2022年」タグアーカイブ

共倒れはバカらしい

川島真・小嶋華津子編『習近平の中国』(東京大学出版会、2400円+税、2022年)を読んでいるところです。本書は、日本の隣に位置する中国の今後について以下の3つの視点から考察しています。1点目は、中国の発展は保たれるのか? 2点目は、中国共産党の統治は保たれるのか? 3点目は、中国はどう世界で振る舞うのか? その最大のカギは最高指導者の頭の中にあります。研究者の努力により本書を読むと、ある程度その内容は窺い知れます。それを知っての私の考えは、これまで通りのやり方で国民を束ねていくのは相当難しいですし、もしも最高指導者が自らの願望に固執して進めれば、かえって失うものが大きいのではというものでした。たとえば、その願望の一つに建国100周年となる2049年までの「台湾解放」があるのですが、終身まで権力を持つとしても70歳近くの人があと27年も保てるのかという気がしますし、中国の沿岸部には原発が多数立地しているため、それらに被害が及んだ場合、中国国内のみならず東側に位置する日本や韓国が汚染される危険性があります。つまり共倒れの道しか残っていません。それと硬直的な社会の将来に不安を持つ有能な人材が中国国外へ流出する恐れがあります。中国国内のウイグル人対策が有名ですが、国民の顔、声、DNAまで監視している部分は、マイナカード導入に積極的な日本の国民管理にも重なり、国民の家畜化の点では似通っている印象も持ちます。

試行-Attempt 後日記4

本サイトの「社名エピソード」ページにもお名前が登場している、渡辺京二氏が、2022年12月25日亡くなられました。「いまさら夢なんかもたない。ただ試行は続けたい。試行しているうちにお仕舞いになれば、それが一番だ。」と、後日記2で触れたようにだれもが辿る老いへの向き合い方のお手本のお一人としてこれまで見てきました。自宅書棚には渡辺氏と共に石牟礼道子氏と松浦豊敏氏が編集人を務めた『暗河』(くらごう)の創刊号(1973年刊)から48号(1992年刊)があり、久々に創刊号を手に取ってみました。表紙デザイン画は、菊畑茂久馬氏。目次に寄稿者の氏名がありますが、やはり今年(2022年)11月に亡くなられた久野啓介氏を始め、すでに鬼籍に入られた方々がほとんどとなってしまいました。創刊自体が49年前ですし、当時40歳代の方々が主要メンバーだったのですから、それもそうかと思う一方、それぞれの書き手が発する言葉には重厚感があります。おそらくそれは、書き手一人ひとりのあくなき試行の継続と、編集の溜まり場での書き手同士の語らいの中で熟成したものではなかったのかと考えています。「暗河」とは、元々、琉球・奄美地方の地下水脈のことを指しますが、渡辺京二氏という日本近代史の「革命家」に連なる人々の関係そのものを暗喩した題号ではなかったのかと、改めて思いました。

決済よもやま話から導く軍縮を考える

ゴットフリート・レイブラント、ナターシャ・デ・テラン著の『教養としての決済』(東洋経済新報社、2000円+税、2022年)を読了しました。とにかく変化が激しい分野ですし、一消費者としては必ず関係するシステムなのですが、中身はいま一つも二つも理解することなく利用できる世界の情報だけに、たいへん読み物として面白い書籍でした。まずもって「お金」は犯罪者の好物の筆頭だと思います。しかし、意外と現金は足が付きやすく、変な言い方ですが、現金を奪う費用対効果は見合いません。決済システムの裏を突いた大掛かりな犯罪もありますが、これもさまざまな防御策や監視力の向上で日々難しいものとなってきています。そのため、現在の決済システムの下でのクライム映画は、あまり絵的に映えないものになってしまいます。そして、何よりも世界の基軸通貨は米ドルであって、システムは米国の管理を抜きに回ることはありません。ということは、米国の機嫌を損なう軍事的行動が起これば、世界の決済システムから外され、外された側の勢力はたちまち混乱に陥るということになります。軍事的行動の目的は領土的な拡張があるものですが、得るもの以上に自らの内部で不平不満が巻き起こり政体が崩壊する危険を抱え込むことがありえると思います。つまり目先の利益以上に失うものが大きいということになります。あとは、何らかの野心を持った人物が冷静な損得勘定ができるかどうかにかかっていますので、あらかじめそうしたリスク想定を認識させる努力を行い、互いに軍縮に向かう賢明な選択へ導かせることをすべきだと思います。

