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1848年のロシアを見

岩波文庫から出ている『ロシア・インテリゲンツィヤの誕生』を昨日から読んでいます。英国人歴史家であるアイザイア・バーリンが描く19世紀半ばの帝政ロシアにおける思想家たちに思いを馳せると、権威主義の権力者が恐れるものは何か、権威主義を崩壊に至らしめるものは何かを感じさせてくれます。まずもってロシアの若者たちへ当時自由を求めて社会的批評活動を行った先人たちの存在を知ってもらいたいですし、当時の皇帝を連想させる現代の権力者にも思い知らせたい気持ちです。写真はサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館(1989年5月撮影)。

写真を並べて考える

写真は、ロンドンのマダムタッソーにあった英王室の面々の蝋人形です(1993年12月撮影)。日本だと皇室の人々をこうした観光の見世物にすることは憚れるのが実情だと思いますが、英王室とゆかりの深い国々では違うというのを、オーストラリアでも感じた経験がありました。1989年12月に訪問したシドニーにある、ニューサウスウェールズ州立美術館では先住民文化の展示もあって、その中に民族衣装をまとった先住民の写真と英王室の集合写真が並べられていて起源は共通であるということが図表でも強調されていたのを覚えています。かつては先住民や移民の民族の違いによる政策があった同国だからこそ、人類史に基づく科学的な思考を大切にしていると思えました。
科学的な思考という点では、今読んでいる『帝国の計画とファシズム』で意外な資料を知りました。原資料から現代の日本語表記に変えて以下に示します。「私が初めてアメリカの土を踏みまして滞在半年の間における印象は、アメリカの非常に強大なる富の力、言葉を換えて申しますると非常に豊富な天然資源を有し巨額の資本並びに溌溂たる企業の精神というものに恵まれておりまして、アメリカの経済界は実に強大なる力を持っていると思ったわけであります。もっともアメリカも当時欧州戦後の不況の余波を受けまして経済界の不況は深刻になっておりましたけれども、我々は日本人はほとんど想像もできなかったような膨大な経済機構を持っている。これに対抗している日本経済の姿というものはあまりにもみずぼらしい。たとえば石油にいたしましてもロサンゼルス付近におきまして石油の井戸の櫓は遠くから見るとあたかも林のごとく立っている。日本の1年の石油の生産額はその付近だけで出る数日の生産額にも及ばない。あるいはアメリカの1か月の鉄の産額が200万トンである。日本では八幡製鉄所で年産100万トンを理想として数年やってきているが、まだ100万トンには達しない」。これは、1926年に米国の産業を半年にわたって視察した商工省官僚だった岸信介の発言記録です。この後の行動には評価が分れるにしても、当時のものの見方はきわめて正しいと思います。現代においては、当時の米国を中国に置き換えて日本があくなき軍拡に走って活路があるのかと考えることができるかもしれません。

50年前の光景

50年前に沖縄が本土復帰したのは大半の日本国民にとって歴史上の遠い出来事となりつつあると思います。しかし、当時を知る一人として象徴的な光景は、当日の朝のNHKの報道番組「スタジオ102」においてそれまでの自動車の右側通行が一斉に左側通行へ切り替わる模様の生中継放送でした。もちろん通貨がドルから円へとか切手が琉球政府発行から郵政省発行へ変わる出来事があったのは知っていますが、本土に居ながらにして一瞬にして歴史が変わるのを実感できたという点では、これほど分かりやすい場面はなかったと思います。私の場合、太陽が南を回るか北を回るか、エスカレーター上で右側に立つか左側に立つかで、土地に対する違いを大きく感じます。エスカレーターでいえば、ヨーロッパ圏では右側に立ちます。モスクワの地下鉄を利用したことがありますが、駅が日本と比べると相当地下深いところにあり、エスカレーターがやたら長いという覚えがあります。登りの右側に立っていると、軍服姿の男性たちが左側を駆け上がっていく姿をよく見かけました。写真はクレムリン広場。

