米国コロラド州ブライトンに宇城市出身の遠戚の名を冠した公園があります

『「世界の終わり」の地政学』(集英社)の著者のピーター・ゼイハン氏が、米国コロラド州から配信するビデオレターをよく視聴しています。同氏が語る世界の姿は参考になりますし、映像の背景に出てくる山間部の雪景色は美しいので、それにも魅了されます。そんなわけで、まだ訪ねたことはないコロラドには親近感を覚えます。

それともう一つ、私の母方の曽祖父の弟の子孫が、コロラド州アダムズ郡ブライトンにいます。アダムズ郡は州都デンバーに近い場所にあり2020年の人口は約52万人、郡庁はブライトンにあります。共に現在の宇城市不知火町小曽部出身の竹馬五太郎(=私の曽祖父の弟)・ヨシ夫婦は、長男が1912年(M45)の日本生まれ、次男が1917年(T6)・三男が1919年(T8)の米国生まれでしたので、1910年代半ばに米国に渡ったようです。竹馬五太郎・ヨシの息子・John M. Chikumaは、1925年(T14)1月13日にブライトン北部の農場で生まれ、2013年6月16日に亡くなりました。

Johnの生涯は次の通りです(出典:Published by Brighton Standard Blade from Jul. 3 to Aug. 1, 2013.)。1942年にフォート・ラプトン高校、1945年にコロラド大学、1949年にカンザスシティ大学を卒業し、歯科外科の博士号を取得しました。1949年、ニツケ・ビルに最初の歯科医院を開業しました。Johnはやはり日系2世のEmiと1950年2月4日に結婚しました。

朝鮮戦争中、Johnは兵役に就き、歯科医院を閉鎖しました。1953年にガンター空軍基地で訓練を受け、その後、テキサス州サンアントニオのブルック空軍基地に駐留し、大尉として2年間、米国空軍医療部隊の現役任務に就きました。キューバを訪問した際には、マイアミ空軍基地にも駐留していました。Johnは兵役中にゴルフを習い、そのプレーを楽しみました。 1955年に除隊となり、1956年に歯科医院を再開しました。1993年に引退するまで、サウス4番街75番地で開業しました。彼は常にEmiの活動や趣味を支援していました。Emiと買い物に行くのが大好きで、「他にはない贈り物」を見つける才能がありました。マツタケ狩り、金鋳造、庭いじり(庭は彼の誇りであり喜びでした)、ボウリング、ゴルフ、社交ダンス、ブリッジを楽しみ、学校の休みには家族と旅行に出かけました。ブライトン日系人協会、ブライトン・オプティミスト・クラブ、ブライトン・ロータリー・クラブ、ブライトン商工会議所、BJAAボウリング協会、アダムズ郡男子ゴルフ協会、マイルハイ・ゴルフクラブ、日系アメリカ人市民連盟などに積極的に参加していました。

Johnはほとんどの物事に独自のやり方を持っており、常にその方法と理由を喜んで伝えていました。彼は細部にまで深い感謝の念を抱き、その精神は彼の人生のあらゆる面に浸透していました。彼は素晴らしい料理人で、感謝祭やクリスマスの七面鳥はジューシーで、プライムリブは最高でした。家族や友人と分かち合うために、常に最高に美味しい果物や野菜を選ぶことを誇りにしていました。これは彼の家族には到底及ばない特別な才能でした。彼は農場で過ごすのが大好きで、定期的に農場へ足を運ぶことが大きな喜びでした。

以上が、Johnの評伝ですが、彼の妻・Emi Chikumaの名前を冠した公園・レクリエーション施設「Emi Chikuma Plaza & Splash Pad」がブライトンにはあります。

Emiの生涯も以下に紹介します(出典:coloradocommunitymedia.com by Steve Smith April 1, 2013)。

Emiは、2013年3月20日、転倒事故による負傷のため87歳で亡くなりました。63年間の結婚生活の後、最愛の夫John M. Chikuma医師と死別しました。Emiには5人の子供がいました。キャロリン(ダグ)・マツイさんとその息子ロスとコートニー、ゲイリーさんとその継娘アシュリーとその家族スティーブ、ケイリン、ノーラン・ハイナーマン、ジョーン(デイブ)・ヌープさんと息子カイルさんとその妻テイラーさんと娘ステイシー、ブルースとジョイス(クリス)・レインズさんとその息子イサオとエリーゼ、妹のカラキ・フミ(ススム)さんとその家族です。両親のカタギリ・タネミさんとカタギリ・ミヨさん、妹のイトウ・マミ(トム)さんは、Emiさんに先立たれました。1943年にブライトン高校を卒業し、コロラド大学薬学部に進学しました。彼女は人生を通して多くの興味深いことを学ぶのが大好きで、特にバイオリン、ハーモニカ、バスドラム、ソフトボール、バスケットボール、バレーボール、陸上競技、スキー、ゴルフ、ダンス、ボーリング、ガーデニング、松茸狩り、油絵、陶芸、工芸、ブリッジ、料理、クリスマスオーナメント作り、そして家族と地域の歴史研究家としての才能に恵まれていました。彼女は多くの団体で積極的に活動し、献身的な地域リーダーでもありました。ブライトン公園・レクリエーション・プログラム、優秀市民に贈られるリバティベル賞、優秀で献身的なボランティア活動に対してブライトン市から贈られる感謝の日賞、日系アメリカ人コミュニティへのボランティア活動に対して贈られる感謝の日賞、ブライトン市賞、リバーデール女性ゴルフ協会から30年間のチャーターメンバー賞など、数々の賞を受賞し、ブライトンで第6回フェスティバル・オブ・ライツ・パレードの共同グランドマーシャルも務めました。

彼女の情熱は、見る人に幸せをもたらすクリスマスツリーでした。彼女はオーナメントを作り、集めていました。彼女の多くの友人や家族は、旅先からオーナメントを持ち帰ったり、彼女のために作ったオーナメントを飾ったりして、彼女のツリーを偲んでいました。ツリーは、彼女の人生、分かち合う精神、多くの友人や家族、そして彼女を取り巻く愛の美しさを象徴していました。