90日の重み

9月15日に植え付けられたジャガイモを委員さんたちと近くの保育園児たちとで本日収穫しました。種イモから90日足らずで食料ができるのだから不思議な感じもします。それに比べたら人間の成長って結構時間かかるもんだなと思います。イモと比べるなと言われそうなのは重々承知の上での個人的な感想ですけど。

特定行政書士徽章

今年度新しく特定行政書士専用の徽章(写真右)ができるということで、試しに注文していたのですが、本日届きました。確かに従来の徽章(写真左)よりも一回り大きくなっています。あと取り付け方がネジ式ではなくピン式になりました。番号も刻印されることになっていて、これについては勝手に登録番号が刻まれるものと思っていましたが、実際は注文の一連番号かなんかのようで、私の場合は400番台の後ろの方でした。まだそんなに流通していない徽章なので、かえってニセモノ感があるかもしれませんし、それはそれとしてネタとして使えるかなと楽しむことにします。

「偉大」な指導者はなおさら疑え

昨日、熊本市教育委員会が、2019年4月に自殺した熊本市立中1男子生徒の小学6年時の担任で、複数児童に不適切な指導を繰り返していた男性教諭(60)を懲戒免職処分にしたことが、報じられました。体罰や暴言、不適切な言動など、市教委が認定した事例だけでも計42件に上ったといいます。なぜこうした人物が学校現場で長年勤務できたのか、まったく理解できません。それどころか、この処分が出る直前まで部活動の指導にも携わっていたといいます。全国大会出場レベルの部活動を熱血指導する教師が、カルト教団の教祖のようにいつしか不可侵の存在になりかねない危険性もあるわけで、やはり犯罪の芽は早めに摘むことが大事だと思います。
写真は、ウィーンの美術史美術館の館内(1993年1月撮影)。絵画作品は、ピーテル・ブリューゲルの「雪中の狩人」。

最新の決済事情を知りたい

年末年始は、個人事業主としても自社の決算処理としても会計書類の作成機会が多い時期です。次に読む本は、ゴットフリート・レイブラント、ナターシャ・デ・テラン著の『教養としての決済』(東洋経済新報社、2000円+税、2022年)。日頃、経済系の書籍に親しむことは少ないのですが、権力の裏、犯罪の裏には決済が必ず関係するはずです。別にタイトルの「教養としての」は必要ないのですが、最新事情は単純に押さえておきたいと思いました。

Democracy Rules

『民主主義のルールと精神』p.228より「今の時点で民主主義について楽観的になる理由はとくにない。現在、民主主義の転覆に邁進する勢力はポピュリズム権威主義の統治術を完成させるのに忙殺されているし、守り手側は危機対応マニュアルの発行に慌てて取り組んでいる。けれどすでに見てきたように、このような状況においては裁判所も専門職者も救いになるとは限らない。私たちを救うことができるのは、寄り集まった市民だけだ。」「楽観論と希望は同じではない。楽観論にとって重要なのは可能性で、希望にとって重要なのは前に向かう道を見つけることである。いくつもの道がそこにある。あとは私たち次第だ。とどのつまり、民主主義にとって重要なのは、対象が個人であれ制度であれ、何かに委ねることではないのだから。重要なのは努力である。」

