新年を迎えるため鏡餅を準備しました。ミカン代わりに畑で収穫したレモンを使ってみました。ラクビーブームにあやかり楕円形に惹かれたのと、葉が付いたレモンに希少性を感じたからです。我が家では長男が大学受験です。合格や当社の事業成功に向けてトライする気持ちも込めてみました。それと、新聞広告で気になっていた、ヒロシの日めくり「まいにち、ネガティブ。」(自由国民社発行、1000円+税)を買い求めました。すでに10万部以上出ているそうです。てっきり2016年のカレンダーだと思って買ったのですが、1~31日分(枚)の確かに日めくりでした。どの年月でも使える万年カレンダーと考えれば安いのでしょうが、今年最後のうっかりでした。ネガティブといいながら、常に自分を客観視できるヒロシに見習って自省する時間を毎日もってみるのもいいかもしれません。
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第6期行動指針
株式会社アテンプトの平成27年分の法定調書や第5期の確定申告書の作成が整い、年明け早々に書類の提出や納税を済ませる予定です。来月は、個人事業者分である関輝明行政書士事務所の確定申告書の作成にかかります。例年これらの税務手続きはすべて自前で行っています。
さて、第6期の最初の1ヶ月が過ぎようとしています。今期の行動指針は結局前期と変わりないものを掲げました。常に意識していきます。
1.知的財産の蓄積と更新に努める。事業にすぐに役立つ知識・経験の研鑽はもちろんのこと、将来の展開に備えて有用な知識・経験の啓発に対して積極的にかかわるようにする。当社の原資は金銭的な資本よりも、知的資本である。自己啓発活動を通じた人的ネットワークの充実、それに基づく信用と正義のネットワークが、事業発展の源となる。
2.農業分野の事業を拡大させ、収益を強固にする。
3.借入金の返済に万全を期し、債務超過脱却に向けて財務体質の健全化を推進する。
4.健康な身体と精神の涵養に努める。身体が健康でなければ、事業推進のために動くことができない。日頃から予防を心がけ、安定的に行動できるようにする。メンタル面の健康もチェックする。悲観的な思考からは、価値ある事業の成果は生まれない。ビジネスと休養のバランスを考えた生活を行う。
相思社メールニュース「書籍のご案内」転載
こんにちは、相思社メールニュースです。【以下転載】
今年も押し迫って参りました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
本年も皆様の温かいご支援に支えられ一年を過ごすことができました。
来年は水俣病公式発覚から60年の年を迎えます。
「二度と水俣病を繰り返さない社会」は私たちの目指すところですが、
水俣病事件の失敗はいまも日本で、世界中で繰り返され、
現実を前に、この言葉が虚しく響きます。
しかし、来年も、私たちの犯し続ける事実を正面から受け止めながら、
諦めず「もう一つのこの世」の実現を目指して参ります。
来る年の皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
今年最後のメールニュースは二冊の本のご案内です。
ご注文方法等の詳細は最後に記させていただきました!
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1)香山リカさんと相思社永野三智の対談本「ヒューマンライツ」のご案内!
2)三人委員会水俣哲学塾の議論が本になりました!
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1)香山リカさんと相思社・永野の対談が、本になりました!
ヒューマンライツ~人権をめぐる旅へ~(香山リカ)
アイヌ否定問題、レイシズム、ファシズム、水俣病、そして世界の人権状況など
に取り組む7人との対談集。いまこそ「ヒューマンライツ=人権」を語ろう!
もともとは、雑誌「クロワッサン」の人権特集企画で、
アイヌの人や在日の人たちに対するヘイトスピーチ、
いじめについての対談が掲載されたものを本にするときに、
新たに水俣病などの社会問題を入れ込んで企画されたものです。
香山リカさんが5月に水俣にいらして、水俣病歴史考証館見学後に
水俣病センター相思社で永野三智と対談をしたものも掲載されています。
★目次★
人権をめぐる旅へ(香山リカ)
アイヌ民族否定問題 with マーク・ウィンチェスター
世界の人権状況 with 土井香苗
部落解放からの反差別 with 小林健治
水俣病患者支援 with 永野三智
ジェノサイドの残響 with 加藤直樹
マイノリティと反ヘイト with 青木陽子
いじめとレイシズム with 渡辺雅之
「人権をめぐる旅」のブック&サイトガイド
ご注文、お待ちしています!
