2021年」タグアーカイブ

内政と内省

写真表紙の新書を次に読む予定です。日本にも中国籍のモンゴル人は在留しています。それらの人々の背景を知ることは重要です。しばしば内政問題から自国民の目をそらさすために、他国との権益が絡む領土・領海問題を利用することもあるのではないかと思います。

よし行くかとはならない

2月7日までを期間とする熊本県独自の緊急事態宣言が2週間延長されることが昨日発表されました。熊本市の病床使用率の高さを考えれば中途半端な解除より必要だと思います。昨日は熊本駅からグランメッセ熊本まで往復とも空港リムジンバスを利用しましたが、共に私を含めて最大乗客数は3人でした。2月8日からは航空ダイヤ改正によりさらにバス便数が減るのですが、県外との往来は低く抑えられているのが感じられました。一方、昼に立ち寄った熊本駅ビル内の地元資本のラーメン店では隣にマスクをせずに会話を続ける客が座ったため、席を移動したい旨を店員に伝えましたが、断られてしまいましたので、半分以上食べずに店から退散しました。他店に比べて密な営業をして隣りとの仕切りも設けられていませんでした。店側は売り上げ確保に熱心で気づいていないのかもしれません。しかし、客の立場からすると、二度と入店したくない気持ちにさせられます。

大きなお世話

支援を要する事業所に対して手を差しのべることは必要ですが、えてして怪しい連中から連絡があるものだと知りました。ついさきほど厚生労働省の助成金の案内の電話がありました。社労士をネットワークしている会社だと名乗っていました(社名は伏せます)が、公開していない電話番号への着信でした。番号情報の入手方法について問うと出まかせの回答でしたから、いよいよ怪しさが匂うばかりでした。とにかくご注意を。

昨日見たドクターヘリ

きのうは外国人のための無料相談会に赴いていましたが、相談に訪れた方はゼロでした。コロナ禍にあって在留資格についてよりも生活福祉のために力になりたい部分が多々あり、それらの関連情報が支援を要する外国人住民に伝わっているか心配です。住民税非課税世帯にあっては生活小口資金の返済も免除される見通しとの報道もありました。ぜひ活用してほしいと思います。相談会が終わって熊本城前電停にいたら頭上をドクターヘリが飛んで国立病院へ向かっていました。本日の報道によると、ヘリ搬送されたのは、虐待を受けた幼児ということでした。子どもからすれば親をえらべないこととはいえまったくもって許されない犯罪です。

今年の節分を経て

つい数日前まで節分は2月3日だと思っていましたが、今年は2月2日ということを知って、まだまだ知らないことが多いし、思い込みというものにこうして陥るのだと体験させられました。常識がほんとうに常識なのかを確かめてみる心掛けがなにごとにつけ必要です。

幻想

E・F・シューマッハーの『スモールイズビューティフル再論』(講談社学術文庫、1180円+税、2000年)のp.32-33に私たちがごまかされやすい3つの幻想が記されています。
引用すると以下の通りです。
第一に、安価な燃料と原料が無尽蔵に供給されるという幻想
第二に、ごく低い報酬で、退屈で機械的でうんざりする仕事をあえてやろうという労働者が、これも同じく無限にいるという幻想
第三に、科学と技術がやがて、もうすぐすべての人を豊かにするので、余暇と財産を一体どうあつかうかという問題だけが残り、他の問題が消滅してしまうだろうという幻想
さすがに、これが書かれた時代は50年ほど前になるので、現代の視点からはかなり楽観的で、もっと危機感はあるだろうとは思いますが、どうしても見たくないものは見ないという人からすると、今も通用する話かもしれません。
ところで、著者は1955年、当時は英国石炭公社に勤務中でしたが、3か月間のビルマ(現ミャンマー)連邦政府経済顧問就任の委嘱を受け、これを引き受けます。ビルマでは直ちに仏教寺院に身を寄せます。そこではビルマ人が欧米流の経済開発を必要としないことを見てとります。そのときの経験が現代経済学に対する仏教経済学という独自の考えに発展していきます。著者の考えによれば、現代経済学は、消費が経済活動の唯一の目的であり、土地・労働・資本といった生産要素をその手段と見ます。適正規模の生産努力で消費を極大化することが目的となります。これに対して仏教経済学は適正規模の消費で人間としての満足を極大化することが目的となります。地域の必要に応じ、地域でとれる資源を使って生産をおこなうのが、もっとも合理的な経済生活ということになります。消費に対する考え方がまったく異なります。天然資源のすべてについて可能とはならないにしても傾聴に値するものがあります。