原題:Democracy Rules
Trumps:世界に複数いるトランプ的人物
a Trump:世界に複数いるトランプ的人物のひとり

正統性を伴う権威主義体制への移行はない

『民主主義のルールと精神』p.203より「権威主義体制への移行を有権者の100%が支持するというようなことがあるのなら、その場合に限り、民主主義が本来的にパラドックスを抱えているという考えの正しさが証明されると言えるだろう。ところがなぜか、正統性を伴った権威主義体制への移行が起きたことはこれまでにない。」
選挙管理委員会は、民主主義の守り手である。

賢くなければ民主主義は遠のく

今、読んでいる本は、ヤン=ヴェルナー・ミュラー著の『民主主義のルールと精神 それはいかにして生き返るのか』(みすず書房、3600円+税、2022年)です。ともすれば民主主義の価値が損なわれかねない世界に生きていて、人はどう行動しなければならないかを考えるのは、なかなか厄介な作業です。米国のような先進国の国民でさえ、4割の人は第二次世界大戦における米国の対戦国を知らないのだといいます。それにつけ込む形で無教養なポピュリストが幅を利かせるのですから、まったく悩ましい限りです。日本国内でもいまだに古事記を歴史書と信じ込み、ばかげた文化論を語る輩がいて、それに追随するシンパもいて、専制主義の政体に近いものを感じます。専制主義を言い換えれば、権威主義ということになりますが、こうした政体ではいつも神話を必要とするものです。詰まるところ神話と歴史を取り違えないぐらいの賢さが国民になければ民主主義は遠のくということではないかと思います。

地方選挙早わかり

ある地方議員同士がSNS上で選挙運動における陣営の自動車を連ねた走行について話題にしているのを見ました。有権者の目にも触れる内容ですので、正確な情報の提供が求められるところです。しかし、それらの記述からは、どちらの議員も公職選挙法の条文を読み込んでいないことがうかがえました。同法140条は、気勢を張る行為をすることを禁じています。具体的には、自動車を連ね、または隊伍を組んで往来すること、サイレンを鳴らしたり、チンドン屋を雇ったりしてねり歩かせたりすることも含まれます。

本市の市議選立候補予定者向け説明会では、写真の書籍が出席者には提供されているぐらいですので、本来は知っていて当然であるべき事柄ですが、くだんの議員たちは日頃から学習するクセがないみたいだと思いました。

熊本市空き家対策セミナー・相談会

「熊本市空き家対策セミナー・相談会」が下記の内容で開催されます。

セミナーでは、我が家を空き家にしないための方法や相続 ・ 税金等の対策について、専門家によるアドバイスが聴けます。
空き家をお持ちの方の悩みについて、登記、相続、税金、不動産など専門の相談員が対応する無料相談会も開催されます。
熊本県行政書士会からは、小職が相談員として対応します。
空き家についての備えを考えている方、現に空き家をお持ちでお悩みの方などは、ぜひご参加ください。

日 程 令和4年11月19日(土)【セミナー】 13時00分~15時00分 【相談会】 15時15分~17時15分
会 場 熊本市中央公民館 7階ホール(中央区草葉町5-1 白川公園内)
定 員 【セミナー】 50名 【相談会】 28組 ※先着順
費 用 いずれも無料
対 象 者 熊本市民もしくは空き家所有者  ※いずれにも該当しない場合は、ご相談ください。
申込期間 10月25日(火)~11月17日(木)
申込方法 以下のいずれかの方法でお申し込みください。
方法(1) 空家対策課(096-328-2514)にお電話で申込み ※電話申し込みの場合は、口頭で相談内容等を聞き取りします。
方法(2) 申込書を空家対策課へ提出 ※申込書の提出は、11月17日(木)必着です。※申込書の受理後、空家対策課からの電話連絡をもちまして受付完了とします。

召集令状でも届くのか

旧統一教会と議員たちとの関係をめぐる地元メディアのこびへつらい報道(広報?)ぶりに接するにつけ、郷土の先人ジャーナリストに学べと言いたくなります。それとも自称ジャーナリストばかりなのでしょうか。

