、「所有者不明土地対策協議会」を設けて対策を進める動きも始まっています。同協議会には専門職等から構成される「所有者不明土地利用円滑化等推進法人」(あらかじめ指定を受ける必要があります)が加わりますが、このような対応力のある行政をもたらすか否かも住民の声次第なのかとも思います。これもたいへん興味深く読みました。

成人の日の様変わり

新たに20歳になる住民のうち、東京都新宿区は45%、東京都豊島区は42%が外国籍の人なのだそうです。豊島区には学習院大学や立教大学がありますが、外国人留学生が増えているようで、豊島区の「20歳の集い」を取材した記事にはそれらの大学の留学生が登場していて成人の日の風景がずいぶん様変わりしているのを感じました。加えて留学生の進路希望として引き続き日本に滞在して仕事に就きたいと答える人が目立ちました。日本の世界における経済的地位はこれから先も下がる一方なのは確実ですから、こうした外国人留学生の存在はありがたい限りです。
私が成人の日を迎えたのは40ン年前で、東京都北区の式に参加しました。北区在住の有名人「ケンちゃん」こと宮脇康之さんが同じく新成人として特別に壇上で紹介されたのと、やはり壇上に陣取る全区議がいちいち紹介されていたのが退屈でしょうがなかった思い出があるだけでした。
当時は外国人留学生を見かけることはありませんでした。街中で見かける若い外国人といえば、モ○モ○教の布教活動(「クイズダービー」に出ていた外国人弁護士もやっていたやつ)をしている連中というのが通り相場でした。
外国人留学生と交流した経験と言えば東海大学にソ連政府から派遣されてきていた諸君(モスクワ大学等出身のエリートたち)を訪ねる機会があっただけです。後日その留学生の一人が米国亡命したので、交流はそれで沙汰止みとなりました(まだ冷戦下の時代だった)。

ミュージアム展示も学芸員次第

熊本県宇城市の不知火美術館で現在「元寇750年特別企画展 蒙古襲来絵詞のリアル」が開かれています。観覧料無料ということもあって2回も観覧しました。今回の展示のメインは、「蒙古襲来絵詞」の複製品ですが、正確に言えばカラーコピーとなっています。どうせ見るなら同時期に福岡県太宰府市にある九州国立博物館でまさしく東京国立博物館蔵の江戸時代の模本実物が展示されていますのでそちらがお勧めです。
不知火美術館の展示で目を引いたのはむしろ長崎県松浦市から貸し出された海底からの出土物の方で、展示解説も整っていました。これはおそらく松浦市側からの支援を受けたからだと思われました。それと、地元関連で言えば、小川町海東の塔福寺所蔵の「竹崎季長寄進状」と「竹崎季長置文」、松橋町竹崎の秋岡氏所蔵文書の「沙弥法喜寄進状」(昭和53年2月2日、県重要文化財指定)が展示されていたのですが、これらはいずれも竹崎季長本人が書き記した書状でしかも実物展示でしたからはるかに観覧価値が高いものでした。しかも熊本県立美術館の監修を受けたと思われる解説表示も備えられていました。
特に「竹崎季長置文」は、海東阿蘇神社の運営規則を季長が自ら書き定めた文書で、その口うるさい決めごとの数々は、策定者の人柄が伝わり、読むと思わずニヤリとさせられます。神社の管理がずさんな者はすぐに辞めさせて交代させろなどと書かれています。
話は飛躍しますが、現在の多くの神社が属する神社本庁の政治団体「神道政治連盟」ではLGBTの人々を不当に差別する冊子を発行しています。多くの神社(実態はスピリチュアルグッズ販売ビジネス)はこのように愚劣きわまりない者によって管理されていますので、季長の置文の精神を少し見習ったがいいかもしれません。
なお、「沙弥法喜寄進状」を所蔵する秋岡氏の現当主・廣宣氏は、県内の私立女子大の尚絅学園理事長です。30年以上前になりますが、当時熊本放送のテレビ営業課長だった同氏らとインドネシアへシンガポール経由で旅行した縁があり、今も年賀状のやりとりが続いています。廣宣氏の父・隆穂氏は旧・松橋町長。三島由紀夫を見出した蓮田善明(慈恵病院の現院長の祖父)と戦時中、同じ部隊にいました。シンガポールで迎えた敗戦後に「中条豊馬大佐の軍人らしからぬ、あまりの豹変と変節ぶりに多くの青年将校らは憤ったが、中でも蓮田の激昂は凄まじく、その集会の直後にくずれて膝を床につき、両腕で大隊長・秋岡隆穂大尉の足を抱いて、「大尉長殿! 無念であります」と哭泣した。その上、中条大佐の日頃の言動には不審な所が多かったため、蓮田は中条大佐(注:蓮田に射殺される、その後蓮田は自決)を国賊と判断した。」と、その名があります。小高根二郎編集の『蓮田善明全集』(島津書房)の中にも小高根による「昭和四十四年八月十九日、大隊長秋岡隆穂大尉、聯隊副官鳥越春時大尉出席のもと 熊本は水前寺で催された善明二十五回忌追悼會の席で、」の記述があり、名前を確認することができます。
いろいろ話が横道にそれましたが、不知火美術館の場合、施設の器は新しく小ぎれいでスタバなんかもあって集客力は優れているのですが、展示方法はどこかシロウトっぽい気がします。しっかりした学芸員がいないのかなと思わされました。
https://www1.g-reiki.net/kumamoto/act/print/print110001190.htm
https://www.city.uki.kumamoto.jp/hihyoji0/hihyoji/2268958

