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鬼畜同然の物言い

81年前のサントス事件など第2次世界大戦中と戦後にブラジルで日系移民が受けた迫害に対して、同国政府が初めて謝罪したことが、けさの新聞で伝えられていました。ブラジルではこれまで日系迫害について歴史教科書での記述はなかったことから、今回の謝罪が積極的な歴史教育への出発点になることが期待されているとも報じられていました。
さて、地元熊本県に目を転じると、昨日の知事の定例記者会見での発言に憤怒の念を抱きました。内容は、県が除斥期間を主張している水俣病訴訟での対応について問われた際の回答です。旧優生保護法訴訟最高裁判決で被告である国が主張した除斥期間の適用について著しく正義・公平に反するとして退けられ、判決後に首相も主張を撤回する考えを示しました。ところが、知事は、「旧優生保護法と水俣病の問題を一律に議論するのはふさわしくない」と鬼畜同然の物言いを行っています。
不法行為から20年の経過で損害賠償請求権が消滅する除斥期間の主張をするということは、後から被害を訴えた患者は一切救済せずに切り捨てると述べるのと同じです。この一点だけでも「県民に寄り添う」という日頃の知事の言葉が、いかに口先ばかりか、棄民政策の実行者に過ぎないかということを示していると考えます。付け加えて記すと、水俣病原因企業のチッソも現在進行中の訴訟で除斥期間の適用を主張しており、チッソ代理人弁護士は適用を認めない判決を「民事司法の危機」、適用を認めた判決を「信頼を回復した」「極めて正当」と表現し、加害者にもかかわらず不誠実で傲慢な態度を取り続けています。つまりは、県の姿勢はチッソと変わりないのです。まったくもって不正義です。
頑なに除斥期間の主張を続ければ、仮に将来実施する汚染地域居住歴のある住民対象の健康検査で見つかった患者は救うけれども、自ら被害を訴えて名乗り出た患者は救わないという不公平も生じかねません。逆に考えると、そうした不公平が出ないように患者を見つけない健康検査しか行わないつもりかもしれません。
冒頭歴史教育について触れましたが、本日の朝日新聞「交論」欄において、大学教養課程の年齢層の若者の歴史観を問われた歴史学者の宇田川幸大氏が次のように語っていました。「『時間切れの現代史』と言われるように、高校で戦争や植民地支配のことをあまり教えられていないので知識不足が目立ちます。何も知識がないまま、インターネットやSNSに広がる歴史修正主義にさらされるのは、あまりに危険です。その意味で、歴史教育はますます重要になっています」。
それは、いい歳した大人、たとえば知事職にある人物の資質にも言えると思います。地元紙の報道では、水俣病未認定患者の救済に国や熊本県とは対照的に積極的に対応していると、新潟県知事を評価しています。一方で、同知事は、ユネスコの世界文化遺産登録が目指されている佐渡鉱山への朝鮮人の強制連行を記述した「県史」を尊重しようとしていないと指摘する歴史学者(外村大氏)もいます。
知事の経歴は一般的に外形的には立派な人物が多いように思いますが、ときに判断を誤ることもあると思います。どのような歴史教育を受けてきたのか、今も歴史に学ぶ器量があるのかを、県民は見極める必要を感じます。
写真は記事と関係ありません。パリ・ロダン美術館(1991年12月撮影)。