以下は、2017年7月1日、熊本日日新聞「読者ひろば」掲載に掲載された、私の投稿です。
写真(1989年5月撮影)は、ロシア・モスクワのレーニン廟の衛兵。記事とは関係ありません。

「竹槍事件とミサイル広報」
もしも核弾道ミサイルが近くに落下したら、政府が広報する行動をとっても何ほどの意味があるのか、という思いで広告を見ています。あるいは屋内退避に主眼を置いているのは、派生しかねない原発事故を想定しての広報かと勘ぐってしまいます。
この奇怪な政府広報で熊本人として想起したいのが、人吉出身の硬骨の新聞ジャーナリスト、吉岡文六と「竹槍事件」です。昭和19年2月23日、大阪の毎日新聞編集局長であった吉岡は、大和魂を磨けば竹槍でも国防ができると非常時宣言を出した東條英機内閣を真っ向から否定しました。「敵が飛行機で攻めに来るのに竹槍をもっては戦ひ得ない」と、亡国の瀬戸際に立っている事実を、自分の判断で報道させたのです。翼賛政治と憲兵や特高による言論弾圧の時代でしたが、読者の大半は販売店へ賛辞を寄せたようです。東條は、この記事に激怒し、吉岡が守ろうとした37歳の記者は二等兵として懲罰召集されます。吉岡自身も事件直後に編集局長を辞めさせられ、終戦前に新聞社を自ら退きます。
政府も国民保護を真剣に考えるなら、竹槍もってのような無益な避難広報ではなく、ミサイルに狙われる場所は国内のどこかという真実を明らかにするとか、相手国に対する実効的な外交工作ではないかと思います。

抗日戦争とは何だったか

先月は日中国交正常化から50周年ということもあって、今後の日中関係をめぐるさまざまな意見を目にしましたが、国葬や旧統一教会、円安・物価高など国内課題の扱いが大きく、建設的な提言が目に触れる機会が少なかったように思います。相手方の中国にしても政体が中央主権的なので、党トップの振る舞いばかりが取り上げられ、中国国民の声なき声を知る機会が少ないのを感じます。一方において中国から日本に活路を求めて留学・就労する若者が増えてきているのは、日中関係の改善にとってはプラスに作用する期待が持てます。
さて、今読んでいるラナ・ミッター著『中国の「よい戦争」』(みすず書房、4400円+税、2022年)は、現在中国の政体下における歴史の扱い、特に国民党が主導した抗日戦争の扱いがどのようなものであるかを理解するうえで有益な研究だと思いました。抗日戦争に勝利したのち国共内戦を経て国民党政権幹部は台湾に逃れるのですが、抗日戦争中の首都であった重慶という都市は中国大陸から移せるわけもありません。国民党兵士として日本と戦った中国国民もすべてが台湾へ渡ったわけではなく、中国大陸に多くが留まりました。
そのため、三国志の時代の歴史は国内で伝えられても、国民党の功績に触れない訳にはいかない抗日戦争の歴史の伝え方が難しい時期があったというわけです。こうした事情を踏まえると、現代中国における社会科学系の学者というのは非常に制約があると感じます。国外の研究者の働きが重要になってきます。繰り返しになりますが、党トップの言い分だけ真に受けるのではなく、国民が口外しない記憶について知ると、日中関係だけでなく両岸関係の捉え方も変わる可能性もあると感じます。