緊急事態なのは

例年通り早めにということで、本日当事務所の確定申告を提出してきました。今年は税務署入り口の外にカウンターが設けられており、いつもと違った光景でした。ところで新型コロナの緊急事態宣言は一部の県を除きあと1か月延長になる見込みという報道が出ています。熊本県独自の宣言の延長もどうなるのか気になります。移動を控えている今のような環境こそ脱炭素社会の実現を考えるには良い機会だと考えます。でなければ、ほんとうに緊急事態なのはこちらであり、もっと長期的に対応する必要があります。

1月も終わり

きょうで1月も終わりです。昨年1月半ばに東京へ行く機会があり、次男とは学内で会いました。ですからリアルでの対面は丸1年ありません。ときおりZOOMでネット越しに顔を合わせることはあります。この1年の行動変容には凄まじいものがあります。同時にこれまでの消費がほんとうに必要なものなのか、人類の将来にとって有益なものなのかどうか、経済を回すことの道義も問われた1年だったように思います。

人権第一に考えれば

人権を第一に考えれば、人権を侵害された人の国籍や民族で扱いを変えるべきではありません。政府同士が対立するのも不毛です。昨日の朝日新聞のオピニオン面で中国人強制労働問題で被害者と企業との和解に取り組んでいた弁護士の意見が傾聴に値すべきだと思いました。実際、日本政府は、中国人強制労働者と企業の和解では口をはさまなかったのに、韓国の元徴用工判決については国際法違反だと反発して見せ、互いに国家間対立を高める結果を招いています。国際法を持ち出すならそもそもの元徴用工が受けた人権侵害も国際法に反しており、不正義の原因を作った側が法律の手続き面のことであまり大きな顔をすべきではないと考えます。1965年の日韓国交正常化の実態でも日本側の資本でプラントを韓国側に建設してその後の利益を得たのは韓国以上に日本側ということもありました。1950年代前半に朝鮮半島の分断をもたらした朝鮮戦争の時期においても日本はずいぶん儲けさせてもらった負い目があることも忘れてはなりません。日本側も韓国の司法を判決に追い込むのではなく、和解に持ち込む知恵と贖罪が必要だと思います。

研究の方向

E・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫、1380円+税、1986年)のp.186にアインシュタインの発言(邦訳『アインシュタイン平和書簡』、原書1960年出版)を引いている箇所があります。これは原子力についての考察の中で記述ですが、紹介すると以下の通りです。「人類は自然に反しては生きられないのと同様、科学・技術なしでは生きていけない。ただし、熟考を要するのは、科学研究の方向である。この点は科学者だけに任せるわけにはいかない。アインシュタインが述べているように、「科学者の大多数は経済的にはまったく自立しておらず」、また「社会的責任感のある科学者はまれ」なので、この方向を自分たちでは決めることができない」。科学者全員がこれほどひどいとは言いませんが、たとえばある事業を行うときに技術的には正しいとか優れていても経済的な視点や環境に及ぼす影響を考えると疑問というか愚かなことというのは多々あります。人間はどうしても都合のいい部分を過大に見てしまい、あげく罠にかかることがあります。当事者だけならともかく他者へ取り返しのつかない悪影響や被害ももたらすことがないのか、天才が述べる通りそれに気づくのは容易ではありません。