無知は無恥

台湾出身で日本在住の芥川賞作家の李琴峰さんが、本日の朝日新聞国際面で台湾の人々の政治意識を語る中で、日台の関係はいびつだと指摘していました。日本国内の保守派による台湾に関する言説についても冷ややかに捉えてました。やや長い引用となりますが、次のように述べています。「日本の保守派はよく「台湾が好き」と言いますが、その言説を観察すると「日本の植民地時代のおかげで台湾が近代化した」「だから台湾人は日本が好き」などと紋切り型の表現を使います。植民地支配の歴史を正当化するために台湾を都合良く使っているだけではないでしょうか。」。台湾の人々が抱く日本の工業製品や文化商品に対する親しみの感情は確かにあると思います。しかし、かつて日本の植民地であったことを良かったと考える台湾人は皆無に近いのではないでしょうか。統治対象であった本省人の末裔もいれば、日本の侵略対象となった中国本土から渡ってきた外省人の末裔もいるのですから、容易に解りそうなものですが、あたかも植民地統治時代からも台湾の人々が「親日」的だと都合良く考える日本人がいたとしたら、無知で無恥だと言わざるを得ません。
もっとも、台湾の人々の中にも、日本との政治的あるいは経済的な協力関係を重視するあまり、リップサービスで「親日」を強調する向きがあるかもしれません。今週、熊本県内の技能実習生監理団体で働くインドネシア人の方の話を聞くセミナーの機会がありました。イスラム教の戒律をめぐる情報は非常に役立ちましたが、それと共にインドネシア独立の際にオランダと闘った残留日本兵の存在を引き合いに、その方がインドネシア人の「親日性」を語ったので、他の無知な受講者をミスリードしないかと気になりました。
1942年3月から1945年8月までの日本軍による軍政下におけるインドネシア人に対する非道な支配の犠牲者は国連の報告によると約400万人といわれます。そういう史実を知らないまま相手先の人々に接すると恥をかくことを忘れてはならないと思います。30年以上前に一度インドネシアを訪ねたことがあります。日本軍による多くの犠牲者が眠る場所近くは下車する勇気がなくタクシーで付近を通ってもらって眺めるだけにしました。
写真は、ジャカルタ市内。1991年7月撮影。

フタをすることだけが早業だった

現県知事が「政治の原点」とかつて口にした割には、こと水俣病問題解決に向かってこの16年間、県政の良き流れがあったとはとてもいえません。本日の熊本日日新聞1面の「点検 県のチカラ」の7回目記事にあるとおり、2013年の最高裁判決や国の不服審査会裁決が示した感覚障害のみの患者認定の判断、あるいは2023年の大阪地裁が示した水俣病特措法の救済漏れを認めた判決などに、一貫して背を向けてきたのは明らかでした。
その一方で、チッソが1968年まで有機水銀を垂れ流した、百間排水口の木製樋門(フタ)を水俣市が撤去する計画が持ち上がり、現地から反対の声が上がった際には、いち早く知事が県の予算で現場保存に昨年7月乗り出したことがありました。そのフタは、工場廃水が流れていた当時のものではありませんし、新たに設置されるレプリカのフタ自体には水理機能上の意味もないものです。被害拡大の事件史的視点から言えば、百間排水口から一時期変えた、水俣川河口近くのチッソ八幡プールの排水路からの有機水銀流出がより悪質だったわけで、私自身はフタ保存の必要性をさほど感じていません。むしろフタをすることで被害者に寄り添う格好のポーズ作りの材料にさせられただけだったと考えています。
※写真は記事と関係ありません。パリのポンピドゥーセンター(1991年12月撮影)。当時は広場で火を噴く大道芸人がいましたが、今はどうなのでしょうか。

熊本市国際交流会館で無料相談

毎月第1水曜日と第3日曜日の13:00~16:00、熊本市国際交流会館2F相談カウンターにおいて、熊本県行政書士会会員の申請取次行政書士が、無料相談に応じています。
11月19日(日)13:00~16:00には、当職が相談員として対応いたします。
https://www.kumagyou.jp/?page_id=220
https://www.kumamoto-if.or.jp/plaza/default.html
https://www.kumamoto-if.or.jp/kcic/kiji003277/index.html
写真は記事と関係ありません。インドネシア、ジャカルタ国立博物館(1991年7月撮影)。

アレではなくコレだ

「エッフェル姉さん」などと共に新語・流行語大賞2023にノミネートされた「アレ」について本日の朝日新聞教育・科学面に面白い記事が載っていました。言語学者の研究によると、指示詞の「あれ」や「これ」を表す単語は、世界的にあるそうです。しかも面白いことに、文化や地域が変わっても、対象物が自分から50センチ程度までの「手の届く範囲」を「これ」と表現する傾向が、世界共通ということでした。その意味では18年もリーグ優勝から遠ざかっていた阪神ファンにとっては、まさしく「アレ」であり、さらにその倍以上の38年ぶりの日本一は「アレのアレ」に違いなかったと言えます。記事は空間範囲についてしか触れてありませんでしたが、時間範囲で言えばぜひ来季から「コレ」を達成し続けてもらいたいと思います。1年前にJ1まであと1勝だったロアッソ熊本にしても昇格は「アレ」ではなく「コレ」なんではないでしょうか。
写真は記事と関係ありません。パリのエッフェル塔。1991年12月撮影。

