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無知は無恥

台湾出身で日本在住の芥川賞作家の李琴峰さんが、本日の朝日新聞国際面で台湾の人々の政治意識を語る中で、日台の関係はいびつだと指摘していました。日本国内の保守派による台湾に関する言説についても冷ややかに捉えてました。やや長い引用となりますが、次のように述べています。「日本の保守派はよく「台湾が好き」と言いますが、その言説を観察すると「日本の植民地時代のおかげで台湾が近代化した」「だから台湾人は日本が好き」などと紋切り型の表現を使います。植民地支配の歴史を正当化するために台湾を都合良く使っているだけではないでしょうか。」。台湾の人々が抱く日本の工業製品や文化商品に対する親しみの感情は確かにあると思います。しかし、かつて日本の植民地であったことを良かったと考える台湾人は皆無に近いのではないでしょうか。統治対象であった本省人の末裔もいれば、日本の侵略対象となった中国本土から渡ってきた外省人の末裔もいるのですから、容易に解りそうなものですが、あたかも植民地統治時代からも台湾の人々が「親日」的だと都合良く考える日本人がいたとしたら、無知で無恥だと言わざるを得ません。
もっとも、台湾の人々の中にも、日本との政治的あるいは経済的な協力関係を重視するあまり、リップサービスで「親日」を強調する向きがあるかもしれません。今週、熊本県内の技能実習生監理団体で働くインドネシア人の方の話を聞くセミナーの機会がありました。イスラム教の戒律をめぐる情報は非常に役立ちましたが、それと共にインドネシア独立の際にオランダと闘った残留日本兵の存在を引き合いに、その方がインドネシア人の「親日性」を語ったので、他の無知な受講者をミスリードしないかと気になりました。
1942年3月から1945年8月までの日本軍による軍政下におけるインドネシア人に対する非道な支配の犠牲者は国連の報告によると約400万人といわれます。そういう史実を知らないまま相手先の人々に接すると恥をかくことを忘れてはならないと思います。30年以上前に一度インドネシアを訪ねたことがあります。日本軍による多くの犠牲者が眠る場所近くは下車する勇気がなくタクシーで付近を通ってもらって眺めるだけにしました。
写真は、ジャカルタ市内。1991年7月撮影。

熊本市国際交流会館で無料相談

毎月第1水曜日と第3日曜日の13:00~16:00、熊本市国際交流会館2F相談カウンターにおいて、熊本県行政書士会会員の申請取次行政書士が、無料相談に応じています。
11月19日(日)13:00~16:00には、当職が相談員として対応いたします。
https://www.kumagyou.jp/?page_id=220
https://www.kumamoto-if.or.jp/plaza/default.html
https://www.kumamoto-if.or.jp/kcic/kiji003277/index.html
写真は記事と関係ありません。インドネシア、ジャカルタ国立博物館(1991年7月撮影)。

定款認証手続きの見直しは必要

昨日は最高裁判所裁判官の国民審査を在外選挙人が行えないのは違憲という判決が出てニュースになりました。国外で居住しているがためにその国民の権利が制約されるということはあってはならないことで、当然の判断と考えます。投票の機会を提供するには確かに大きな経費がかかります。在外選挙人と在外公館との地理的距離や日本との投票用紙の輸送期間が問題なのもわかりますが、それは方法論として考えて実現させればいいだけの話だと思います。一方、わざわざ面倒な手続きを導入して国民にとって迷惑この上ないものもあります。けさの朝日新聞で、定款認証における公証人における発起人面接の手続きの問題を取り上げていました。反社会的勢力に係る人物による会社経営を防ぐために、この面接が行われているのですが、公証人によってはこれを行っていない実態もあるようで、政府が調査に乗り出すことになっているそうです。専門職が定款作成代理を受任する際は、依頼者が反社会的勢力に係る人物でないか確認します。そのうえで、公証役場へ依頼者に足を運んでもらうとか、テレビ電話で公証人と会ってもらうとかは、二度手間でしかないように思います。
そういうこともあって当職もこの面接が導入されてから定款作成代理業務の受任を手控えています。合同会社では公証が必要ありませんが、会社設立することは可能です。株式会社や社団法人なども設立者の面接や公証人認証はなくした方が、起業率アップに寄与していいと思います。
写真は、インドネシアの首都ジャカルタの国立博物館(1991年撮影)。館内にはジャワ原人の骨レプリカが展示してありました。訪れた際に正面入口では何かの舞踊の撮影が行われていました。

テクノファシズムの形成過程を知る

今読んでいるジャニス・ミムラ著の『帝国の計画とファシズム』には、1920~30年代から台頭してきた新興財閥についてその役割を重視した記載が出てきます。近代日本の歴史教科書で登場する財閥の代表格は、三井、三菱、住友、安田の4大財閥であり、1945年の敗戦時において国家総資本の25%、海外総投資の80%を占めていたといわれます。これに対して旧植民地や満州国に軸足を置いた新興財閥は、アジア太平洋戦争中にその命運が急速に悪化したがために、戦後GHQや歴史研究者にそれほど目を付けられなかったというように著者は考えているようです。ところで、その新興財閥の代表格は、鮎川義介の日産(日本産業 子会社:日本鉱業、日立製作所)、森矗昶(のぶてる)の森コンツェルン(昭和電工)、野口遵(したがう)の日窒(日本窒素肥料)、中野友禮(とものり)の日曹(日本曹達)、大河内正敏の理研(理化学興業)の5つ。共通点として会社名に日本や元号をつける傾向があり、国益重視の姿勢を強調していました。また、私利私欲の象徴である金融業をグループに含まず、テクノロジーを重視し、重化学工業を事業の中心に据えています。水力発電による安価で豊富な電力を活用して自給自足の産業こそが国防国家に役立つという志向を持っていました。これらの起業家たちは、技師・科学者を兼ね備えた経営者であった点も旧財閥との大きな違いです。鮎川、野口、大河内は東京帝国大学工科大学を卒業していますし、中野は京都帝国大学理学部化学教室で助手を務めています。安倍元首相の祖父・岸信介に代表される官僚や軍部との結びつきについて見ていくと、テクノファシズムの形成過程を知ることができます。現代において経済安全保障や先端技術の開発と社会実装、あるいは脱炭素社会の実現など、重要課題は目白押しなのですが、こうした危機の時代において動く政策については、新たな弊害をもたらす危険性がないかよくよく監視しなければならないと思います。
写真は1991年撮影のジャカルタ。朝、コーランが放送されていました。