占領期の歴史メモ

『現代東アジアの政治と社会』を読み進めると、アジア・太平洋戦争の敗戦から国際連合に加盟するまでの占領期、国際社会の外にいたときの日本の(特に東アジアの)周辺環境の変化の史実についてあまり学んでいなかったことを改めて思い知らされます。当時は多くの国民が内向きで自身の戦後復興が第一だったので、国民的記憶が薄いのもわかります。確か評論家の渡辺京二氏が故・石牟礼道子氏と思われる人物について彼女は朝鮮戦争があったことを知らなかったということをどこかで書いていたのを覚えています。
その朝鮮戦争、これは現在も休戦状態にあるわけですが、1950年の開戦後の日本には戦争特需景気が起きたことは事実です。国連軍が日本を基地として出兵し、その物資の調達をドルで支払ったため、日本には1953年までの戦争時期に都合11億ドルが流入し、日本経済の早期の回復を可能にしました。つい最近、新潟県某市の教育長が「コロナ禍を解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することではないか」と発言して辞任することになったという報道がありました。人の血が流れても経済優先という思いの至らなさは教育行政に携わる者として決定的に資質が欠落していますが、戦争の悲惨さに無自覚なおめでたい日本国民が案外多いのではとも思いました。
戦後日本が国際連合へ加盟するまでの東アジアの国際環境を知らないと、今日の枠組みの成り立ちも理解できませんし、相手に何を言えば反発を招き、どのような態度で接すれば理解や協力が得られるかもわかるはずです。本書から当時の姿をメモしてみます。
・1945年の国際連合成立時、中華民国は5大国の一つとして常任理事国入りを果たした。しかし、中国国内は、国民政府支配区、中国共産党の革命根拠地、親日政権支配区、日本の占領区に分かれ、複合国家の様相を呈していた。華北などの親日政権区もしくは東北部では日本軍の武器や戦略物資の接収で国共は激しい攻防戦を展開していた。米ソも戦後間もない中国に介入することで東アジアの勢力図を自らに有利に再構築しようとした。1949年の中国の分断化は、どちらの中国が正当であるか、どちらを承認するかという問題を国際社会に提起した。中華民国政府は、1949年、南京から広州、重慶、一部が台湾へ移動を開始した。米国は、国民政府は腐敗による経済破綻で自壊したと断定して中国国民党とこの時点で決別した。その年の中華人民共和国の成立にあたってソ連はただちに承認し、米国は不承認とした。中華民国政府は重慶から成都へ移転し、台北へ遷都した。なお、国民政府は故宮博物院の宝物を中国の正統政府の「一つのシンボル」と考え、1931年から南京、上海などへの移送を開始して、1949年半ばまでに台北へ移送を終えている。そのため、早い時期から台湾への移転を計画していたといえる。1947年には台北市民が国民党政府の警察・憲兵隊によって武力鎮圧される、いわゆる二・二八事件が起きている。
※国共内戦において共産党が戦いを有利に進めた理由の一つとして日本軍から接収した武器の存在を指摘する歴史家もいる。蔣介石が抗日戦後直後の日本および日本人へアピールした「以徳報怨」(戦争責任及び敵を軍閥のみに限定し、日本人民を敵とせず)の演説や中国の軍艦による日本軍捕虜・民間人200万人帰還事業の実行については、現在あまり知られていない。また、抗日戦争中に蔣介石朝鮮臨時政府の指導者たちを保護して朝鮮独立を支援していたことも現在はあまり知られていない。
・カイロ会談以前から蔣介石(中華民国)とチャーチル(英国)の香港回収をめぐる確執があった。一方、毛沢東は、外モンゴル(1945年独立)・新疆問題や香港問題(英国による再占領・防衛)・チベット問題を「副次的」問題として、英国とソ連との関係を優先し、内戦を有利に戦う戦略をとっていた。1950年頭に英国は中華人民共和国を承認する協議に入ったため、中華民国は英国との断交を決定した。
※戦時中に毛沢東が進めた減租運動や整風運動は中国共産党に対して清廉な印象を国内外に与えることに成功した。蔣介石と国民党は独裁者とファシスト党という共産党によるネガティブ・キャンペーンに悩まされていた。英国が香港の返還先を台湾にしなかったのは、チャーチルと蔣介石との確執があったためである。蒋介石の「中華の回復」を実現するという「夢」は当時の大国の論理の前でもろくも消え去ったが、今日の中国共産党が引き継いでいるともいえる。