以上が、Emiの評伝となりますが、コロラド州といえば、州都デンバーから車で南東に約4時間ほどの小さな町グラナダに、第二次世界大戦中に日系アメリカ人を強制的に収容したアマチ収容所(正式名称Granada War Relocation Center 通称Camp Amache)があったことにも触れておきたいと思います。全米に10 箇所あったうちの1つで、同収容所には1942年から1945年までの間に 1 万人以上が収容され、その3分の2は米国市民であったとされます。なお、当時のコロラド州知事であったラルフ・ローレンス・カーが人種差別的要素を否定する知事であり、比較的人道的な対処が行われたとも伝わっていますが、John M. ChikumaやEmi Katagiriが当時どのような境遇だったのか、私は情報を持っていません。同収容所跡は、1994 年、国の歴史登録財(National Register of Historic Places)に登録され、2006年には国定歴史建造物等(National Historic Landmark)に指定されました。同収容所跡は従来地元自治体グラナダが所有しており、地元高校教員が設立した、生徒ボランティアからなるアマチ保存会が管理運営しています。2022年3月18日、バイデン(Joe Biden)大統領は、アマチ収容所跡を国立公園(National Park)に指定する「アマチ国定史跡法(Amache National Historic Site Act)」(P.L.117-106)に署名しています。

結局のところ「Emi Chikuma Plaza & Splash Pad」(写真3点添付)や「Camp Amache」を訪ねる機会が私にある可能性は低いでしょうが、もし宇城市の関係者が本投稿に目を留めてくれたらいいなと思います。人権啓発事業の一つの素材になるかもしれません。

https://www.brightonco.gov/facilities/facility/details/Emi-Chikuma-Plaza-Splash-Pad-44

https://digital.asahi.com/articles/ASPCS42CZPCHUHBI008.html

https://kumanichi.com/articles/1747597

今秋の研修受講が決定

日本行政書士会連合会中央研修所が専修大学大学院と連携して実施する研修へ参加できることが決まりました。今回の研修テーマは、「高リスク到来社会に対応する行政救済法の研究」となっています。
研修が実施される時期は、10月後半から11月にかけてとなります。例年この時期はスポーツ競技の大会が多い時期で、しかもここ2年ばかりは九州での全国大会開催が集中して、某競技審判に関係する私にとって研修参加機会がありませんでした。それもあってたいへん嬉しく思っています。
写真は先日訪ねた神保町で撮影した専修大学の校舎。そういえば、専大通りに向かう前に、知る人ぞ知る芳賀書店の目立つ看板が視界に入り、不滅だなあと、いたく感心しました。

企業の新人研修テキストにこそ相応しい

4月16日の熊本日日新聞に、水俣病の原因企業チッソの事業子会社JNCの新入社員研修で、水俣病語り部の会会長の緒方正実さんが初めて講話を行ったとありました。これまでの同社の研修では、水俣市立水俣病資料館の見学はあっても、患者・被害者の講話を聴くことはなかったので、このこと自体は歓迎します。さらに言えばぜひとも水俣病研究会著『〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任−チッソの不法行為−』(石風社、3500円+税、2025年)を研修テキストに採用してもらいたいものだと思います。
同書は、水俣病第一次訴訟(提訴時の被告代表者は雅子さまの祖父・江頭豊、被告代理人弁護士は民事訴訟法の兼子一元東大教授の法律事務所所属)において患者・家族を勝訴に導いた新たな過失論「安全確保義務」の理論がどのようにして生まれたかを明らかにしています。これは、現在のさまざまな環境汚染に対する「予防原則」の考え方に連なる先駆をなすものです。今や企業の社会的な影響を考えれば、その事業活動に携わる社員が当然備えるべき教養ではないでしょうか。あえていえばJNCだけでなく、原発や半導体産業の社員にも読んでもらいたいと思います。
それと、なぜチッソが水俣病を引き起こしたのか、その企業体質にどのような問題があったのかを知るにも、本書は役に立ちます。当然のことながら被害を受けた住民は、企業の内部については知りません。チッソ創業者の野口遵が「労働者は牛馬と思え」と言ったのは有名ですが、労働災害が多発する工場で最多を記録した1951年ではほぼ2人に1人が被災するほど社内の安全性を無視して操業していたといいます。生産第一、利益第一で稼働させて安全教育も蔑ろにされていたことが本書で明らかにされています。社員を危険にさらしてもなんとも思わない幹部で占められていた企業だったからこそ、自社から海へ排水するメチル水銀が水俣病の原因と社内で気づいてからも秘密を通して危険を回避する対策をとりませんでした。じっさい水俣病の被害は社員も受けたわけです。社員を守れない企業は結果として企業自身へも不利益をもたらすことになります。
救いがあるとすれば、このチッソの関係者の中にも患者・家族に味方して裁判で証言した人やさまざまな資料を提供した人、理論構築の研究に参加した人がいたことです。本書を手に取って企業や行政に携わるなかでも人間性を失わない職業人生を送ってほしいと思います。
https://kumanichi.com/articles/1745646
https://sekifusha.com/11813

 