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2)三人委員会水俣哲学塾の議論が本になりました!
2014年10月、三人委員会水俣哲学塾を開催いたしました。
原発事故以降、事実が語り合えないような閉塞状況の中で、
高度経済成長の光と影を象徴し、いまなお苦しみと闘いが継続する水俣から、
タブーを設けず水俣、そして福島を大胆に話し合いたいと思いました。
水俣が重ね続けてきた失敗を振り返り、すべてを我が事として捉えなおすことで、
参加者がそれぞれの場所で社会や未来を変えていくきっかけになることを望んで、
漁師、緒方正人さんをゲストに招いて水俣哲学塾を開催しました!
その議論が本になりました!ぜひお読み下さい。永野三智
<水俣哲学塾に寄せたメッセージ>
緒方正人さん
人間の危うさと愚かさと、されどどうしようもなさ。
いま、その巨大な壁にぶつかっている。
まやかしの虚構、偽りのシステムの中で延命的に続く幻想が崩れた時、
絶望が生まれる。その絶望感からしか何も生まれない。
どうしようもないけれど、絶望の淵で普遍性を探している。
大転換が起きるところは、方法論ではない。
立場、加害者・被害者、年齢、国籍、性別でもなく。
一人という地点では、決定的な違いではない。
私が一人という私に立ち返ることが、立場を超えることに繋がる。
内山節さん
自分に立ち返るとは、自分はどんな関係のなかで生きているのかを
見つめ直すことだと思っている。自然や他の人々との直接的な関係もある。
自然とどんな関係をつくって生きているのか、
人々とどんな関係をもちながら生きているのか。
それだけではない。
原発とどんな関係のなかで生きてきたのか。
原発を成立させてきた時代と自分はどんな関係をつくっていたのか。
水俣病との関係も同じだろう。
私にとってそれは、一面では遠く離れた地域の出来事だった。
しかし水俣病を生みだし、その後も患者さんたちを
苦しめつづけたこの社会とも、私は関係をもちながら暮らしてきた。
その意味では、被害者、加害者という言葉ではくくれない
関係者として生きてきた私がいる。
自分とともにある関係の世界をみつめ、どの関係を守り、
どの関係を変えるのか。
自分に立ち返るとはそういうことだと思う。
大熊孝さん
1974年私は新潟大学土木工学科の助手(水理学・河川工学担当)として赴任し、
阿賀野川の昭和電工排水口付近河床の水銀封じ込め工事を始めとして、
新潟水俣病とかかわりを持つようになった。
1989年に映画「阿賀に生きる」(佐藤真監督、1992年完成)の
製作員会代表となり、映画の資金集めを担当した。
この映画は新潟水俣病患者の日常を描いており、
自然と共生してきたがゆえに新潟水俣病になってしまった矛盾が描かれている。
しかし、自然との共生が“からだ”と“こころ”を強靭につくり、
矛盾の中を生き抜く力を育んでいたことも描いている。
3・11以降、再度この映画が脚光を浴び全国的に上映会が展開されている。
自然との関係性が切れた我われは今後を生き抜くことはできるのだろうか?
鬼頭秀一さん
宇井純の有名なテーゼに、「公害には第三者はいない」というものがある。
第三者でいることが結果的に加害者として振る舞ってしまうということである。
第三者を装ったメディアなどの言説は往々にして、
まるで官僚が政策論的に問題を見るような視点で行われている。
しかし、私たちは一人の生活者として、生身の人間として、
一つの生物として、自然に根ざし、
さまざまな動植物や地域の人たちの関係性の中に生きている。
「水俣」の「被害」も、「福島」の「被害」も、
そのように地べたを這いずり回って生きている
一人の生活者の「生活」の総体に及んでいる。
加害者の視点にも通じる第三者的な視点ではない形で、
その「被害」を捉えることでしか、問題の本質に迫ることはできないし、
この問題を招来した「近代」を越えることはできない。
自分に立ち返り考えることから始めたい。
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「ヒューマンライツ」「三人委員会水俣哲学塾」どちらも1620円(税込)です。
送料は一冊でも二冊でも500円(税込)ですので、二冊買うとお得ですよ!