そんなバナナの話

1983年11月の大学祭において社会学者の鶴見和子氏の話を聴く機会がありました。そのときも和服姿でした。同氏も不知火海総合学術調査団の一員として参加執筆された『水俣の啓示』(筑摩書房)を同年夏に読んでいた私は、その読後感(内発的発展論)も含めて講演後に質問をしました。その際に、氏から受講者の中に同書の読者がいたことを知って本日来た甲斐があったとすごく喜んでくれてずいぶん恐縮しました。同時にその講演の際に、氏は従弟の人類学者である鶴見良行氏がやはり前年8月に出した『バナナと日本人』(岩波新書)を紹介されました。また、この本に影響を受けて、バナナを食べないようにしたことを披露されました。鶴見和子氏にいたく褒められた私もその日を境にバナナを食べることを止めました。もちろん『バナナと日本人』も読みました。一日本人がバナナを食べなくなったからといって生産輸出する多国籍企業には痛くも痒くもない話ですし、フィリピンの農民が救われることにつながったか、因果関係を証明することは不可能であることは重々承知です。しかし、真実を知ってそれに対して何か行動をするという学者の信念の強さとか清々しさに当時の私は触発されたのは事実です。きょう朝から農業のことに思いを馳せる時間があって、今も食べないバナナのことを思い出しました。

たまには現物を見てみないと

ある機器を家電量販店へ見に行ったついでにPC売り場ものぞいてみました。日頃プリンターインクの購入でサプライ品コーナーには立ち寄りますが、改めて最新機種を見てみると、CPUの世代やHDDからSSDといった変化を知って、たまには現物を見て販売員の話を聴いてみる必要を感じました。

知のオープン化

たまにいろんな大学のホームページを眺めてみると、オンラインでの公開講座などの情報に接することがあります。わざわざ外出する必要がないので、かえって多くの知に触れる機会が得られている気がします。ただし、ライブだと視聴日時が自分の予定との重なりをどうしても受けてしまいます。それと、同時アクセス数の制約があり、事前登録制をとっているものが多いように感じます。大学としては、有料であってもそれだけの価値がある内容であれば、積極的に活用してみて存在を示してみてはと思います。

最後は独り

一昨日、昨日と親族の弔事に参列しました。葬儀場でのコロナ対策については見聞きしていましたが、火葬場への参列も10人前後に絞られる入場規制が設けられていました。親族の火葬の前の時間に近隣で起きた事件被害者の火葬もあっており、享年はさして違いがないのですが、最後の見送られ方の違いを感じました。一方でどのような人生であれ、最後は独りずつ逝くわけでそれはだれも同じなのを改めて感じる機会となりました。

我独恥天地

写真は地元市役所別館の一室にかかっている額です。似たような言葉で、和気清麻呂の「我獨慙天地」というのがあるようです。それだと、「我独り天地に慙ず(われひとりてんちにはず)」と読み、「国家の命運が誰と議論するでもなくただ自分の判断に懸っていて、とても畏れ多いことで不安で仕方ない」という意味があるそうです。写真の揮ごうでは「恥」の字と差し替えになっています。首長ともなると、そういう気持ちを持つのかと思います。

パブコメは重要

地方自治体等の行政が計画策定にあたり、素案を住民へ開示しパブリックコメントを求めることがあります。その素案があまりにも質が悪いものであっても、呆れて何も言わないのではなく、あえて指摘すべきだと思います。策定委員がいながらほとんどが民間のコンサルタント任せでどこかで見たようなキャッチフレーズだけの願望をとりまとめた実現性の見えない計画は単なる作文にすぎません。職員に襟を正してもらうためにパブコメは大いに活用したいと思います。

影響徐々に

16-17日の全九州高校選抜大会は無事終了した模様ですが、24日の全国高校選抜大会県予選は開催中止となりました。昨春の緊急事態宣言期間中の状況に近く徐々にさまざまな行事の予定変更が出てきています。人の往来の制限についてよりも無症状の感染者の存在にこそ要因があるので検査の充実が予防の本筋だと考えています。

次回は2月3日

本日午後は熊本市国際交流会館において行政書士による外国人のための無料相談に対応しました。といっても、さすがに緊急事態宣言が発令されている期間中のため、街中の人出も閑散としていて、相談者はありませんでした。次回は2月3日(日)午後に相談員として対応します。