都内訪問記

2年ぶりの都内訪問、わずか1日半程度でしたが、充実した時間を過ごせましたのでメモしてみました。おかげでその間かなり歩きました。頭にも身体にもいい刺激を与えられましたので、認知症予防にも役立つ機会だったと思います。ちなみに4月15日は「遺言の日」なんだとか。
【上野編】
・国立科学博物館…特別展「古代DNA―日本人のきた道―」を見ました。ゲノムの分布状況を把握することでヒトのみならずイヌやイエネコの移動の歴史を知ることができるなんていうのは、私たち世代の学校教育にはなかったと、まず感慨深いです。渡来人がもたらした鉄器生産や馬の導入といった新技術なしには日本列島における政治の始まり国家形成もなかった。外国人ヘイトを繰り返すバカにホントは見てもらいたい展示です。
https://ancientdna2025.jp/
・東京都美術館…「ミロ展」を堪能してきました。ミロは、「芸術家とは、ほかの人々が沈黙するなかで何かを伝えるために声を上げる者であり、その声は無駄なものではなく、人々を助けるものであることを証明する義務を負う者である」と、述べています。ミロ作品のなかにはしばしば星が描かれています。どんな時代に生きる人の天空にも変わることのない星があり、その星はいつの時代に生きる人も見守っていて、人類が尊重しなければならない価値は超然として永遠に存在する象徴のように感じます。
https://miro2025.exhibit.jp/
【目白編】
・霞会館記念学習院ミュージアム…リニューアルオープン記念展「学習院コレクション 華族文化 美の玉手箱 芸術と伝統文化のパトロネージュ」を訪ねました。通常は日曜休館なのですが、当日は「オール学習院の集い」の開催日ということで開館していて幸いでした。せっかく独自のお宝コレクションが豊富にあるので、これからも惜しみなく公開して存在感を高めてほしいと期待しています。
https://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/
・馬術部厩舎…現在16頭の馬が学内で飼われています。生きものですから部員たち(みんな大学入学前は未経験者)の手によって毎日休まず餌やりが行われています。年間2000万円かかるということでした。たいへんさを感じました。
・法学部同窓会…初級・中級・上級で政治や法律にかかわる3択クイズが行われていました。全問正解者にはもれなく賞品が提供されていました。会場にはOBの岩田公雄氏がいました。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/?page_id=28155
https://www.gakushuin-ouyukai-branch.jp/hougakubu/archives/1803
・士業桜友会…士業会員による無料相談会が行われていました。学習院行政書士桜友会の唐沢博幸会長(東京会)にご挨拶してきました。
・福島桜友会…移動水族館の展示がありました。会津コシヒカリ2合のプレゼントがありました。
・剣道部…雨天ということで予定されていた野試合は中止となり、部員たちは武道場で稽古に励んでいました。
・大学新聞社同窓会(→これが都内訪問の用向き)…最年長は90歳超から現役学生まで集いました。いろいろ昔話が出てそれを聴くと、私も記憶がよみがえってくることがあって面白かったです。写真も暗室で現像していましたし、印刷も活版から写真植字への移行期でした。割り付けも手作業でしたが、卒業後、ある活動では役に立ちました。
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/?page_id=28155
【新宿編】
・帰還者たちの記憶ミュージアム…企画展「おざわゆき『凍りの掌』原画展 シベリア抑留 記憶の底の青春」が開かれていました。新宿住友ビル33Fにあります。総務省委託の平和祈念展示資料館となっていて入館無料です。さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦への理解を深める施設ということです。旧軍の加害性などについては一切触れていません。
https://www.heiwakinen.go.jp/
・スンガリー新宿三丁目店…ゼミでの同級生と食事をしました。同店はロシア料理が専門です。新宿東口本店へは大学生時代から何度か行ったことがありましたが、新宿三丁目店は初めてでした。私が注文した「スンガリーコース」は、以下の通り。マリノーブナヤ・ケタとブリヌイ(ロシア式フレッシュサーモンマリネのブリヌイクレープ包み)、グリヴィー・ヴ・スミターニェ(マッシュルームのつぼ焼きクリーム煮)、ボルシチ(赤かぶと肉野菜の旨みたっぷりスープ)、ゴルブッツィ(ウクライナ風ロールキャベツの煮込み焼き、トマトクリームソース仕立て)、フレープ(自家焼きライ麦パン)、チャイ(パラジャム、季節のジャムを添えたロシアンティー)。飲み物は、エストニア産の瓶ビール「ジュビリエイニス」にしました。ずいぶん久しぶりの味でしたが大満足でした。
http://www.sungari.jp/store_sanchome.php
https://www.ikemitsu.co.jp/product/jubiliejinis/
【神保町編】
・おどりば文庫…「BOOKTOWNじんぼう」のサイトで軍事カテゴリーの書店リストに載っている店舗が3つあり、それらを訪ねてみました。まず訪ねたのはこちらです。実際に訪ねてみたら「おどりば文庫」ではなく、「西秋書店」となっていて当日は営業していませんでした。
https://jimbou.info/bookstores/ab0202/
・軍学堂…訪ねた時間のときが開店前だったようで開いていませんでした。となりは三省堂書店があったところで新ビルを建設中でした。新しい三省堂は来年1月にオープン予定とありました。
https://jimbou.info/bookstores/ab0205/
https://www.gungakudo.com/
・文華堂書店…この日唯一開いていました。いずれも藤田豊著の第三十七師団戦記出版会(山中貞則会長)発行の『春訪れし大黄河』『夕日は赤しメナム河』を購入しました。ほかにも気になる古書がありましたので、また行ってみたいと考えています。
https://jimbou.info/bookstores/ab0140/
【有楽町編】
・+DA.YO.NE.GALLERY(プラスダヨネギャラリー)…中高大を通じての先輩である米原康正氏が運営するギャラリーの1つで阪急メンズ東京7Fにあります。さまざまなアーティストの作品が展示されています。当日は、夏目らんさんの作品を紹介していました。なお、米原氏が運営するギャラリーは原宿、表参道にもあります。機会があればそちらも訪ねてみるつもりです。
https://dayonegallery.com/
・まるごと高知…朝ドラの「あんぱん」の舞台・高知県のアンテナショップです。2Fがレストラン「TOSA DINING おきゃく」で、安芸市名物御膳を食してみました。ごはんとみそ汁はおかわりできるのでボリュームもありました。1Fは特産品ショップの「とさ市」、B1は土佐酒ショップの「とさ蔵」となっています。「とさ蔵」では、高知けいばのポストカードが無料でもらえました。
https://www.marugotokochi.com/

 

専門知を無視するバカに行政は任せられない

添付のグラフ画像は、TSMC量産開始前後のPFAS汚染の推移を示した熊本県の資料です。
一見してTSMC量産開始とPFAS濃度上昇との因果関係が疑われます。
このデータについて熊本県環境モニタリング委員会の専門家は「因果関係あり」との認識ですが、驚くことに熊本県(菊陽町も)の担当者は「因果関係不明」との説明を繰り返しています。
これほどあからさまに科学データを無視するのは致命的に無知であり、破廉恥だと思います。
つまり因果関係不明ということで、なんら水質汚染を防ぐ手立てをとらないと、熊本県は宣言しているのと同じです。はっきりいってこういうバカどもに行政を任せていて良いのでしょうか。
詳しくは、4月9日の朝日新聞熊本地域面で報じられています。
https://www.asahi.com/articles/AST484VSRT48TLVB003M.html