人物評価は光の当て方次第

最近読んだラナ・ミッター著『中国の「よい戦争」』の巻末にある訳者による解説において和気清麻呂のことが触れられていました。戦前においては歴史教科書や紙幣肖像に載るほどの重要人物ですが、現代日本ではほとんど忘れられた存在として紹介されていました。和気清麻呂が活躍したのは、奈良時代、称徳天皇の御代。天皇の寵愛を受けていた時の権力者・道鏡が、宇佐八幡宮の神託を根拠に皇位簒奪を画策するのですが、正直者として信頼が置かれていた和気清麻呂が天皇の依頼で真偽確認に赴き、神託は偽物と報告して皇統を護った勤皇の忠臣とされます。
このように時の権力者に懐柔されずに公正な仕事に励む官吏として近しいものを覚えるのは、明治期の法制官僚・井上毅です。井上が起草した明治憲法や教育勅語の内容に郷愁を覚える向きがあることも知っていますが、現代において光を当てるべきところは、政治家におもねらないところ信念の人であった部分ではないかと思います。
ここのところの国会風景を見ると、内閣法制局長官が国葬の法的問題で首相の肩を持った発言をしたり、旧統一教会の反社会性を何度も全国霊感商法対策弁護士連絡会から申し入れられた文化庁が解散請求の不作為を続けたりと、官僚のだらしなさを感じることがありました。こうした風景を見せられると、その世界へ進みたいと考える人が少なくなるのも当然です。

以下は、2017年6月14日、熊本日日新聞「読者ひろば」掲載に掲載された、私の投稿です。
写真(1991年12月撮影)は、バルセロナのサグラダ・ファミリア。訪問当時は完成まであと200年(着工当時は300年)かかるといわれていましたが、今のところ2026年完成(コロナで遅れる見通し)を目指して工事が続いています。記事とは関係ありません。

熊本出身の官僚・井上毅が、明治憲法や旧・皇室典範、教育勅語の起草者であると、名前程度は知っていましたが、同じく熊本出身の山室信一京大名誉教授の最新著『アジアの思想史脈』を読んで、井上の人となりを知り、その思考や精神は今日にも通じるものがあると感じました。
本書によると、井上には「反時代的な天の邪鬼性」があり、「時勢が奔流のごとく一方向に流れているときに、そうでない立場に立とうとする」人物でした。私利私欲で動かされる政党や政治家に不信感をもち、清廉潔白な官僚が国家の永続性に責任=徳義をもつことを課していました。
実際、井上の家は粗末で、本だけしかない貧乏書生のようだったといいます。欧州の法律や歴史にも明るく、信教の自由と政教分離は近代国家が守るべき原則と考えていました。
戦争は政治力の無能と喝破していた井上は、日清戦争の終結前に53歳で亡くなってしまい、その後の国の誤りを見ることはありませんでした。政府や官僚への国民からの信頼が問われている現況を果たして彼ならどう見るのだろうかと思わされます。

口利き稼業のなれの果て

すっかり汚職の祭典のイメージが残ってしまった東京オリ・パラ。大会組織委員会の元理事の財布へのカネの吸い上げ方は、違法なのはもちろん、人としての品性のなさが如実に表れていて驚かされます。一方、元理事のそうした性分が培われたであろう広告代理店の企業風土を考えると、さもありなんという気持ちにさせられます。
バブル期の頃、地方都市にある私の勤務先でも電通を使うことがありました。今振り返ると、同社の事業の本質を一言で表すと「口利き稼業の最たるもの」なのではないかという気がします。たとえば、CM素材の制作においても実際に動くのは下請けのデザイナーやコピーライター、カメラマンたちです。スポンサーによっては、媒体を黙らせる手駒の一つとして同社を使うことがあったかもしれません。本体の社員は、契約書を運ぶだけだったり、接待をアテンドしつつ自分たちも遊びに興じたりするのが、仕事だったように思います。
そういえば、アーケード街の吊り看板広告の契約書の内容などは、書面をよく確認しないとひどいものでした。吊り看板が落下して通行人が被災したときの賠償責任は、設置管理している商店街ではなく、広告主とするとあって突っ返したことがあります。また、同社の退職者の自己紹介フレーズとして「元電通の・・・」というのをよく聞いた経験があります。個としてのクリエイティブ能力がない方が多かったなという印象があります。
写真は、パリのアラブ世界研究所(1991年12月撮影)。窓がカメラの絞り機能で採光できる仕組みになっていることで有名です。実は、この建物の存在を知ったのは、地元の電通支社内で視聴した世界のトレンド情報のリポートビデオを通じてでした。月1回早朝にこの社内向けのトレンド情報ビデオを視聴する会が行われ、数回参加したことがありました。今となっては儚い時代の思い出です。