※1943年のカイロ宣言は、東アジアの戦後の国際関係を決定づけるものになったが、会談での英中の対立により、中国はその後戦後構想から疎外される場面が多く見られた。1943年のテヘラン会談、1944年のダンバートン・オークス会議(ワシントン郊外)、1945年のヤルタ密約はいずれも英(チャーチル)・米(ルーズヴェルト)・ソ(スターリン)の三者だけで戦後構想は決定された。ヤルタ密約の内容は中国の主権にかかわるものが多いが、それが中国に知らされたのは1カ月以上も経ってからであった。
・1950年頭時点では、米国は台湾問題には不介入宣言をしていたが、朝鮮戦争勃発後にはそれを破棄し、中立化宣言を出し、台湾防衛の姿勢を示した。蒋介石も朝鮮戦争の戦場へ陸軍精鋭部隊33000人派遣を表明した。
・1951年のサンフランシスコ平和条約で戦後処理を済ませたことが日本の国際社会への復帰の節目とされている。サンフランシスコ講和会議には対日参戦をした55か国のうちの51か国が参加し、中国・インド・ビルマ(ミャンマー)・ユーゴスラビアの4か国が不参加であった。日本と参加国中48か国の間で条約が締結されたが、ソ連・ポーランド・チェコの3か国は調印を拒否した。調印と同じ日に日米安全保障条約も締結された。サンフランシスコ平和条約が発効した1952年で連合国による日本占領は終了することとなった。1952年に自衛隊ができ、1954年に米国とMSA協定(日本国と米国との間の相互防衛援助協定)が締結された。
※1951年の時点では、中華人民共和国と中華民国のどちらの政府と日本は戦後処理を行うかという課題が残された。講和会議には対立を避けるためどちらの政府も招聘しないことを米国が決定していた。会議の前年、英国(アトリー政権)とソ連は中華人民共和国を参加させるよう主張していた。
・戦後の日中関係のスタートとなった1952年の「日華平和条約」締結時、米国追随の外交路線を選択せざるを得なかった日本は、中華人民共和国との国家間関係の樹立を断念するしかなかった。そこで、国交がないながらも、人民共和国との貿易に強い関心を抱き、人的交流と民間貿易を再開させる道を模索した。国共内戦末期の1949年、日本は人民共和国との間に「中日貿易促進会」、「中日貿易促進議員連盟」、「中日貿易協会」が成立した。1950年、「日本中国友好協会」が発足した。しかし、これら4団体の活動は朝鮮戦争勃発後GHQによって弾圧を受けるようになり、「日華平和条約」締結後はさらに厳しい監視下におかれるようになった。「友好協会」は『人民日報』を香港経由で輸入していたが、その活動が「占領を誹謗する文書配布による占領目的阻害」の罪に問われて逮捕者まで出した。
※三権分立がない現代の香港における中国中央政府の存在は、占領期日本におけるGHQの存在と重ね合わせることができて興味深い。
・中華人民共和国は成立当初、社会主義ではなく新民主主義、連合政府論を反映した国家建設を行った。社会主義移行へは長ければ15年から20年かかると指導者は考えていた。1949年に決定した臨時憲法による連合政府の最高権力機関の人事では、共産党44%、各民主諸党派30%、労働者農民各界無党派26%から構成された。
・毛沢東は抗日期にはソ連の「民族自治」政策に倣い、連邦制を模索したが、建国後は内モンゴル、新疆、チベットを「中華民族の自治区」とする政策をとった。1951年春には台湾を攻略し、国家統一を完成させる計画を立てていたが、その計画を中止させたのは朝鮮戦争であったし、計画よりも早く社会主義への道を選択せざるを得なくなった。共産党一党による指導体制の確立が加速していくのは1953年からである。1954年憲法で民主諸党派は共産党の領導下に組み入れられ「野党」ではなく「疑似政党」となっていった。
※朝鮮戦争が起こらなければ、大陸による台湾の「解放」という名の統一は早期になされていたかもしれない。1950年に40万の中国人民志願軍が出兵し、朝鮮戦争では米軍との交戦があった。台湾海峡に米第七艦隊が停泊していた。
・日本が国際連合へ加盟したのは1956年。それまではソ連が拒否権を発動していた。