入学式参加雑感

4月9日、地元の小学校と中学校の入学式に、それぞれ午前と午後参加しました。入学式は卒業式と比べて式典時間が短いのが通常です。集中力がない小学1年の新入生ならなおさらのことで、卒業式の3分の1程度、30分余りで終了します。今回初めての経験として卒業式においては教育委員会告辞がペーパー配布でしたが、来賓祝辞もペーパー配布となり、さらに簡素化されました。これはたいへんいい試みだと歓迎しています。
一方、今回の小学校入学式では、先月の小学校卒業式と同様、市議(※1)が来賓紹介後に式途中で退席しました。全体で30分余りの式典において閉式まで残り10分もかからない時間帯にただひとりわざわざ退席するのです。そんなことなら最初から出て来るなと思いますし、忙しそうな政治家センセイとしての大物感を出したいと、ひょっとして本人はカン違いしているのではないかと思います。他の列席者からすれば、その行動に当該人物の小物ぶりが印象付けられます。まぁ、こちらとしては、地域内での人間観察のいい機会となる楽しみもあります。
中学校の入学式で目新しかったのは、今月から導入された市立中学校標準服を着用した新入生もかなりいたことでした。ブレザーにネクタイかリボン、女子はスカートではなしにスラックス着用も可能です。選択の幅が広がったのはいいことだと思います。従来の標準服(制服)は、51年前に入学した私の時代と同じ詰襟学生服(男子)・セーラー服(女子)のタイプです。式場内の在校生(2年生・3年生)で新標準服に身を包んだ生徒は見当たりませんでした。市の社会福祉協議会が不用な制服の寄付を募り安価で販売する「制服バンク」事業を行っています。こうした事業はたいへんいいことですが、もっと根本的なことをいえば、私服通学も可とする道もあっていいのではと思います。
式の運営については、先月の卒業式ではペーパー配布だった教育委員会告辞が登壇復活し、逆に卒業式では登壇だった来賓祝辞がペーパー配布となりました。小学校と同じくどちらも登壇なしで良さそうなものだがと思いました。特に教育長が何かあったら学校へ言ってくださいと述べていましたが、せっかく登壇するのであれば(学校に言っても埒あかないこともあるので)教育委員会へも言ってくださいと呼びかけてもいいのではと思いました。
最後に、ここでも全体で45分程度の式で残り10分足らずの時間帯にただひとり途中退席の市議(※2)がいました。この人物は先月の小学校卒業式でも上記の市議(※1)と連れ立って途中退席していました。ということで、最初から出てくんなという印象の悪い市議が(※1と※2の)2人います。
https://www.city.uto.lg.jp/article/view/1193/8595.html
http://www.utoshakyou.jp/business14.html

予防原則の基本を守れ

熊本県においてはTSMC稼働後にこれまで未検出のPFASが下流河川から検出されるなど、水質汚染への対応が問題になっています。このことに県民の生命と財産を守る責務がある知事は「住民生活の不安をあおることをしてはいけない」などと4月4日の会見で述べ、いったいどっちの方向を見て仕事をしているのか、非常にフシギな方だと感じました。
そんななか、4月7日、NHKの国会中継の参院決算委員会で、半導体企業によるPFAS(有機フッ素化合物)汚染の実態調査と規制強化の必要が議論されているのを偶然視聴しました。質問議員の事務所ホームページにパネル1~4の有益な資料もアップされていましたので、画像も借用添付してみました。
議論のポイントとして、欧州連合(EU)ではすでに「安全性が確認されていない物質は規制する」という予防原則に立ち、PFASの規制を強化していることが挙げられます。しかし、日本では、ことに経産省が「危険性が明らかでないものは規制しない」という立場をとっていて、水俣病の被害拡大に加担した前身の通産省と同じ過ちを重ねようとしています。
いわば国民・県民を人体実験の危険にさらしているわけです。国にしても熊本県にしてもトップの無能ぶりには危険性を覚えました。トップの安全性が確認されるまでその任に留まるのは願い下げです。
なお、質問した参院議員のプロフィールを拝見すると、鳥取大学農学部1982年卒とありました。同じ大学学部を1990年に卒業した人権侵犯歴のある前衆院議員が某党から今夏の参院選に出るみたいですが、政党にも公認候補の選考にあたって予防原則を働かしたらどうだいと感じてしまいました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik25/2025-04-08/2025040802_02_0.html

『核心・〈水俣病〉事件史』読書メモ

全219ページからなる富樫貞夫著『核心・〈水俣病〉事件史』(石風社、2500円+税、2025年)を、4月6日に行われたJ2第8節ロアッソ熊本vs.カターレ富山のゲーム観戦のため向かったスタジアムとの往復の時間に読了しました。富樫先生からはご著書刊行のおりにいつも頂戴しているので、文章を読みなれている点もあるかもしれませんが、論理明快、切れ味が爽快でいて人物描写も的確、つまりは読者が理解できやすい読みやすさを覚えます。実際、本書は帯にも謳っている通り「水俣病事件入門決定版」に値すると思いました。
富樫先生は、熊本大学で民事訴訟法を教授されていたのですが、私はその分野での接点はありません。専門は他にあったとしても、水俣病事件の通史を書かせれば、先生の右に出る人を私は知りません。そして、今回本書を読んで、先生を法律家という狭い枠に捉われて見るのは間違いで、実は政治学者あるいは社会思想家に近い視座を評価すべきではと思うようになりました。
本書内の記述からそれを感じる箇所を下記に引用してみます。
p.75「本来、水俣病の原因を究明し、被害の拡大を防止すべき第一次的責任が、原因者であるチッソにあることはいうまでもない。しかし、通常、疑いをかけられた原因企業が自分の責任で原因を究明することは、まず期待できない。チッソの行動が示しているように、加害企業は、例外なく、判決などで断罪されるまで原因者であることを否認し、その間、廃棄物を出しながら操業をつづける。これは、近代日本の公害の原点といわれる足尾鉱毒事件以来一貫して変わらぬ企業の行動様式である。そうだとすれば、被害の拡大防止にあたって行政に課せられた責任は大きいといわなければならない。」
p.235「長い水俣病の歴史を通じて、チッソの責任とともに問われているのは、行政の責任である。水俣病の発生や拡大を防止するために、国はいったいその責務を果たしたといえるのかという問題だ。」
p.237「水俣病の歴史を通じて問われてきたのは、日本という国家のあり方の問題であり、人民に対する国家の責務は何かという次元の問題だからだ。」
p.244「水俣病事件は、日本の近代化が生み出したものであり、今日の経済大国日本のもうひとつの顔である。私たちは、この巨大公害事件の歴史をたどることによって、どのような犠牲のうえに現在の日本が存在し得ているかを垣間見ることができるはずだ。」
本書には学生時代に富樫先生の研究室に入り浸って「門前の小僧」を自任する朝日新聞水俣支局長の今村建二さんによるインタビューも載っていて、民事訴訟法を専攻する研究者の道へ進んだいきさつを初めて知りました。それによると、大学卒業に際して最初は企業の採用試験に臨んでいたそうですが、面接で重役にいつもかみついてしまうため企業への就職は断念し、親しい刑事訴訟法の先生に相談したそうです。しかし、相談を受けたその先生が「刑事訴訟法では飯が食えない」からと、民事訴訟法の先生を紹介されてそこの助手に雇ってもらったということでした。