ご注文はこのメールにご返信下さい。発送は年明けです。
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※このメールニュースは、相思社のスタッフが名刺交換をした方にもお送りしております。
配信をご希望でない方は、お手数をおかけしますが info@soshisha.org まで停止のお手続きをお願いいたします。
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一般財団法人 水俣病センター相思社
〒867-0034 熊本県水俣市袋34番地
電話 0966-63-5800/FAX 0966-63-5808
営業時間:9時~17時
休業日:毎週土曜日 年末年始
ウェブサイト http://www.soshisha.org/
E-mail info@soshisha.org
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大香楼
おそらく1年以上前から地元にありながら昨日初めて訪れた中華料理店です。味はもちろん値段にも満足できました。これから選択肢に加えようと思います。
せせらぎ
今年最後の忘年会は、八代市東陽村の温泉センターせせらぎでした。初めて訪問したところでしたが、入浴と食事の料金が安く非常にお徳感がありました。お湯の方は、かけ流しというせいなのかどうかわかりませんが、ぬるめなのが少し物足りない感じです。熱めのお湯が40-41度ということでしたので、温まるとまではいきませんでした。個人的な好みの問題なので、別に施設側は気にされることはない話です。それと、同地は、生姜が特産品ですので、料理にも生姜を多用すればいいのにとも思いました。生姜ドレッシングも商品化されて物産コーナーでは販売されていましたが、せっかくの食事に試せるようテーブルに置いておく工夫があってもいいのにと思ってしまいます。
裁判官は頭の中を覗かれる仕事
24日、福井地裁の林裁判長は、関西電力高浜原発3・4号機再稼動を即時差し止めた今年4月の同地裁・樋口裁判長(当時)による仮処分決定を取り消しました。大飯・高浜原発差止仮処分弁護団共同代表の河合弘之弁護士は、決定内容が「(取消しを求めた)関電の主張のコピペだ」と語っています(朝日新聞記事より)。河合弁護士の著書『原発訴訟が社会を変える』で振り返ると、樋口判事は、高浜原発の運転差止め以前に出した大飯原発3・4号機運転差止め判決文に次のような一節を書いているそうです。「当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」。つまり、電気代の安さよりも、国民の生命と安全な暮らしが優先ということになります。極めて当然の判断だと思います。このように裁判官の判断は公開されますので、頭のデキが公然と評価の対象となります。なんとも因果な商売ですが、一方の林判事は、電力会社側の主張の完全コピーで職務を果たしていたということですから、それはそれで相当図太い神経のようです。
外国人雇用は表玄関から受け入れを
12月21日の日本農業新聞1面コラムにおいて、内田樹氏が「米国模倣は解ならず」というタイトルで、米国のこれまでの発展の歴史は特殊だったと、書いていました。米国が繁栄できた、アドバンテージの理由は二つあると、そこでは指摘しています。一つは、ただ同然の労働力である奴隷制度があったこと。もう一つは、ただ同然のエネルギーである石油の産出というのです。ですから、米国をマネるのはムリというわけです。しかし、日本でも安上がりな労働力として外国人技能生を招いてたりしています。米国を引き合いに出すのもいいですが、まず足元も見ないといけない気がします。外国人雇用については表玄関からの受け入れを進めるべきだと思います。
クラウドファンディング
かつてネット献金についてリサーチした経験がありますが、当時は献金がなくても決済代行会社に支払う月額固定費がかかり、導入をためらう代物でした。そして、このところ注目を浴びているのが、クラウドファンディングという手法です。ふるさと納税で自治体からお礼の特産品が送られるように、寄付した方へ「リターン」としてお礼の品物を送る仕組みもあるようです。支援している団体での導入に向いているかもしれません。
法制度を前提と考えない
樋口範雄著『超高齢社会の法律、何が問題なのか』(朝日選書、1400円+税、2015年)では、著者が英米法の専門家ということで、米国の高齢者法の運用事例が豊富に紹介されています。米国では後見も相続も裁判所で手続きされるため、個人的な事情が他人の目に触れる可能性があります。つまり公開されるというのが当たり前になります。したがって、後見や相続は避けることが勧められています。代替手続きとして持続的代理権や生前信託の活用がなされています。日本でも法制度としては、後見や相続の定めが整っていますが、それを使うのがいいのかというのは、確かに別問題です。著者が記述しているように、法定相続分や遺留分があたかも相続人の権利であるかのように一般に理解されているのは、被相続人(故人)の意思の尊重とは遠いところにある気がします。法制度がそうであるからその利用に縛られるのではなく、本人の思いを反映するにはどのような手順がいいのか、実務の専門家の知恵の出しどころかもしれません。