貶めるとはどういうことか

本日(9月2日)の地元紙文化面に『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』の紹介記事が載っていました。共同通信による配信記事と思われますが、この記事の最後の方で、最初に「朝日新聞を糺す国民会議」による提訴があった際に原告団が開いた記者会見において、ある外国人記者が行った質問が紹介されていました。それは、「私の理解では、朝日新聞の報道のほうが国際社会でポジティブ(肯定的)に受け入れられている。「朝日新聞の報道が日本の評判を貶めた」というみなさんのメッセージのほうが、国際社会がネガティブ(否定的)に受けとめているが、それはなぜだと思うか。」(p.190)の部分からの引用でした。
この質問に対して原告側は「ここに来ているアメリカ、ヨーロッパの記者の方も、日本についてまったく無知で不勉強です。」と、無礼な返答をしたほか、「日本人は野蛮でも残酷でもない。女性を不当に扱っているわけでもない。(中略)実際の日本人の家庭をコントロールしているのはむしろ奥様である。女性である。そういった独特の文化を持っている国であります。」と、戦時の慰安婦の人権侵害にはまったく思慮を欠いて、原告の家庭生活における女性の地位の話にすり替えたりしていました。そのため、「外国人記者らの中には不快な表情を見せ、「聞いていられない」とばかりに耳をふさいだり、手を振ったりする格好をしながら退席する人もいた。」(p.192)そうです。この記者会見のやりとりについて知るだけでも、日本国と日本国民を貶めているのは一体どちらであるかが容易にわかると思います。
先の外国人記者の質問の前に、筆頭原告の口から「私はやはり国連の人権問題のところに行って、朝日の社長が腹をかっぱさいてですね」という発言もありましたが、国際社会の人権基準では朝日新聞の報道や女性の出身地に関わりなく慰安婦制度があったこと自体がアウトなわけで、あまりにも不見識な人たちから裁判が起こされていたことがわかります。

民意の指標

『現代東アジアの政治と社会』の中に、日本における選挙権の広がりのデータが載っていましたので、興味をいだきました。言い換えれば、この国における物を言ってもいいとされた国民の資格の歴史です。過半数を超えるようになったのは、戦後のことということがよくわかります。ただし、現在においても実際に国政選挙が行われたときの投票率からいえば、国民の半数以上が政治に白紙委任状態になっていて、属性の違いはありますが、政治的市民の意思の反映は戦前並みなのかもしれません。
(施行年/条件(直接国税)/性別/人口比/備考)
1889年(M22)/15円以上/男25歳以上/1.1%/制限選挙
1900年(M33)/10円以上/男25歳以上/2.2%/制限選挙
1919年(T8)/3円以上/男25歳以上/5.5%/制限選挙
1925年(T14)/制限なし/男25歳以上/20.8%/男子のみ普通選挙
1946年(S21)/制限なし/男女20歳以上/48.7%/男女平等の普通選挙
2016年(H28)/制限なし/男女18歳以上/83.3%/男女平等の普通選挙

歴史総合科目の時代

今読んでいる『現代東アジアの政治と社会』のまえがきで知ったのですが、これまで「世界史」と「日本史」に分けられていた高校の歴史教科書は、2022年から「歴史総合」として生まれ変わるそうです。本書の著者自身も、「一国史は本来成立せず、輪切りにした歴史を積み重ねてこそ真の理解ができる。」と書いています。たとえば、日中戦争の要因を見ていくなら、当然、日本側だけの視点だけでは追えません。当時の中国にはさまざまな政権勢力があり、それぞれの指導者の考えを振り返ると、いかに日本側の指導者の読みが浅かったかということも分かります。一言で指せば複雑怪奇です。軍事力だけで渡り合えば道を誤るということも歴史が示しています。逆に言えば外交手腕が軍事力に優る結果をもたらした歴史もあります。そうこう考えると、現代における外交をどう進めるべきか、学ぶ点は大いにあります。