『ルポ軍事優先社会』読書メモ

吉田敏浩著『ルポ軍事優先社会――暮らしの中の「戦争準備」』(岩波新書、960円+税、2025年)は、いかに我が国の安全保障政策が見当違いのであるかを理解する上で有益な情報が満載です。もっと言えば、米国に日本の主権と巨額の公金を献上し、自国民に対する棄民政策が進行しているのを知らずにいて、あまりにもおめでたいよねという警告の書だと思います。
国民一人ひとりもそうなのですが、対等である国の暴走を止めるよう地方自治体にもしっかりしろと言いたい気持ちにさせられます。
本書の内容の一部は、2024年4月~7月号の雑誌『世界』に掲載されていたので、すでに読んではいたのですが、改めてまとめて読んで良かったと思いました。つべこべ言わずに多くの方に読んでほしいと思います。
添付画像は、私が住む宇土市の広報2025年4月号p.12に掲載の「自衛隊に提供する対象者情報の除外届受付」のお知らせ。もともと自治体には自衛隊への個人情報提供の義務はないのですが、多くの自治体が本人の同意なく提供しています。この除外届すら同市では2年前からようやく制度化されました。詳しくは、本書「第2章 徴兵制はよみがえるのか 自治体が自衛隊に若者名簿を提供」を参照してみるといいです。
「第5章 対米従属の象徴・オスプレイ 危険な「欠陥機」を受け入れる唯一の国」では、有明海の海苔養殖への悪影響もさることながら、飛行の際に発生する低周波音も相当なものだと知りました。本書とは別の話になりますが、現在水俣の山間部で陸上型風力発電設置の計画があると聞いていましたので、これは考えものだなという印象を持ちました。風力発電機はせめて海上型でしか認めない方向であるべきではと思います。低周波音による被害については以下を参照ください。
https://www.soumu.go.jp/kouchoi/knowledge/faq/main2.q14.f_qanda_16.html

対応の中身を言わないとはだらしねえ

昨日(4月5日)の地元紙面に載っていた、TSMC工場量産開始後のPFAS上昇についての熊本県知事の定例記者会見での発言が、ずいぶんとのんきなものではっきり言って残念でした。口では、「専門家の意見を踏まえて対応する」と述べていますが、その中身が判然としません。
この知事の会見より前の3月26日に開かれた、熊本県環境モニタリング委員会において委員長は「(PFASを)少しでも減らす努力をすることが大事だ」「十分すぎるぐらい下げるのが良い」「何らかの企業努力を促すよう行政が求めていくべき」などと述べたとされます。
ところが、会見での知事は、委員会で出た「(PFBSやPFBAは)毒性が低い」「諸外国の飲料水目標値と比較しても低い」という見解だけをつまみ食いする形で、これが「専門家」の評価の大勢という印象操作を行い、TSMCへ物申すという姿勢はまったく見せていないようです。
PFASによる健康被害は、日本人だろうが台湾人だろうがTSMC関係者だろうがそうでなかろうが人を選びません。今回これまで未検出だった物質も出てきたわけで、TSMC操業開始との因果関係は濃厚だと思います。第3工場進出までは音沙汰なしというのではあまりにもだらしないと思います。コチョウラン回収で見せたような素早いフットワークを期待しています。

あんぱんで目を洗う

銀座木村家によると、昨日4月4日は「あんぱんの日」なのだそうです。今から150年前の1875年(明治8年)4月4日に創業者木村安兵衛が明治天皇へ「桜あんぱん」を献上したことを記念したからだと、そのサイトに由来が記してありました。NHK朝ドラの「あんぱん」が今週放送スタートしたこともあって、パンが人々へもたらす幸せ感に心が癒されます。
しかし、日本の近代化と製パン業・製菓業などの大企業の発展過程を見てみると、軍部との結びつきが強固だったことが意外と知られていません。平賀緑著『食べものから学ぶ現代社会 私たちを動かす資本主義のカラクリ』(岩波ジュニア新書)を読むと、日本では1885年ごろから機械製粉の小麦粉輸入が急増し、その主要商品は軍用パンやビスケットだったとされています。現在まで続く製パン業・製菓業の大企業の多くが帝国日本の海外進出に伴って誕生しています。具体的には、明治製糖(1906年)、森永商店(1910年)、味の素(1907年 創業時は鈴木製薬所)、日清豆粕製造(1907年 現・日清オイリオグループ)など。
しかも、日本の製粉業や製糖業、製油業(植物油)のみならず、原料を輸入する商社は、財閥系大企業による寡占でしたし、近代化を急ぐ政府はこれら新旧財閥を保護してきました。戦後の食料システムも基本的に同じです。現在の世界人口のカロリー摂取の半分以上は、小麦、コメ、トウモロコシという、たった3種類の作物で占められていますが、巨大企業と取引のマネーゲーム化の下で生産加工流通されているのが実情です。
それはともかく、朝ドラの「あんぱん」は、花粉症の時期ということもありますが、格好の洗眼剤となっています。主人公の朝田のぶちゃんが、長期の海外出張に赴く商社マンの父を駅まで見送って、その父が帰郷の最中に亡くなったという知らせが届く展開は、戦時中の私の母が体験した父親(私にとっては祖父)との思い出と重なり切なく思いました。
私の母の両親(私の母方の祖父母)は1930年に結婚、神戸港に近い西宮市甲風園に居を構え暮らしていましたが、開戦後、商船会社勤務の祖父は日本と南方を結ぶ軍の輸送傭船に乗務することもあって、家族は熊本市国府に留守宅を移すこととなりました。母と生前の祖父との別れは1943年の秋でした。1週間ほどの休暇を留守宅で家族と過ごしたのち、幼い子どもたち(私の母たち)だけで戦地に戻る父親を国府電停で見送ったといいます。祖父は1944年1月15日にフィリピン・マニラから台湾・基隆への途上バシー海峡で最期を迎えたので遺骨も家族の元へは帰ってきませんでした。
当時、国府の自宅は現在の宇土内科胃腸科医院の付近にありました。電車通り沿いに宇土屋旅館とその旅館の貸家数軒が並んでおり、その貸家の一軒で母たちは暮らしていました。1945年7月1日の熊本大空襲で一帯は焼失、多くの犠牲者が出ます。母たちは、その半月前に同地から祖父の実家がある不知火町へ移ったために、その難は逃れましたが、続く同月27日の松橋空襲を間近で体験しています。命を失う危険は当時だれにでもあったのです。
写真は現在の国府電停(2025年3月21日撮影)と基隆港(2018年7月28日撮影)。