『企業の責任』〈増補・新装版〉出版CF

昨日から始まったCF。4000円(注:システム利用料別途)で出版計画の1冊がリターンで送られてくるのでさっそく応じてみました。
「目標額を達成した場合、『核心・〈水俣病〉事件史』(富樫貞夫著 石風社 予価2500円+税)の出版制作費に充てます。刊行は、2025年3月の予定です。」とありましたので、そちらの刊行も楽しみです。

介護難民続出への道は近い

1月10日の報道で気になったのは介護事業者倒産が過去最多となった記事。物価高と人手不足が要因とされていますが、最も倒産が多かった訪問介護については、介護報酬の引き下げという政策的な悪手が元凶といって差し支えないと思います。いわゆる団塊の世代(1947-1949年生まれ)が後期高齢者となり、これからますます要介護の人口は増えていきますが、介護難民も増えてくると考えられます。もはや稼げる国ではないので、海外から介護人材を入れるのもそう簡単にはいきません。介護保険料を払い込みする一方で、将来介護サービスを受けるのは無理かもしれないと考えて生きるしかありません。

篠沢教授に全部ではなくて

昨夜、Xで「はらたいら」がトレンドワード入りする珍現象が発生したのだそうです。平成世代には漫画「かいけつゾロリ」の原作者・原ゆたか先生と間違えそうな名前かもしれませんが、はらたいらさんといえば、昭和の名物クイズ番組「クイズダービー」のレギュラー出演者として有名なナンセンスギャグ漫画家さんです。新聞・雑誌を多読した豊富な知識に基づく正答率の高さが評判でした。
ついでに言うと、この報道のおかげで私の脳内には、やはり同番組のレギュラー出演者であった、篠沢教授の名前がトレンドワード入りしてしまいました。同番組で一発逆転を狙うときの「篠沢教授に全部」も当時は流行ったかと思います。今から41年前になりますが、その研究室におじゃまして教授にお話を伺った経験があります。このときの一番の思い出は、取材を終えて研究室から退室する際に、ドアにこれまた同番組の出演者である斉藤慶子のサイン入りセミヌードカレンダーが貼られてあったのに気付いた点でした。つまり、「斉藤慶子に全部」もっていかれたというわけです。

能登の被災から学ぶこと

1月8日の熊本日日新聞(21面)に宇土市から石川県輪島市へ支援のため1年間派遣されている職員さんのことが紹介されていました。私も以前から知る職員さんで昨秋石川県まで激励に赴きました。
能登の震災と水害の状況に接すると、公助の先細りが共助・自助の弱体化を招いてきたと思います。これから人口減少社会になっていく地方において、優良農地を開発して新築住宅を過剰に供給するのは考えものです。いざ発災となれば、既存住宅地の空家が復興の障害となりますし、老朽化によって維持管理しなければならない道路や上下水道といったインフラ設備が増えることは、確実に公助の原資を圧迫します。
新興住宅地ではコミュニティが育ちにくく、自分で自分を守れるどころではないため、ましてや他人様を助ける余裕はありません。
能登の被災状況からこれからの地域づくりを学ぶ点は多いと思います。