契約の儀式に陥っていないか
樋口範雄著『超高齢社会の法律、何が問題なのか』(朝日選書、1400円+税、2015年)は、その後も得るところが多いので読み返しています。改めて思うのが、日本では契約の場面で自己決定の権利が確保されていないということです。病院や介護施設が用意した文書を一方的に示され、なんら条項を変更交渉することなく同意を求められてしまう現実があります。高齢者法について掘り下げて研究してみたいと思います。
年末モード
きょうは二学期の終業式。年賀状差出の準備も終わり、すっかり年末モードです。それでも今週24日は、当社の創立記念日、早や設立5周年を迎えます。実質的創業は設立後2ヵ月経過してからですので、正確には満5年にはならないのですが、それでもなんとか継続してきていることには、感慨があるものです。過去就職したことのある2社はいずれも設立5年を過ぎたばかりのベンチャー企業でした。会社としての形が一応なって目標に向かって飛躍する時期でした。だいたいこれからの10年ばかりが最もエキサイティングな経験ができます。楽しんでいきたいものです。
対談本の紹介
香山リカ氏の最新著『ヒューマンライツ 人権をめぐる旅へ』(ころから、1500円+税、2015年)は、人権擁護に活動している7人との対談集ですが、その対談者の一人に水俣病センター相思社の常務理事が入っています。読んでみたいと思います。
第5期定時株主総会
本日、株式会社アテンプトの第5期定時株主総会を開催しました。といっても、株主兼代表取締役1名の小会社なので、実質的には書面だけでの開催ですが、きちんと事業報告は作成し、計算書類の承認も行います。会社の現況を数字で捉えて、次期に生かすことは大切です。
今夜は熊大で講演聴講
今夜は、熊本大学水俣病学術資料調査研究推進室主催のシリーズ講演 「今まで語られてこなかった水俣病研究史」の第2回目です。「熊大医学部水俣病研究班の活動とその限界」がテーマとなります。写真は熊本空港から阿蘇方面を見たけさの風景。
高齢者法
樋口範雄著『超高齢社会の法律、何が問題なのか』(朝日選書、1400円+税、2015年)は、まだ読みかけの本ですが、なかなか痛快です。著者は、もともと英米法が専門に研究されていますが、米国では「高齢者法」の実務が進んでおり、現在はその分野で大学で講義をされています。私が在学した大学でも教授されていた経歴をお持ちですが、残念ながら当時は接点がなく、本書が初めての出会いとなります。痛快というのは、現実の問題解決に法も法律家も追いついていないのを、誰はばかることなく指摘されているからです。認知症家族の監督責任しかり、終末期医療の中止の同意責任しかり、高齢者本人の周囲が過大な責任を負わされる無理筋の判断を誤ってしてしまいがちな、専門家への警告ともいえます。成年後見制度も使い物にならないとして、持続的代理権の活用を提言されています。本書の内容を理解して高齢者本人にとっても家族にとっても、さらには若い世代にとってもどういう法的サポートがいいのか、考え実践したいものです。
『大世界史』読後メモ
池上彰・佐藤優共著『大世界史 現代を生きぬく最強の教科書』(文春新書、830円+税、2015年)を読んで、それぞれの著者に親近感を持った記述がありました。
まず、池上氏。同氏は、東京工業大学教授も務められていますが、同大での戦後史の授業では、水俣病の話をしているとのことでした(p.247)。そこでは、自分が勤めている会社が公害原因企業であると気付いた社員の振る舞いを引き合いに、学生たちへ「君たちは、こういう会社に入って、この立場になったら、さあどうする」と問いかけているそうです。その途端、学生たちの顔色が変わるそうですが、歴史を学ぶことは、それ自体、哲学なのだという思いを強くします。本書のp.225でも池上氏は、高等教育におけるリベラルアーツの大切さを語っています。「すぐに役に立たなくてもいいこと」を学ぶことが、長い目で見ると、「本当に役に立つ」ことであって、「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」というのは至言です。日本の大学が職業訓練学校化していく今の流れを批判するもので、大いに賛同します。
次に、佐藤氏。本書のp.130と巻末の「世界史を学ぶためのブックリスト」で、エリック・ホブズボームの『20世紀の歴史』(河合秀和訳、三省堂)を取り上げています。『20世紀の歴史』は、訳者が私の大学時代の恩師ということもあって、読んだことのある大書です。こうした実証性と客観性に満ちた書物に日頃から接しないと、ついつい反知性の陰謀論などに取り込まれるのを警告されていると感じました。