敵すらも魅了させるスター性

昨夜のヤクルトの村神様のシーズン56号HR・三冠王達成のニュースは、何度視聴しても飽きない快挙でした。こうして見てみたいという感動を、ライバル球団ファンにも起こさせるのが、まさにスターだと思わされました。
時代は400年ばかり遡りますが、朝鮮出兵における宇土城主・小西行長の動向を描いた軍記「小西一行記」(本文全10巻、付目録)の翻刻文『小西行長基礎資料集―小西一行記―』(宇土市教育委員会、税込1000円、2022年)を読むと、意外なことに敵将である李舜臣についてかなりその才覚を褒め称える記述に接することができます。それだけ小西行長も一目置いていたスターだったのではないかと思われます。
韓国では、忠武公こと李舜臣将軍はもちろん現代においても国を護った英雄として顕彰されています。首都ソウル(写真左、1991年9月撮影)と第二の都市・プサン(写真右、2009年8月撮影)に建つ銅像を見たことがあります。龍頭山公園の釜山タワーの前に建つ李舜臣将軍の視線の先は、小西行長や加藤清正ゆかりの熊本の方向を指しています。今もにらみを利かせていると言ったら考えすぎでしょうか。
そして、いつか村神様の銅像が建つかもしれませんね。

定款認証手続きの見直しは必要

昨日は最高裁判所裁判官の国民審査を在外選挙人が行えないのは違憲という判決が出てニュースになりました。国外で居住しているがためにその国民の権利が制約されるということはあってはならないことで、当然の判断と考えます。投票の機会を提供するには確かに大きな経費がかかります。在外選挙人と在外公館との地理的距離や日本との投票用紙の輸送期間が問題なのもわかりますが、それは方法論として考えて実現させればいいだけの話だと思います。一方、わざわざ面倒な手続きを導入して国民にとって迷惑この上ないものもあります。けさの朝日新聞で、定款認証における公証人における発起人面接の手続きの問題を取り上げていました。反社会的勢力に係る人物による会社経営を防ぐために、この面接が行われているのですが、公証人によってはこれを行っていない実態もあるようで、政府が調査に乗り出すことになっているそうです。専門職が定款作成代理を受任する際は、依頼者が反社会的勢力に係る人物でないか確認します。そのうえで、公証役場へ依頼者に足を運んでもらうとか、テレビ電話で公証人と会ってもらうとかは、二度手間でしかないように思います。
そういうこともあって当職もこの面接が導入されてから定款作成代理業務の受任を手控えています。合同会社では公証が必要ありませんが、会社設立することは可能です。株式会社や社団法人なども設立者の面接や公証人認証はなくした方が、起業率アップに寄与していいと思います。
写真は、インドネシアの首都ジャカルタの国立博物館(1991年撮影)。館内にはジャワ原人の骨レプリカが展示してありました。訪れた際に正面入口では何かの舞踊の撮影が行われていました。

世界で最も影響力のある100人

毎年、米「タイム」誌が発表する「世界で最も影響力のある100人」は、文字通り世界の世相を反映していて興味深いランキングです。2022年版については、日本人のランク入りはなくお隣り韓国からは尹新大統領ら2人が入っていて、そのことにすぐ凹む偏狭な国民性が災いしてか、国内のマスコミの取り上げ方も低調な印象を受けました。政治家部門では他にロシア、ウクライナ、中国のリーダーが名を連ねていました。あくまでも影響力本位のランキングなので統治の良し悪しを問うものではないかと思いますが、日本のリーダーの発信力がまだまだ弱いのは事実です。それと、イノベーター人材も日本から入っていないのはさびしい限りです。アスリートもいいのですが、そこは身体次第ですから影響力が保てる期間は短くなります。写真はソウルの漢江(1991年9月撮影)。まだこの頃は高層ビルはそんなになかった印象です。

多多益善?