『ルポ国威発揚』読書メモ

辻田真佐憲著の『ルポ国威発揚 「再プロパガンダ化」する世界を歩く』(中央公論新社、2400円+税、2024年)を読むと、国内外の約35カ所もの愛国スポットが紹介されています。私はそのいずれの地も訪ねたことがなかっただけに、新しい世界があるものだと視野が広がりました。なかにはサブカルチャー要素を取り入れた萌えミニタリー的な珍妙な場所もあり、それははたして戦没者慰霊として相応しいのかと疑問に思いましたが、管理関係者の声は、いたって大真面目であり、これはこれで愛国岩盤層の信念の逞しさを感じました。
著者によれば、国威発揚には「偉大さをつくる」「われわれをつくる」「敵をつくる」「永遠をつくる」「自発性をつくる」という5つの要素が存在するといいます。本書を読んで私なら実際に取材地を訪ねてみたいかというと、そこまでは思いませんでしたが、何ものかを伝えたいという熱意は感じました。この使命感的な部分は、確かな歴史研究の上に成り立つ戦争ミュージアムにも重要なことだと考えます。
せっかくですから、本書の取材地で熊本県と縁のあるところを列記します。
・台湾高雄市鳳山区「紅毛港保安堂」…日本海軍の第三八哨戒艇(旧駆逐艦「蓬」よもぎ)の熊本出身の艇長・高田又男海軍大尉以下145名の戦没乗組員を祀る廟であり、高田艇長は神(海府大元帥)とされている。この廟には安倍晋三元首相像や安倍氏揮毫の石碑もあり、安倍支持者の聖地ともなっている。
・岐阜護国神社内「青年日本の歌史料館」…「青年日本の歌」とは、1932年に五・一五事件を引き起こした海軍青年将校のひとり、三上卓が事件の2年前に作詞した右翼民族派にとって自らの気概を示す歌(そのため「昭和維新の歌」とも呼ばれる)なのだそうだ。史料館は三上の遺品を保存する修養施設「大夢舘」(岐阜市)と護国神社が共同で設立した一般財団法人「昭和維新顕彰財団」によって運営されており2023年にオープンした。大夢舘の現舘主である鈴木田遵澄氏(取材時35歳)は熊本県在住。20歳のときに現役自衛官ながら国会議事堂で割腹自殺をはかり逮捕された過去を持つ。そのときに決起文に「青年日本の歌」の一節を引用していたとされる。
・人吉市桃李温泉いわくらの杜内「高木惣吉記念館」…アジア・太平洋戦争末期に米内光政海軍大臣をサポートして終戦工作に奔走した人吉市出身の高木惣吉海軍少将の遺品や資料を収めた記念館で2010年にオープンした。同館がある温泉旅館は高木の親族が経営している。さらに記念館は上記の紅毛港保安堂と連携している。
・球磨郡湯前町里宮神社内「軽巡洋艦球磨記念館」…日本海軍には艦名にゆかりのある神社より守護神を迎える伝統があり、軽巡洋艦球磨の艦内神社には市房山神宮の祭神が祀られていた。そのことが2015年に明らかになり、市房山神宮の里宮である地に2018年記念館は建った。展示内容は球磨に関するものより海軍全体に関するものあるいは「艦これ」関連のものがあり、カオス的らしい。本書では触れてないが、昨年7月に「艦これグッズ盗難事件があり一時閉鎖されたことがあった(その後盗品は戻り再開)。

頑固なのか単なる惰性か

わが人生のなかで7割方を占めて続けている習慣について2つばかり披露してみたいと思います。いずれもスタート日が後記の通り確定日付となっていまして、それらの習慣が続くというのは、頑固さによるものなのか、単なる惰性によるものなのか、これは自分でも定まっていません。他人からはきっちりしていると誤解されますが、自分ではけっこう怠け者だと思っています。手を抜ける部分は極力手を抜いて楽な暮らしをしたいと日々過ごしています。
さて、習慣の一つ目は、読書カードの作成です。きっかけは、1981年6月21日に読み終えた梅棹忠夫著の『知的生産の技術』(岩波新書)による影響です。同書で紹介されている「京大カード」(情報カードとも称される)に読んだ本の著者名・書名・発行年月日・出版社名・ページ数・入手先名・販売正価・入手価格・読了日・処分先・処分価格を記入してファイリングしています。カードは本1冊につき1枚作成します。法律専門書などは何回か読み直すことがありますが、カードを作成するのは1回限りです。したがって、ここ44年間については年間何冊の本を読んだのかも正確に把握できています。
問題は、B6サイズ横の「京大カード」やそれをファイリングできるバインダーの製品が割と大きな老舗の文房具店へ行かないと手に入らないことです。カードはネット上の情報によると、百均店で売っているともありますが、近隣店舗の売り場では見かけません。実際、読書メモを残したいときは、すべてデジタル情報で保管していますので、上記の製品が手に入らなくなったら、それはそれでしょうがないかなと思います。
梅棹忠夫さん(1920-2010年)についての思い出も言及すると、その姿を一度だけ拝見したことがあります。1990年8月に国立民族学博物館を訪問したときに当時館長の梅棹さんが側近を伴って館内に入られたシーンでした。その感激も習慣の継続に寄与しているのかもしれません。
そして、長く続いている習慣の二つ目は、バナナを食べないことです。このきっかけは、1983年11月5日に社会学者の鶴見和子さん(1918-2006年)の講演を聴いたあとの懇談会で、和子さんが父方の従弟・鶴見良行さん(1926-1994年)の『バナナと日本人』(岩波新書)を読んでからバナナを食べないと決めたと話されたことに触発されたからです。同書は、フィリピン産バナナの栽培から日本への流通を通じて多国籍企業によって開発途上国の人々が受ける苦しみを描いています。バナナ栽培に危険な農薬が大量に使用されていることも明らかにされました。
鶴見和子さんは、色川大吉さんを団長とする不知火海総合学術調査団の一員として『水俣の啓示』(筑摩書房)の執筆にかかわられていることもあり、水俣病患者が受けた苦しみをフィリピンのバナナ農園労働者のそれと重ねられて、バナナを食べないと決意されたと記憶しています。
私は、『バナナと日本人』を北区赤羽図書館から借りて1983年1月26日に読了してはいましたが、そこまで考えが及ぶまでは至っていませんでした。鶴見和子さんの講演を聴こうと思ったのは、『水俣の啓示』(上巻:芳林堂書店池袋西口店で購入し1983年8月19日読了、下巻:福岡金文堂本店で購入し1983年8月20日読了)を読んでお名前を承知していたので会ってみたいと思ったからでした。しかし、同書を読んで講演会に参加したことを懇談会で和子さんに話したら、たいへん喜んでいただいた面映ゆさがあって、それで私も調子に乗って以来バナナを食べない暮らしを始めました。
ちなみに、『バナナと日本人』の著者の鶴見良行さん自身は、1995年に「(自分は)バナナを買って食べる。現場を歩いてものを書く調査マンは、そのモノにつきあうのが職務上の義理だからであり、また、自分は上に立って人に指令を与えるような形の(社会)運動はあまり好きではない。自分の提供した情報によって読者が判断すべきであり、それはある種の民主主義の問題だ」と別の著作『東南アジアを知る─私の方法』(岩波新書、未読)で書いておられるようです。つまりは、読者それぞれが自分の頭で考えろというワケです。
おかげでたまに胃がん検診でバナナ味のバリウムを飲み込むたびにこの習慣の始まりを思い出します。