口利き稼業のなれの果て

すっかり汚職の祭典のイメージが残ってしまった東京オリ・パラ。大会組織委員会の元理事の財布へのカネの吸い上げ方は、違法なのはもちろん、人としての品性のなさが如実に表れていて驚かされます。一方、元理事のそうした性分が培われたであろう広告代理店の企業風土を考えると、さもありなんという気持ちにさせられます。
バブル期の頃、地方都市にある私の勤務先でも電通を使うことがありました。今振り返ると、同社の事業の本質を一言で表すと「口利き稼業の最たるもの」なのではないかという気がします。たとえば、CM素材の制作においても実際に動くのは下請けのデザイナーやコピーライター、カメラマンたちです。スポンサーによっては、媒体を黙らせる手駒の一つとして同社を使うことがあったかもしれません。本体の社員は、契約書を運ぶだけだったり、接待をアテンドしつつ自分たちも遊びに興じたりするのが、仕事だったように思います。
そういえば、アーケード街の吊り看板広告の契約書の内容などは、書面をよく確認しないとひどいものでした。吊り看板が落下して通行人が被災したときの賠償責任は、設置管理している商店街ではなく、広告主とするとあって突っ返したことがあります。また、同社の退職者の自己紹介フレーズとして「元電通の・・・」というのをよく聞いた経験があります。個としてのクリエイティブ能力がない方が多かったなという印象があります。
写真は、パリのアラブ世界研究所(1991年12月撮影)。窓がカメラの絞り機能で採光できる仕組みになっていることで有名です。実は、この建物の存在を知ったのは、地元の電通支社内で視聴した世界のトレンド情報のリポートビデオを通じてでした。月1回早朝にこの社内向けのトレンド情報ビデオを視聴する会が行われ、数回参加したことがありました。今となっては儚い時代の思い出です。

そこに壁はない

定数1オーバーの立候補による地元の市議会議員選挙が、昨日投・開票でした。ポスター掲示以外にほとんど運動を行わなかった新人候補がひとりいて、供託金没収ライン未満の得票でした。結果、旧統一教会(関連団体を含む)との接点があったと指摘される2名の現職を含めて選挙活動を行った18人全員が当選となり、事実上無投票に近い選挙戦となりました。
有権者の一人として今回の選挙で注目したかったのは、接点があったと指摘される候補が本件についてどのような説明をするのか、今後その関係をどうするのかを知りたかったのですが、残念ながら一切触れられることがありませんでした。また、本件について問題視する他の候補もほとんどありませんでした。ある党派の候補は問題の存在について触れることはありましたが、2人の名指しは避けたため、論戦が展開されるまでには至りませんでした。今回立候補した現職のほとんどが、旧統一教会の意向を受けた、青少年健全育成基本法と家庭教育支援法の制定を求める意見書提出議案について、賛成した過去を持っていたので、無理からぬ点があったかもしれません。
しかし、選挙戦で表面化することはありませんでしたが、選挙戦前から多くの市民の間で本件にかかわる情報が共有されていたようにも思います。つまり、当人が思うほど不都合な事実の隠ぺいに成功したわけではありません。むしろ説明責任を果たさなかった行動に堕したことが知れ渡り記憶されているように思います。当人の得票数には表れない多くの不信感が残ったのではと思います。
壁に耳あり障子に目あり、隠しごとはすぐにバレるとも言われますが、ネット社会の今日においては、すでに壁すらないという気持ちで政治家は常にいないと務まらないと思います。
写真は、ドイツのベルリンの壁(1992年12月撮影)。

ヨタ話の判別ができているか?

2年前の全国紙書評欄に日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が「職業倫理や専門性を持たないタレント学者や自称歴史家のもっともらしいヨタ話が社会的影響力を持つ様を、評者は何度も目にしてきた。私たちが対峙すべきなのは、表面的な面白さを追いかける風潮そのものなのである。」と書いていたのを、けさふと思い出しました。それともう一つ、日本が近代国際社会への参入した頃の、日本とロシアとの出会いについてでした。現代の感覚では意外に感じられると思いますが、その出会いはきわめて平和的でした。幕末に締結した日米和親条約(1854年)や日米修好通商条約(1858年)は、日本にとって不平等な内容でした。それに対して日露和親条約は例外的に同等で双務的な内容でした。それらを経て、明治政府は国際法を遵守することによって外交を行うという宣言しました。当時、国際法は「万国公法」と呼ばれ、マーティン(漢名:丁韙良)が1864年に漢訳した書名『万国公法』(原著『国際法要綱』)によります。1872年に学制が公布されると、京都府では『万国公法』を小学校の句読科の教科書に指定するなど、受容に努めました。