小先生にはなるな

さまざまな経歴を持つ構成員からなる団体の月例会議に午前中参加していました。地域社会の話題の中で教員出身の住民で認知症状態にある方が多いということでした。あくまでも印象ですから、具体的データに基づいた話題ではありませんが、私もそうした住民に出会った経験があるので、まったく的外れでもないなと思いました。現役を退いた後、気位が高くて近隣と交流がない方は確かにそうなりやすいと思います。地元出身で、幼馴染と気軽に付き合えるといいのですが、それが苦手だと難しいかもしれません。新興住宅の地区だとなおさらです。先生でもないのに先生と呼ばれることに慣れると、素直でなくなりますし、独善性が高まります。始末が悪いのは、グループの構成員同士で先生と呼び合う関係の団体もそうです。話してみると価値観が時代とずれている例や連絡手段が前近代的であったりする例など、これまたそうした場に遭遇した経験がありますので、十分気を付けたいと思います。
写真は、1989年5月撮影のロシア・サンクトペテルブルクの街角風景。中央にトロリーバスが写っています。当時の日本国内は女子差別撤廃条約を批准して男女雇用機会均等法が施行されてまだ数年という時期。片やロシア(当時:ソ連)国内の地下鉄やバスの運転手は女性の方がはるかに多い印象でした。それだけ若い男性が軍隊という職場に囲われる経済効率の悪さの裏返しという側面もあって男女同権というよりは職域すみ分けという考え方もあるかもしれません。ところで、トロリーバスから降車したいときは、車内に張り巡らされているヒモを引っ張るとベルが鳴って知らせる仕組みでした。地下鉄はどこまでいっても当時のレートで5円か10円という安さでした。

道はある

3月来、地元の遊休農地活用に際して農地中間管理事業の活用ができないか、リサーチしていました。県内の関係者に聴いたところ農振農用地以外の農地では行政上の支援措置は困難ということでしたが、愛知県の元職員の方から岩手県での事例を紹介され、地元の対象農地においてもある手順を踏めば活用可能ということが分かってきました。根拠法令の読み方一つ、使い方一つで答えがまるで異なる体験をしました。いろんな課題がありますが、道はどこかにあるわけです。このところ読んでいる『ヨーロッパ覇権以前』では、東の中国と西のヨーロッパが出会う前の時代にインド洋航路の記録がかなりあったことが記されていました。一年の中で西から東へ向かうのに適した風向きの時期があり、逆に東から西へ向かうのに適した風向きの時期があります。これらの時期を外すと、数か月から1年間、船を留め置かれるロスがあったといいます。先の例でいえば、いかにいい風を吹かせる人を掴むかで道は開けるということなのかもしれません。写真は、ロシアのレニングラード空港(現・サンクトペテルブルク)に降り立った時に見かけた路上のチョーク描き。子どものロシア版ケンケンパなのではと思いました。撮影当時の1989年は空港施設でカメラを向けるのは憚られる時代でしたが、たいへん興味深かったのでどうしても撮ってしまいました。

体育大会は嫌いだ

小中高を通じて基本学校は好きではありませんでした。今でも特にこの時期は学校周辺を通りかかると体育大会の練習の声が聞こえてきます。コロナ禍前には本番の大会に招待されて見に行ったことがありますが、行進などはどこぞの軍事パレードのようで気持ち悪くなります。当事者であった時代もこの本番に向けた練習などは、号令で一糸乱れるように子どもを調教するのがだれかのための満足だけにあるようで、まったくバカげているとしか思えず、まるでやる気が起こりませんでした。学校で唯一落ち着けるのは、昼休みの図書室だけで、小学校では毎日小学生新聞、中学校では世界、高校では朝日ジャーナルを手にすることが多かったように思います。たとえば、中学生の時にはどんな職業に関心が高かったかというと、作家でした。それもいわゆる純文学ではなく五味川純平のような戦争文学を好んで読んでいましたから、書くことよりもとにかく社会の根っこを知りたいという願望が強かったように思います。なので、作家になるためにはどうしたらいいかという方法論を考えることはありませんでした。当時の思い出として同じ中学のある生徒が将来の目標として地元の国立大学の法文学部に進んで、やはり地元の県庁に入りたいと話しているのを聞いて、相当衝撃を受けた記憶があります。まずそのような「コース」があることを当時の私は知りませんでしたし、それが優れて価値のある職業選択だという意識もありませんでした。ただただ驚いて他の人は非常に現実的な進路を考えているのだなと思いました。
写真は1989年のメーデーを迎えたときのサンクトペテルブルクで見かけたソ連兵の一団。

アーチだけが残った

写真左奥(1989年5月撮影)は、ウクライナの首都キーウにある「人民友好アーチ」の一部。ソ連の60周年とキーウの1500周年の記念碑公園として一帯は1982年11月7日にオープンしました。眼下にドニエプル川を臨めます。とにかく巨大なこのアーチの下には、ウクライナ人労働者とロシア人労働者が一緒に立っている様子を描いた彫刻があったのですが、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻を受けてキーウ市の手により今年4月に解体されてしまいました。人民友好アーチ記念碑の一部であったアーチは、名前が変更され、新しい記念碑になる予定です。