いかにも一般大衆が喜びそうな

NHK朝ドラの「あんぱん」初回放送の見ようと張り切ってNHKBSの番組表を朝イチで確認したところ、「あんぱん」の前の時間に再放送される朝ドラ「チョッちゃん」の舞台が北海道滝川市であることをついでに見知ってしまいました。「チョッちゃん」は、黒柳徹子さんの母・黒柳朝さんの自伝『チョッちゃんが行くわよ』を原作としているそうですが、初回放送された1987年4-10月当時は会社員時代で一度も作品を視聴したことがありませんでした。しかし、滝川は私にとって小学1年の1学期まで住んでいた土地であり、さっそく第7話を視聴しました。
そして、たくさんの拾い物をしました。まず、ナレーションが昨年鹿児島旅行中に訃報を聞いた西田敏行さん(養父の祖は薩摩藩士)。主人公の高等女学校での担任役として役所広司さん(出身地の長崎県諫早市を近年3回訪ねる機会がありました)。脇役でレオナルド熊さん(出身地が石狩川を挟んで滝川の西隣りの新十津川町)。といった親しみを覚える顔ぶれがかかわっています。しかも、レオナルド熊さんの墓所についてはたまたま昨夜グーグルマップを開いているときに明治大学和泉キャンパスの近くにあるんだというのも知りました(ほかにも著名人としては佐藤栄作や瀬島龍三、樋口一葉、中村汀女の墓が近くにあり)。熊さんについては、時事ネタを不条理コントで嗤わせる高度な芸風が秀逸でしたし、サントリービールのCMで発した「いかにも一般大衆が喜びそうな」という表現は1983年の流行語となりました。大量消費社会の薄っぺらな雰囲気をよく掴んだ印象に残る言葉です。
ところで、本日の「あんぱん」ですが、都会から地方の学校へ転校してきた子どもが受ける疎外感のシーンに自分を重ねてしまいました。前述の通り、私の場合も、言葉も気候もまったく異なる土地への転校体験でしたので、今でも私の心のどこかにここが嫌いだという思いがあります。転校初日に担任の河野幹子先生が学級の児童に教室に貼ってある日本地図を指しながら北海道から(異国の樺太よりも遠い!)九州へ渡ってきたということを説明したのをよく覚えています。まるで外国人が突然学級に加わったようなわけですから受け入れ側の児童にもまったく心の準備がなかっただろうと今では考えます。
多文化共生社会とか、いかにも一般大衆が喜びそうな言葉が、行政の啓発文書に載っていても、住民のふだんの振る舞いには、それと反する言動が多々あるという気付きは、マイノリティー体験の有無によるのかもしれません。
【追記】私の母から聞いたところでは、驚くことに、北海道滝川市一の坂町にあった朝さん(1910-2006年)の実家跡の医院で私が何度か診てもらったことがあるとのことでした。ただし、当時はそのことを私の母も知らず、後年テレビで写真が紹介されたなかで、行ったことがあると気づいたそうです。確かに、朝さんの父・門山周通氏は1908年に開業し1944年に亡くなられた方ですし、1965年ごろの住宅地図で確認する限りでも、門山の名の入った医院は見当たりませんでしたので、別姓の方が医院を継いだのだろうと思われます。

主要人権条約についての日本の批准状況

断片的なニュース情報や何の専門性をもたないコメンテーターの戯言だけに接していると、さまざまな事象がどうしてそのような結果をもたらしているのか、その要因まで考察することになりません。
解決へ導くため人類が築いてきた秩序や規範の多くは、大国主導で生み出されてきたのも事実ですが、そうしたものに照らして政治はいかにあるべきなのかを学ぶことは重要だと思います。
写真は、石田淳・長有紀枝・山田哲也編『国際平和論 脅威の認識と対応の模索』(有斐閣、2500円+税、2024年)のP.217にある主要人権条約についての日本の批准状況を示した表です。これにもある通り「移住労働者の権利条約」については、日本は未批准となっています。これには示されていませんが、他の先進国の多くも未批准なので、それをマネているようです。しかし、国連人種差別撤廃委員会からは批准するよう勧告を受けています。こういった部分に目を向けている政治家があまりいないので、国会で議論されているような覚えがありません。
なお、選択的夫婦別姓制度の導入や皇位継承における男女平等を保障する必要があるとして皇室典範改正を昨年勧告したのは、国連女性差別撤廃委員会です。これなんかは、「女子差別撤廃条約」を批准してから40年近く経つのに差別撤廃を実現できていない政府のダメさ加減を世界にさらす不名誉なできごとでした。