国民教育に目を転じると、アジア太平洋戦争期の1941年に出された国民学校2年生用の国定修身教科書「ヨイコドモ」では「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤク エライ国」というように自民族第一主義、神々に作られたという非科学的な神国思想を吹き込むようになります。一方で、戦争末期から戦後まもなくの期間、日本を支える優秀な科学者や技術者の育成を目的として「特別科学学級」という英才学級が設けられていました。IQ150以上の全国から選抜された児童・生徒が高度なエリート教育を受け、結果的に敗戦後の高度経済成長を牽引する人材として、理工系をはじめ各界で活躍しました。私の大学時代の恩師も京都師範学校附属国民学校(現:京都教育大附属京都小中学校)と京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高)のなかに設置された学年定員30名の特別科学学級に在学されました。京都における設置にあたっては、京都帝国大学の湯川秀樹博士の意向が働いていて、湯川がじきじきに旧制高等学校(現在の四年制大学教養課程)レベルの物理学の授業を行うこともあったようです。物理・化学の実験や、生物の実習などにも重点が置かれました。授業の内容は数学や物理学や化学はいうに及ばず、当時敵性語だった英語、さらには国語・漢文・歴史にもわたっており、当時、治安維持法下の禁書とされていた津田左右吉(私の高校時代の日本史の先生が門下生でした)の『古事記及び日本書紀の新研究』を題材に用いるなど、当時の軍国主義的イデオロギーにとらわれない高度な内容の授業で進み方も速かったといわれます。特別科学学級の児童・生徒は学徒動員が免除され、学習を継続しうる特権を持つとともに、上級学校への進学が保証されてもいました。

被治者向けには神国日本を刷り込む教育が行われ、一方の将来の統治者となるエリート向け教育では天皇の系譜の読み解き方を含めて科学的リアリズム重視だったわけです。

結局のところヨタ話の判別ができる指導者や国民に恵まれているのか、今の日本もロシアもと思う次第です。

写真はソ連時代のロシア・モスクワの「グム百貨店」(1989年5月撮影)。飾り付けに「平和」(ミール)の文字が見えます。

大陸のイメージ

最近ある現職大臣が「隣の大陸」という言葉を発したとかいや言ってないとか話題になりました。「隣の大陸」と言ったら、太平洋を挟んで北米大陸もありますから、その言葉が特定の国を指すことだとは、私自身はそういう認識がありませんでしたが、SNSでは中国を指すらしく、それも卑下した感じで使用されているようです。

私の感覚では、大陸vs島国というイメージが強く、むしろ大陸という語感には雄大さを感じていたので、人によって受け止めは異なるものだなと改めて感じました。これに近いイメージとして、「大陸浪人」という呼称があります。これは、明治初期から第二次世界大戦終結までの時期に中国大陸・ユーラシア大陸・シベリア・東南アジアを中心とした地域に居住・放浪して各種の政治活動を行っていた日本人の一群を指したものです。アジア侵略に加担した日本人も含まれますが、中国革命の父・孫文を支援した熊本出身の宮崎滔天のようなアジア解放を目指した革命家もいます。ちなみに、宮崎滔天の名は、1990年代頃までの中国の高校の歴史教科書に「日本九州熊本県人」として記載されていました(山室信一著『アジアの思想史脈』)。