初めての問合せ

経営している法人では特例で7月と1月に所得税の納付を行っています。設立10年目になるので、決算後に取締役の重任の登記をしなくてはならないことを期首に意識していましたが、今年7月の納付手続きは失念していました。もちろんこういうことは初めてで、それを知ったのは昨日、国税局から届いた納付照会のハガキによってでした。思い返すと、7月上旬は豪雨関連のニュースに気が取られていて足元の手続きが疎かになったようです。同時にその時期は自身の自筆証書遺言書保管制度の利用準備のため、地元の税務署と法務局が入っている庁舎へ足を運ぶ機会があったのにもかかわらずです。しかし、しっかり国税局は仕事をしているんだなと、感心しました。

教育の無償化という国際人権問題

何度も繰り返しますが、『国際人権入門』では、さまざまなことを学びました。条約機関の審査において協議資格をもつ国際NGOが活躍していることもその一つでした。条約機関へ寄せられる締約国の政府による報告というのはどうしても甘口になります。その報告内容が実態を正しくとらえていないことには、条約機関も適正な審査が行えません。ここに国際NGOの出番があるわけです。条約機関からの勧告を締約国は尊重しなければなりません。たとえば、かつての日本政府は、国内には少数民族がいないとしていたのですが、今ではアイヌの人々や朝鮮半島にルーツをもつ人々の存在を認め、少数民族の存在を認めています。
さて、昨日は連続在任日数の最長記録を立てた日本の首相が辞任を表明しましたが、自らの実績の中に「不完全な」高等教育の無償化を上げていました。実は、教育の無償化も国際人権問題となっています。日本では貸与型の給付金も「奨学金」と称されていますが、金融機関が扱う同様のサービスが「学資ローン」あるいは「教育ローン」と称しているとおり、国際基準では「奨学金」には当たらず、あくまでも「借金」です。本当の「奨学金」である2018年度の給付制奨学金(毎年2万人)の予算は105億円とされていますが、これは米国から買わされる(?)最新鋭戦闘機F35Aの1機約116億円に満たない額です(空母に離着できるF35Bはさらに高額)。
国際人権規約の一つである社会権規約は13条で、「教育についてのすべての者の権利」を認め、教育が人格の完成と人格の尊厳についての意識の発達を指向するものだということに締約国は同意するとしています(1項)。そして、2項では、この権利の完全な実現を達成するため締約国は次のことを認める、として、初等教育については義務的かつすべての者に無償とすること((a))、中等教育(中学・高校)については「すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものにすること」((b))、高等教育については「すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」((c))と規定しています。子どもの権利条約の28条でもほぼ同様の規定が置かれていますが、社会権規約2条1項は、「締約国は、立法措置などのすべての適当な方法によりこの規約で認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な資源(左記は著者訳。日本公定訳は「手段」)を最大限に用いることにより(中略)措置を取る」としています。
ところが、日本で2020年4月から実施されている「高等教育無償化」は、世帯の年収で支援率が異なり、大学院生は対象とはしていません。低水準で不完全な導入に留まっています。
こうして見ると、国内向けには「施し」として「高等教育無償化」が実施されていますが、国際的には完全実施しなければならない義務があることを国民の目から隠しているといってもいいかもしれません。教育を受ける権利が家庭の所得の違いによる自己責任とされるのは間違っています。

日本を現場とする国際人権問題

今読んでいる『国際人権入門』を読むと、日本社会で起こっている国際人権問題についていかに無自覚であったかと思い知らされます。私のような行政書士の立場にある人でもそうだと思います。たとえば、行政書士試験に合格して行政書士になる人は、憲法や民法などは学習経験があるはずですが、入管法もヘイトスピーチ解消法もそれらの各法について知るのは行政書士になってからだと思います。ましてや人権問題の国際基準について学ぶのはよほどの機会がなければありません。本書では、国際人権条約の条約機関の活動の中身の解説だけでなく、日本の入管収容施設における外国人の人権侵害問題、ヘイトスピーチ解消法の限界など、なかなか実情を知り得ない部分に光を当てて教えてくれます。中国その他の海外の人権問題もそうですが、足元の人権問題が、なぜ国際人権問題なのかを知ることは、なぜ日本政府の取り組みが及び腰なのかを知ることにもつながってくる思いがします。