写真は、韓国の国立現代美術館果川館(1991年9月撮影)。初めて韓国へ一人旅したときに、往きはソウルから路線バスで、帰りは最寄りの地下鉄駅までタクシーに乗って、途中相乗りが2組あって満車になる経験がありました。ここの代表的な常設展示作品といえば、1003台のテレビモニターが積み上げられた塔になっている、ナムジュン・パイクの「多多益善(タダイッソン)」です。「多多益善」とは、「多ければ多い方が良い」という意味で、「より多くの人に見てほしい」という希望で名づけられました。また、1003の数字は韓国の建国記念日である10月3日の開天節に連なり、自国の発展を願う気持ちも込められているそうです。同館のらせん状の通路から鑑賞できます(らせん状の通路といえば、ニューヨークのグッゲンハイム美術館の構造もそうです。2000年に入館したときに、やはりナムジュン・パイクのビデオアート作品を観た覚えがあります)。ビデオアートの先駆けで1980年代前半頃、日本国内でもその活動がよく取り上げられていました。作者自身、日本で暮らした経験(1950~56年)もあります。さて、今の時代は多多益善といえるのか、それを問いかける作品になっていると思います。

テクノファシズムの形成過程を知る

今読んでいるジャニス・ミムラ著の『帝国の計画とファシズム』には、1920~30年代から台頭してきた新興財閥についてその役割を重視した記載が出てきます。近代日本の歴史教科書で登場する財閥の代表格は、三井、三菱、住友、安田の4大財閥であり、1945年の敗戦時において国家総資本の25%、海外総投資の80%を占めていたといわれます。これに対して旧植民地や満州国に軸足を置いた新興財閥は、アジア太平洋戦争中にその命運が急速に悪化したがために、戦後GHQや歴史研究者にそれほど目を付けられなかったというように著者は考えているようです。ところで、その新興財閥の代表格は、鮎川義介の日産(日本産業 子会社:日本鉱業、日立製作所)、森矗昶(のぶてる)の森コンツェルン(昭和電工)、野口遵(したがう)の日窒(日本窒素肥料)、中野友禮(とものり)の日曹(日本曹達)、大河内正敏の理研(理化学興業)の5つ。共通点として会社名に日本や元号をつける傾向があり、国益重視の姿勢を強調していました。また、私利私欲の象徴である金融業をグループに含まず、テクノロジーを重視し、重化学工業を事業の中心に据えています。水力発電による安価で豊富な電力を活用して自給自足の産業こそが国防国家に役立つという志向を持っていました。これらの起業家たちは、技師・科学者を兼ね備えた経営者であった点も旧財閥との大きな違いです。鮎川、野口、大河内は東京帝国大学工科大学を卒業していますし、中野は京都帝国大学理学部化学教室で助手を務めています。安倍元首相の祖父・岸信介に代表される官僚や軍部との結びつきについて見ていくと、テクノファシズムの形成過程を知ることができます。現代において経済安全保障や先端技術の開発と社会実装、あるいは脱炭素社会の実現など、重要課題は目白押しなのですが、こうした危機の時代において動く政策については、新たな弊害をもたらす危険性がないかよくよく監視しなければならないと思います。
写真は1991年撮影のジャカルタ。朝、コーランが放送されていました。

著作権登録制度について

著作権登録について相談を受ける機会がありましたので、備忘録代わりに文化庁のホームページから「著作権登録制度について」説明が記載されている部分を紹介します。大雑把な私なりの説明ですと、著作権は登録するしないにかかわらず、その著作物を創作した時点で発生します。著作者と著作権者は、イコールの関係であれば問題ないのですが、著作権は譲渡することも可能ですので、そうした権利移転の契約を締結した後は、著作者と著作権者が別となることもあります。そして、譲渡を受けた著作権者がその知的財産をさらに転売することもあり得ます。そうしたことを狙っている権利者であれば、登録しておけば「この著作物の権利者は自分である」ということを主張でき、その権利がほしい人が知る助けになるかもしれません。特にソフトウェアの分野は、プログラム開発者がソフト販売会社に売ることが多いでしょうから、登録のニーズは高いかもしれません。ただし、プログラム著作物の登録は文化庁ではなく、ソフトウェア情報センターが行っています。
したがって、本サイトの投稿のような文章表現を一つひとつ登録する必要はありません。むしろ考えたいのは、無断盗用されるなど、著作権が侵害されたときの対応です。仮に登録しておいた著作権が侵害されたからといっても、文化庁が動いてくれることはありません。盗用した側をいかに追及するか、取るべき手段に係る専門家や機関は別のところになります。
話は飛びますが、山口県阿武町の4630万円誤入金事件について、誤入金と知っていて使い切った若者も悪いですが、銀行口座を仮差押えするなど迅速な対応をとらなかった町ならびに顧問のセンセイの甘さにも驚いています。
写真は、バルセロナ五輪前年の1991年12月、未完成のスタジアム前のグッズ売店。ピレニアン・マウンテン・ドッグあるいはカタロニアン・シープドッグがモチーフのコビーくんがマスコットキャラクターでした。

