まずは岡田憲治著の『言いたいことが言えないひとの政治学』(晶文社)の話の続きとなりますが、話ができないおじさんのポイントとして、著者は次の3つをあげています。「今の生活様式を理解できない」「人の行動やその規範を企業生活からしか引き出さない」「老後の不安を封じ込めるための地位にしがみつく」(p.158)。読書といったら狭い経験談で埋まったビジネス書のたぐいばかり、他人の自慢話や精神論を聴いて経営の勉強をしたと錯覚して過ごしてきた勘違いおじさんたちを何人も思い浮かべることができます。「親と地球の地軸は変えられない」(p.164)ので、仕方ないですが、日常の非営利組織(例:マンション管理組合、PTA…)においては独裁を許さない適切なルール作りの余地はありそうです。
さて、きょうは、現在改修工事中の宮城県美術館コレクション展を開催中の久留米市美術館を訪ねてみました。前身の石橋美術館の頃は、美術の教科書に載っているような青木繁の「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」が目玉作品として展示してありましたが、それらは今、東京・京橋のアーティゾン美術館(前身はブリヂストン美術館)が収蔵しています。私も石橋美術館時代に行ったことがありましたが、久留米市美術館(2016年10月開館)になってからは初めての訪問でした。
やはり美術館の格は、そのコレクション次第ということになります。今回、久留米市美術館を訪ねてみようと思い立ったのも、まだ訪ねたことがなかった宮城県美術館のコレクションを鑑賞できるからこそでした。そしてそれはコレクションの源となったコレクターへの関心にも連なります。宮城県美術館の「洲之内コレクション」に名を残す洲之内徹(1913-1987)は、学生時代にプロレタリア運動に参加しますが、後に「転向」し、日中戦争期は軍の宣撫班員となって中国大陸へ渡り、対共工作と情報収集に携わった経歴を有します。戦後、画廊主として多くの画家を発掘し、自分が本当に気に入った作品は手元に残したそうです。それらが没後、一括して宮城県美術館に収められます。
いわばスパイの資質があることと画家本人との交流があったという点では、長崎県美術館の「須磨コレクション」と共通するものを感じます。こちらのコレクターは、第二次世界大戦時、特命全権公使としてスペインのマドリードに派遣された須磨彌吉郎(1892-1970)です。赴任期間中、須磨はスペイン各地を巡り、膨大な数のスペイン美術作品の収集に心血を注ぎました。表向きは公使ですが、親枢軸的なスペインを拠点にアメリカの情報を収集することを構想し、自ら「東(とう)機関」を開設し、諜報戦で多くの情報を盗む成果を挙げました。「東」=「盗」と、読みはどちらも「とう」というわけです。戦後コレクションの一部が全国巡回展示され、その最終会場が長崎県であった縁もあって、遺族から長崎県へ寄贈されたのだといいます。
ところで、久留米での宮城県美術館コレクション展の出品作のうちには、ドイツ表現主義を代表するカンペンドンクのもの(「洲之内コレクション」ではありません)もありました。ですが、気の毒なことに高知県立美術館ではカンペンドンクの贋作を1800万円で購入していたことが最近ニュースになりました。これを贋作した画家の商品は、徳島県立美術館にもあるとのことで、そちらは6720万円もしたとのことです。
常に正確な情報を盗むことに長けたスパイ出身のコレクターからタダで作品をもらい受けた美術館がある一方で、こうしたニセモノに大枚をはたいた美術館もあって、これはこれで話題性があって興味は尽きない世界だなと感じます。
https://www.nhk.or.jp/tokushima/lreport/articles/300/201/86/
写真はカンディンスキー作品が豊富なエルミタージュ美術館。