役者って凄い

最近ネット広告に表出する某求人情報サイトCMで見かける、東京タワーの上から地上の人間を見守る役所広司さんの構図から、いつもヴィム・ヴェンダース監督の映画「ベルリン天使の詩」(1987年公開)のシーンを連想します。天使役の主演、ブルーノ・ガンツが天空から眼下の人間の暮らしを見守る姿のそれです。
役所広司さんと言えば、やはりヴィム・ヴェンダース監督作品の「PERFECT DAYS」(2023年公開)に公共トイレ清掃員という市井の人物役で出演していますから、CM制作サイドで「ベルリン…」へのオマージュがあるのかなと思って、上記求人情報サイトのリリース情報も確認してみましたが、そうした記述は見当たりませんでしたので、今のところ私だけの勝手なイメージです。
話は少しそれますが、ブルーノ・ガンツといえば、2004年の「ヒトラー 〜最期の12日間〜」におけるアドルフ・ヒトラー役の印象が一般には強烈に残っていると思います。ネット上では、いまでも不祥事が起こるたびに別ネタの日本語字幕をかぶせて権力者を批判する素材にもよく使われているのを目にします。
そうこう考えると、天使役・普通の市民役・独裁者役のいずれの顔もこなせる役者さんって凄い才能だなと思います。まぁ社会人生活でもいろんな関係先で演じることがうまい人もいますから、騙されないようにしたいと思います。

くまもとの戦争遺産を未来につたえる!!

けさの熊本日日新聞1面には、4月1日より同紙の「わたしを語る」欄に旅行会社「旅のよろこび」社の社長・宮川和夫さんが登場するとの予告が載っていました。内容を期待しています。
同社は障がい者に参加しやすい旅行サービスを提供されていて、宮川さんの活躍ぶりは設立創生期ごろから知るところです。
宮川さんは近年、高谷和生さんがガイドを務める県内の戦争遺産を巡る旅も企画されていて、私も一昨年、昨年と参加させてもらい、お世話になりました。
ちなみに、その高谷さんも昨年6月から8月にかけて熊本日日新聞「わたしを語る」欄に登場されました。今年は戦後80年ということで、例年より多くの「くまもとの戦争遺産を未来につたえる!!」取り組みを企画されておられるようです。私も都合がつく限り参加してみたいと思います。
https://kumamoto-senseki.net/images/2025/25031801.pdf

石風社の本

石風社の書籍広告が本日(2025年3月27日)の朝日新聞1面記事下に載っていました。広告で紹介されている『企業の責任』発刊前のクラウドファンディングに応じていたので、出版社から22日に同書が返礼品として送られてきていました。そして、きょうは、水俣病研究会からも同書と『核心・〈水俣病〉事件史』の2冊の贈呈送付を受けました。
というわけで、手元に『企業の責任』が2冊あります。1冊はどこかへ差し上げようと考えています。

だからこそ民間の戦争ミュージアムが必要

3月20日の毎日新聞電子版で「南京大虐殺展示巡り賛否分れる 長崎原爆資料館の更新審議会」の記事を読んで、公立の戦争ミュージアムの運営の厄介さを感じるとともに、だからこそ民間の戦争ミュージアムが必要と強く感じました。
記事によると、長崎市の原爆資料館運営審議会なる議論の場があり、同館の展示内容の更新を巡る審議の中で、南京事件は「でっちあげだ」と主張する市民団体代表の委員から、同事件の記述を展示年表に含めないよう求める旨の発言があったとされます。さすがに日本近現代史の学者の委員から「『南京大虐殺は幻だ』という意見が議事録に残るのは耐えられない。従軍兵士の日記などさまざまなものの中に記録が残っている。不当に殺された市民や軍人がいれば虐殺なのであって、それを『幻だ』というのは歴史的事実として認められない」との発言があって、展示更新計画案の変更には至らなかったようです。
公立の戦争ミュージアムの運営を審議するのでさまざまな歴史観をもった人物が委員に就くことはありえるでしょうが、まともな歴史家が認めた史実を否定するような狂信的思考の持ち主が委員に入り込むのは、有害極まりないと思います。ですが、長崎市の「長崎原爆資料館条例」を確認してみると、運営審議会の委員は市長が委嘱するものとなっていて、委員の資質についての定めはありませんでした。前記の「でっちあげだ」発言をした委員は、「公益団体等を代表する者」枠の3人のうちの1人となっています。
つまり、市長の一存でエセ歴史の「有識者」も運営に携わらせることができる面が、公立施設にはあるので、よくよく監視しなければ「公益性」がない施設に成り下がる危険性があると感じます。
もっとも民間の施設とはいっても熊本県護国神社が2027年夏の開館を目指して3億円募金を始める「火の国平和祈念館」のような宗教関連施設では、戦没軍人の遺品や遺影を顕彰・慰霊するために展示するだけで、戦地での加害の歴史を振り返ることはもちろんしないミニタリー倉庫にしかならないと思われます。
必要なのは、歴史と科学の素養がある学芸員が常置し、平和構築や維持にはどう行動すべきなのかを考える材料を展示提供できる、民間の戦争ミュージアムにほかなりません。

Trumps

「財務省解体デモ」を持ち上げる方々のX投稿を見ると、結果的に国益となる国際援助や国際貢献に否定的であったり、国内で暮らす外国人に対しても不当に排外主義的な、何事も短絡的にしか物事を受け止られないTrumps的言動が多い気がします。
税制や社会保障のあり方の見直しを求めたいなら、声を伝える相手の矛先としても見当違いに思えます。

Trumpsとは、「世界に複数いるトランプ的人物」のことを指します。
a Trumpとは、Trumpsのひとりのことを指します。ポピュリズム権威主義の統治術を志向し、民主主義にとって極めて敵対的な言動をとる独裁者と評して差し支えないと考えています。

独裁者の特徴を、シグマンド・ノイマンの著書『大衆国家と独裁――恒久の革命』から借りると、「あらゆる独裁者には、友もなく同輩もいない。…彼は何者をも信頼しない。ある意味で世を捨てているのである。これこそ『超人間的指導者』となるために彼の払う代償である。彼はあまりにも大きく、あまりにも強く、そのために、またあまりにも孤独である」となります。
彼らは、一口で言うと、「お山の大将」です。彼らには、相手のために耳の痛いことでも忠告してくれる友人である「クリティカル・フレンド」がいません。近づいてくるのは利権を貪るさもしい人ばかりとなります。そして、表面上の学歴がどうであれ、トランプ氏のように歴史や科学に無知な傾向を感じます。