国際交易の歴史

このところ1章ずつ読み進めている『ヨーロッパ覇権以前』にすっかり魅了されています。つい1000年足らず前、東(中国)の商品と西(ヨーロッパ)の商品の交易はありましたが、ムスリム商人が中継していたこともあってそれぞれの地域に住む人にとってお互いは未知の存在であり、絹にしても綿にしてもそれらの原材料がどのようなものから産出されるのかさえ知られてなかったといいます。侵略や略奪から得る一時的な富よりも国際交易から得る継続的な富が価値が高いことを学ぶにはかなりの年数がかかりますし、現代においてもその価値を判断できない資質の人が権力者の位置に収まってしまうことがあることに気づかされます。写真は、パリのアラブ世界研究所(1991年12月撮影)。窓がカメラの絞り機能で採光できる仕組みになっていることで有名です。当時から入館する際にセキュリティチェックがかなり厳しかった覚えがあります。

野蛮人の歴史を知る

またしても『ヨーロッパ覇権以前』の記述についての投稿となります。「第4章 ジェノヴァとヴェネツィアの海洋商人たち」で描かれる約1000年足らず前のヨーロッパ人の野蛮人ぶりが凄まじく、人道も何もない時代があったことを知ります。おそらく現代の当事国の歴史教科書には載っていない出来事だと思います。たとえば、11世紀末に十字軍のヨーロッパ人たち(ムスリム側の書物ではフランク人)がイスラム文化の地を破壊したのちに異教徒の人肉や犬肉を食べる行為があったことが紹介されています。こうした「特別軍事作戦」には市民殺害や略奪を伴うことは言うまでもないことです。もっとも、こののちには東から別の野蛮人であるモンゴル人が登場するので、ヨーロッパ人だけが野蛮人ではなかったこともよく知られていることです。
イタリアが海洋国家として繁栄を極めた時代の輸送コスト比較でいえば、陸上輸送は海上輸送の20倍だったという考察があり、さまざまな商品を運び莫大な富を得ます。その商品の中にはコーカサスから積み込む奴隷の存在もありました。一方、イタリアが衰退した背景にはガレー船に紛れ込んだネズミを介した黒死病の流行もあります。こうして見るとまさに歴史は繰り返すので、たとえ祖先が野蛮人であっても歴史は直視する必要があると感じます。
写真は、パリのロダン美術館(1991年12月撮影)。

嫌韓プロパガンダに乗るな

先月読んだ『侵食される民主主義』にもありましたが、いったん民主化の道を進んだ国が権威主義陣営の策略によって揺り戻しの道を辿ることがままあります。往々にして権力者が権威主義陣営の儲け話に乗って私腹を肥やす一方、国を獲られるといった具合です。ロシアを非難する決議に反対もしくは棄権する国々にアフリカや中東、アジアの国々がありますが、とりわけアジアの動向には注意する必要があります。人口が多いインドや今まさに大統領選の行方が懸念されるフィリピンなどはそうです。その意味でも民主主義の価値観を共有できる韓国や台湾については地理的にも近く緊密な友好関係を保つ必要があります。しかし、残念ながら日本国内で心ない嫌韓プロパガンダに踊らされる愚かな人々がいるのも事実です。中には近隣の権威主義陣営が裏で流布している言説もあるという指摘が上記書にあります。さて、写真の建物は日帝時代の旧・総督府だったため今では解体されて現存しない韓国の国立博物館です。初めてソウルを旅行した1991年9月のときのものです。当時は民主化して5年も経っていないころです。気軽な一人旅でしたが、パゴダ公園を散策していたときに、日本語を話す年配の男性が、三・一運動を始めとした韓国の歴史を勝手に解説ガイドしてくれたのを思い出します。