共存への英知はあるか

けさの朝日新聞のオピニオン面のコラム「あすを探る 政治・外交」で上智大学教授の宮城大蔵氏が見立てている外交の思想が鮮やかで納得しました。
まず現在の日本の外交戦略は、「強引な海洋進出を含めた中国の膨張主義的な行動を前に、日米同盟の結束を一層固め、また、インド太平洋戦略などによってその拡充を図る。(中略)日米の結束に揺るぎがないことを示し、それを具現化するために日本もアメリカの世界戦略により深く関与することが重要となる。」こととなっています。
しかし、これには難点があります。「中国との軍拡競争に陥った場合、深刻な財政難の日本には圧倒的に不利になること」や「一見頼もしく映る「力と力」の外交路線は、それに特化するのは日本に有利とはいえまい。また、完全な日米一体化路線を追求すれば、逆に日本独自の存在感が希薄化し、他国からすれば、それならアメリカだけを見ておけばよいとなりかねない面もある。」と宮城教授は示しています。そこからは米国だけの繁栄の道しか見えてきません。
そこで、現在の外交戦略の行き詰まりに備えるヒントとして1950年代のインドのネール首相が展開した「友好による封じ込め」を同教授は紹介しています。これは、国境紛争も抱える中印の友好関係を世界に喧伝し、そのことによって中国がインドに対して敵対的な姿勢をとりづらくするものでした。
ともかく「力と力」の外交という発想は幅が狭く、行きつく先は現実の戦火となりかねません。日本と中国の共存と繁栄は周辺アジア地域にとっても互恵的なことです。人権や軍縮など国際社会が広く利益を得る外交を掲げながら日中の友好により膨張主義を封じ込める英知が国民に必要です。

現代東アジアの政治と社会

前にも書きましたが、先々に読みたい本があることほど、うれしいことはありません。今の中国の不運は周恩来のような寛容力のある政治家がいないことではないかと思います。それは、日本やロシアなど周辺国にもいえることです。周恩来については、かつて読んだ野田正彰著『戦争の罪責』で、日本人B級・C級戦犯を赦した懐の深さが描かれていました。一方で、「迷惑」と通訳された田中角栄の言葉を聴いた際には激怒した歴史もあります。

救済か補償か

写真の本書の刊行についてけさの地元紙が取り上げていました。焦点は病名呼称をめぐる考察論文を執筆した著者についてでした。同書については、共著者がほかにも4人おり、地元紙記者が「水俣病特措法の成立とその後」について書いています。法成立後当時の環境大臣に対してある被害者団体の幹部は「救済とは施しなのです。被害者は損害を受けたのだから、これからは補償という言葉を使ってください」と訴えましたが、この発言は、政府の施しによる救済はしてやるけれども患者としては認定しない=認定申請を金輪際させないという同法の本質を的確に言い当てていると思いました。この法律をめぐっては、原因企業の会長が「水俣病の桎梏から解放される」と社内向けに表明した経緯もあって、被害者の救済よりも加害者の救済を目指しているのではという声も当時からありました。こうして当事者の生の声を記録することで、何にどういう問題があるのかということが明らかになりますし、発言する言葉には日頃の思考の根底がやはり現れるものだという思いがします。

国際人権入門

自分が読みたい本が出版される環境があるのは、実に爽快です。けさの新聞広告で、申惠ボン著『国際人権入門』(岩波新書、800円+税、2020年)が目に留まりました。近いうちに読んでみようと思います。世界的なコロナ禍においてこれほど人権問題を身近に感じることはありません。すべて国際人権条約にかかわってきます。日本で実現が遅れている個人通報制度や国内人権機関の必要性を感じます。残念ながら多くの法律家はこうした国際環境について疎いように思います。人権擁護についての国際水準を理解している政治家や支援者が必要です。