ただ、島国・日本に住んでいると、文字通り大陸という得体のしれない大きさが即中国というイメージがあったのかもしれません。たとえば、アジア太平洋戦争期の1944年(昭和19年)4月17日から12月10日にかけて、中国で行われた日本陸軍の作戦で通称「大陸打通作戦」(正式名称:一号作戦)というものがあります。日本側の投入総兵力50万人、800台の戦車と7万の騎馬を動員した作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、日本陸軍が建軍以来行った中で史上最大規模の作戦であったとされています。目的は、中国内陸部の連合国軍の航空基地占領と、日本勢力下にあった現在のベトナムへの陸路を開くこととされていました。40年以上前から熊本市と友好都市の関係にある桂林市の占領に際しては熊本で編成された師団が侵攻に加わっています。余談ですが、戦後復員した伯父は北京からタイ・バンコクまで日本一歩いた軍隊の一員として従軍していました。とにかく大陸という言葉を蔑称的な比喩として今日使うのは、それこそ島国根性の僻みみたいでみっともない気がします。

写真は、1997年9月撮影のものです。桂林の宿泊先ホテル前の公園で高齢者たちが朝から麻雀を楽しんでいました。認知症対策としては優れているのではと思えました。

ブルーカーボンに目を向けてみよう

わが宇土市の市街地は海抜標高が低く、近世の城下町では舟による水上交通が盛んでした。今も大雨になると、水路の水面から路上まで1mに満たない始末です。市の西部には日本の「渚百選」「日本の夕陽百選」に選定された景勝地「御輿来海岸(おこしきかいがん)」があり、干潮時の砂紋が観光の目玉となっています。ただ、これらの市街地や景勝地も気候変動による海面上昇の影響で、おそらく200年後には海没の可能性があります。しかし、あまり市政課題の俎上に載るまでには至っていないようです。
最近、枝廣淳子著の『ブルーカーボンとは何か 温暖化を防ぐ「海の森」』(岩波ブックレット、580円+税、2022年)を読んでみました。海洋には、マングローブ林、塩性湿地、海草藻場、海藻藻場などのブルーカーボン生態系があり、地球上で最も効果的な炭素吸収源として注目されているそうです。その炭素貯留量は非常に大きく、その貯留の持続性が樹木なのどの数十年尺度のグリーンカーボンに比べて数百~数千年と長期であり、二酸化炭素回帰リスクが低い特長があります。それだけ二酸化炭素排出量の削減に寄与する存在なのですが、このブルーカーボン生態系の破壊が続けば、逆に大きな排出源になる危険を秘めています。
そこで、いかにブルーカーボン生態系の回復を図るかが重要課題になっていますし、そのプロジェクトを進める中で排出権取引となるブルーカーボン・クレジットの販売へつなげていく展望も見えてきます。熊本県水産研究センターでは『熊本県アマモ造成マニュアル』を作成しているそうですが、アマモ場の再生は磯焼け防止や漁獲量回復になるため、取り組む必要があるようです。

敵すらも魅了させるスター性

昨夜のヤクルトの村神様のシーズン56号HR・三冠王達成のニュースは、何度視聴しても飽きない快挙でした。こうして見てみたいという感動を、ライバル球団ファンにも起こさせるのが、まさにスターだと思わされました。
時代は400年ばかり遡りますが、朝鮮出兵における宇土城主・小西行長の動向を描いた軍記「小西一行記」(本文全10巻、付目録)の翻刻文『小西行長基礎資料集―小西一行記―』(宇土市教育委員会、税込1000円、2022年)を読むと、意外なことに敵将である李舜臣についてかなりその才覚を褒め称える記述に接することができます。それだけ小西行長も一目置いていたスターだったのではないかと思われます。
韓国では、忠武公こと李舜臣将軍はもちろん現代においても国を護った英雄として顕彰されています。首都ソウル(写真左、1991年9月撮影)と第二の都市・プサン(写真右、2009年8月撮影)に建つ銅像を見たことがあります。龍頭山公園の釜山タワーの前に建つ李舜臣将軍の視線の先は、小西行長や加藤清正ゆかりの熊本の方向を指しています。今もにらみを利かせていると言ったら考えすぎでしょうか。
そして、いつか村神様の銅像が建つかもしれませんね。