教育給付と介護給付は将来への投資
経済協力開発機構(OEDC)が11月に公表した、国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合の調査結果によると、日本は、OECD加盟国中、比較可能な32カ国で最下位だったそうです。特に大学など高等教育では34.3%と、平均の69.7%を大きく下回っています。ここまで低いと、家庭の所得格差がそのまま子どもの教育格差につながり、低い賃金が当たり前となっては、税収も減り、結果的に将来の社会にとって大きな損失となります。将来の現役世代が生活に不安を抱くようになれば、高齢者を取り巻く介護社会も一層に不安なものになってきます。教育給付も介護給付も将来への投資と考えて対策を講じることが、未来を明るくする気がします。
水俣展キックオフ講演会
介護社会
このところNHKの番組で介護社会の問題を取り上げています。一つは、費用負担の問題。もう一つは、担い手不足の問題。この二つが大きな問題だろうと思います。介護を必要とする人たちは多くなる一方なので介護給付が増えるのは当然です。一方で、その給付費は介護保険料や税金が財源なのですが、それを支える人の数は減りつつあります。つまり、これまでのような充実した水準の介護サービスが提供されることが期待しづらくなってきています。さらに、給料が他産業に比べて安く、しかも重労働である介護の仕事は嫌われて、携わる人の確保が困難で、施設や設備は整っても稼動できない事象も発生しているようです。たとえば、予防介護給付のうちの訪問介護や通所介護は、多くの市町村で2017年度より介護保険事業から市町村事業へ移ることになり、介護事業所の報酬収入は減る上に、実際に市町村が担い手を確保できるかという不安があります。介護給付そのものは地域の経済を支える基礎ですから、あまりマイナス視するのは考えものだと思います。介護給付の負担以上に国が無駄遣いしている財源はたくさんあります。あまり若い世代に負担を強めると、ますます担い手不足になる気がします。さらに言えば、介護も手厚くすると共に、教育を手厚くすることが求められているのではないでしょうか。
安心な老後を迎えられる社会、納税できる質の高い担い手を生み出す教育を提供できる社会を作るための「法」の設定、法の理念を実質化する主権者「教育」、法・教育を補完する経済的「福祉」が重要性を増しています。
生存権と渡来
斎藤成也著『日本列島人の歴史』(岩波ジュニア新書、840円+税、2015年)によると、日本列島人の形成モデルとして3段階の渡来の波があったという仮説を述べられています。第1波は、約4万年~約4000年前に、ユーラシアのいろいろな地域から日本列島の南部・中央部・北部の全体にわたってやってきました。大陸と地続きの時代もあったわけで、それは可能でした。第2波は、約4000年~約3000年前の時代となりますが、日本列島の中央部に、朝鮮半島・遼東半島・山東半島に囲まれた沿岸域および周辺が起源だった可能性のある渡来民です。この第2波渡来民の子孫は、日本列島中央部の南側において、第1波渡来民の子孫と混血が進んだと見られています。第3波の前半は、約3000年~約1500年前の時代です。朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から、第2波渡来民と遺伝的に近いながら若干異なる第3波の渡来民が日本列島に到来し、水田稲作などの技術が導入されました。そのため、九州北部がある時期までは文化の中心でもあったようです。第3波の後半は、約1500年前~現在となります。引き続き朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸からの移住がありました。その過程で、第1波や第2波の渡来民の子孫の列島内での移動や子孫の混血が進みました。
列島人の祖先がどういう理由で渡来したのかわかりませんが、生きるためであったことは否めません。今日の世界に目を転じると、難民という形での移動があり、まさに歴史が動いています。渡来ということは人間の生存権として侵すことのできない基本的人権であり、明らかに生命に係る不利益を持ち込まない限りは拒むべきではないというのが歴史の必然ではないかと思います。
続いて、池上彰・佐藤優共著『大世界史 現代を生きぬく最強の教科書』(文春新書、830円+税、2015年)を読み始めていますが、歴史を学ばずして政治は語れないということを認識させられます。マスコミや個人発信を問わず、さまざまに飛び交う言説の真贋や価値を見極めるにも、歴史的背景を理解しての考察力が書き手に備わっているいるかどうかが手がかりになります。