無自覚ほど怖いものはない

昨日、外国人の方と会った後に、その方の出身国の人名について興味を持ち、後で調べてみました。それによると、その国では一般にいわゆるファーストネームしかなく、いわゆるラストネームはないのだそうです。しかし、それだと同じファーストネームの人が多いので、いわば区別するために、姓名代わりに父の名前を付け名乗ることはあるそうです。たとえば、父の名前が「太郎」、その息子兄弟の兄の名前が「一郎」、弟の名前が「二郎」だったとします。そうすると、兄は日本では「太郎一郎」、弟は「太郎二郎」として名乗っていることになります。仮に祖父の名前が「一夫」だっととすると、父は日本風には「一夫太郎」と名乗ることになります。ともかく、姓がないのですから、日本の常識で考えると、父と息子の関係が親子だということが、名前だけではわからないと思います。でも兄弟は兄弟、親子は親子としての絆はあり、その外国人は生きておられます。日本でも姓がなければ、夫婦の姓に悩む必要もありませんし、能力に見合わない世襲の弊害もなくなったかもしれません。
それで、きょうはある日本人の高齢者の方と話をする機会があったのですが、正確に言えばまったく会話が成立しませんでした。高齢者の方は自分の勝手な思い込みだけで、話をするだけで、こちらの説明することを聴かなかったり、説明されても理解ができなかったようです。認知症の傾向がみられましたが、そうした方が何か重要な職務を任されていたり、自動車の運転をするのはたいへん怖いなと思いました。

インボイス制度について

令和5年10月1日から消費税の仕入税額控除の方式は適格請求書等(いわゆるインボイス)保存方式になります。昨日、所属団体の研修会でこの制度についての解説を聴く機会がありました。大きな影響を受けるのは、課税事業者に対する売上比率が多い免税事業者となります。課税事業者としては、インボイスを発行できない免税事業者から仕入れをすると、支払った税額控除が受けられなくなるので、消費税納税の際に納める額が多くなります。そうなると、課税事業者はできるだけインボイスを発行してくれる課税事業者から仕入れしようということになります。免税事業者としては、課税事業者との取引が減ってきますので、収入減となります。悪くすると、廃業の危機に追い込まれるかもしれません。現在免税事業者がインボイスを発行できるようにするためには、自ら課税事業者になる必要があり、そうなると消費税納税負担も出てきます。免税事業者の選択が迫られています。しかし、国税庁という役所はいかにして税収を上げるか考えているのだなと妙に感心しました。

病名問題について

『日本におけるメチル水銀中毒事件研究2020』の第1部「「工場廃水に起因するメチル水銀中毒」を名付ける行為についての試論」をまず読み終えました。水俣病という病名改称を求める動きは、過去長らくあります。割と新しい動きとしては、2019年3月に「メチル水銀中毒症へ病名改正を求める水俣市民の会」が国道沿いに看板を設置し始めたことがあります。患者運動の側からは、かつてこうした動きには、被害者を差別してきた市民側から出たものとして反対したり、原因企業の責任を忘れさせないために逆に「チッソ水俣病」を用いる動きがあったりしました。病名変更を求める理由としては、しばしば市のイメージダウンになるとか、出身者が就職や結婚で差別を受けることが挙げられました。しかし、メチル水銀中毒症という名称では、チッソの工場廃水に含まれた水銀に曝露した魚介類を経口摂取してその症状が出た被害者とそうではない経路で水銀を体内に取り込んで同じ症状が出た人を区別することはできません。水銀曝露の経路がまったく異なる中毒症状についてチッソや国・県の責任を問うことはさすがにできないと思います。それと、被害者多発地域だからといって水俣出身者が不当に差別されること自体があってはならない人権侵害問題です。そうした醜い差別や偏見は地名が付いていようがいまいがなくなる社会をつくるべきです。公害病に限らず広島や長崎の原爆被爆者に対する差別や偏見の問題がそうですし、全世界で感染者が出ている新型コロナウイルス感染症陽性者・濃厚接触者に対する問題も同根だと思います。水銀規制をめぐる国際条約にも水俣の地名が入っているなかで、病名改称の必要はなく、むしろ過去の過ちと今も続く不当な差別と偏見を取り除くために、そしてたえずその認識を忘れないためにも地名は残す方が賢明だと考えます。