メーデー

このところニュースで取り上げられることの多いロシアやウクライナにかかわる経験を思い出すことが多くなりました。あんまりモノにはならなかったロシア語学習の最初の気づきは、動詞の変化で出てくるのが「働く」であることでした。フランス語の初級テキストだと、動詞の変化で出てくるのが「愛する」なので、ずいぶん違うなあと感じたことがあります。働くといえば、5月1日はメーデーです。ソ連時代末期のレニングラード(現・サンクトペテルブルク)でその日を迎えたことがあります。街中が華やかに飾られ、通りに掲げられた横断幕に「平和(ミール)」の文字があったのが今も印象に強く残っています。同じく広場で見かけた市民が掲げる旗には「民主主義(デモクラシー)」の文字があって、これも意外なことで興味深い体験でした。ということで、それぞれの言葉を理解するというのは、重要なことで、相手に対する訴求力を持ちます。その点、中国だと中国語を学んだ経験はありませんが、漢字である程度の意味はわかります。たとえば、通信会社のHUAWEIを漢語表記は「華為」です。これは、文字通り中国の為にある会社ということが、社名からも明らかで、どう接するべきか考える起点になります。
あと5月1日は水俣病にとっては公式発見の象徴的な日であることも忘れてはなりません。

ウイグル支配の狂気

米国人のジャーナリストであるジェフリー・ケインが『AI監獄ウイグル』(新潮社、2200円+税、2022年)は、最新技術を用いた支配がいかに想像を絶する世界であるかを、中国のウイグル人の証言で示した調査報告です。用いられている技術の根幹は、いずれも米国発となっており、文字通り使えるAIとして「発展」できたのは、膨大な被治者のデータがあったからであり、皮肉なことに米国も実験開発の恩恵を受けたともいえます。
それにしても漢民族主体の中国当局によるウイグル人のデータ収集の徹底ぶりは凄まじいものがあります。顔認証に必要な写真撮影にあたってはさまざまな表情をさせますし、通信データ分析の基礎となる音声認証のために録音も行います。DNAデータ取得のために採血もされます。当局が「信用できない」家には、監視カメラ、もちろん音声も拾えるものが有無を言わさず設置されます。「再教育センター」といった拘束施設や強制労働の実態も明らかにされます。そうでなくても、中国における通信事業者は、政府が求めるままにデータを提供しなければならないことになっています。まるで個体識別番号が振られた肉食用家畜並みの扱いを受けている人々がいるのです。
一方、コロナ禍において対面での支援、特に福祉サービス面でのそれができづらくなっていて、デジタルテクロノジーを使った支援に目が向けられています。効率アップのメリットと相反する情報漏洩のリスクをどう防止するかについて常に考えなければならないと思います。
中国のような行き過ぎた監視社会は、支配民族側も監視されているわけで、内部からの告発もあり得るかと思います。支配する側も大きなリスクを抱え込みます。そうした綻びはいつか崩されることにならないか期待もあります。
写真は、投稿内容とは直接関係がない1989年のキーウ中心地にある独立広場の風景です。

惨劇を直視しよう

ウクライナで起こった戦争犯罪の実態が次々と明らかになっています。日本国内での報道では遺体の映像が加工されていますが、死者の尊厳の議論を考慮しても加工する必要はないと考えます。惨劇だからこそありのままの蛮行の証拠を直視して知り、次にどのような行動をとるべきか人類は考えなければならないと思います。
衝撃的な映像がもたらす子どもへの影響についていえば、放送時に予告するなどの対策を講じることは必要だとは考えますが、中学生以上の学齢では戦争の現実を知ってもらうことが重要なのではないでしょうか。
私の読書体験では、中学時代から戦争文学や反体制ルポルタージュに接しました。学校の図書室にあったベトナム戦争における米軍が起こしたソンミ事件の本には虐殺された遺体写真が載っていたのを記憶しています。五味川純平の『戦争と人間』では、皇軍が中国大陸で繰り広げた戦争犯罪を描いていました。『海の城』では、軍隊内ではびこるいじめが描かれていましたし、ソルジェニーツィンの『収容所群島』では、過酷な強制労働の実態を告発していました。また、雑誌『世界』(職員室から図書室へバックナンバーが回ってきていました)で連載されていたT・K生による「韓国からの通信」では、隣国における軍事政権vs民主化の現実を知ることができました。権威主義体制が必然的にとってしまう誤った道がそこにあること、ともすればそれは繰り返えされるということを学べたと思います。
写真は1989年5月に当時ソ連のキーウを訪ねた際のものです。場所は独立広場です。右端奥の建物は、4つ星のウクライナホテルで今も同じ外観です。5月上旬はメーデーから対独戦勝記念日にいたる祝祭の時期で、街頭は飾り立てられもっとも華やいでいます。今年はこれとはまったく違った風景になっていることだと思いますが、それでもマロニエの花だけは咲いているかもしれません。