混迷する隣国を知る

岡本隆司著『「中国」の形成』(岩波新書、820円+税、2020年)の読書メモを残しておきます。
・「因俗而治」という対症療法を通じた多元共存ではあったが、清朝は明代のカオスに学び東アジアの多元勢力をとりまとめて一定の平和と繁栄をもたらした。
・歴史をたどると、「一体」の「中華民族」は存在しない。元来「多元」なのであるから、「多元一体」は「夢」でしかない。
・「中国」のトップにいる習近平国家主席は「中国夢」を唱えているが、その根幹にあるのは「中華民族の偉大な復興」である。しかし、(漢人社会は存在したが)かつて存在しなかった「中華民族」の回復はありえないので、「復興」は現実ではない。「夢」の実現に固執するのは、さらなる混迷を招きかねない。政権の宿命的な弱さともいえる。

水俣病とは何か

著者の一人から贈られて水俣病研究会編著の『日本におけるメチル水銀中毒事件研究2020』(弦書房、2000円+税、2020年)を読み始めています。同研究会は、メンバーの入れ替わりはありますが、過去50年間にわたって水俣病を研究しているグループです。出版社の本書の紹介文によれば「3月13日、福岡高裁で水俣病「史上最悪」の判決があった。胎児・幼児期世代8人による水俣病認定訴訟で「メチル水銀曝露との因果関係は明らかではない」として8人全員の申請が棄却されたのである。いったい水俣病とは何なのか。本書では水俣病事件がかかえる様々な問題の最前線を紹介する。」とあります。目次構成は以下の通りです。「Ⅰ「工場排水に起因するメチル水銀中毒」を名付ける行為についての試論/Ⅱ 水俣病特措法の成立(2009年)とその後/Ⅲ 水俣湾埋立地と熊本地震/Ⅳ 世界の水銀汚染と水俣条約——いまなぜ水銀が地球環境問題化しているのか」」。まだ第1章の途中ですが、患者運動の先頭に立った故・川本輝夫氏が語った、「(水俣病は)病気ではなく傷害事件である」という言葉が今でも突き刺さる鋭さを感じました。
ある問題を考えるときに、それをどう見るかによって、その用語の意味はずいぶんと変わります。たとえば、日本政府が慰安婦問題で表明した言葉には以下のものがあります。「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。」。これは、2015年12月28日の日韓外相会談で慰安婦問題をめぐって日韓政府が合意した際の、当時の日本の外務大臣の発言です。1993年の「河野談話」がベースになっていることが認められます。ところが、この公式見解を認めたくない勢力の人々は、慰安婦は「軍当局により管理されていた売春宿で働いていた慰安婦」に過ぎないとしたがっています。意に沿わず性的奉仕をさせられた女性の名誉と尊厳を無視した見方をしてしまうことは、現代の日本人の多くがそうとしか問題を捉えていないということを国内外に拡散することになり、かえって現代の日本人の名誉まで損なうことになると思います。不名誉な史実を隠ぺいするフェイク情報の発信は、日本が先頭に立つべき人権外交の足を引っ張るばかりか、自分たちへの新たな名誉毀損を増長させることにしかなりません。

勉強になったこと

まだ途中ですが、北野隆一著『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』(朝日選書、1900円+税、2020年)を読んでいます。
まず朝日新聞が2014年8月5-6日に出した、戦時中の済州島で女性を慰安婦にするために強制連行をしたとする故・吉田清治証言を虚偽と判断し、過去の同証言を引用した記事を取り消すとともになぜそうなったかを検証した記事があります。検証記事には挺身隊と慰安婦の用語の混同についても触れてあります。本書では著者自身が社内の検証チームに所属したこともあり、社内での検証過程が克明に記録されています。検証記事の中身については、きわめて真っ当な内容だと思います。吉田証言の舞台となった済州島へ赴いての取材も行われています。
ところが、この検証記事をネタに翌2015年1-2月に朝日新聞を敵視する3グループによる集団訴訟が同社に対して起こされます。私も2014年の検証記事についてはそれなりに覚えがありましたが、3つの裁判の内容については、あまり承知はしていませんでした。一つは、判決時期が2016年の熊本地震以降でもあり、正直なところ身近な関心事ではありませんでした。
そこで、原告の訴えの内容や裁判の経過、判決の詳細を、今回、まとめて知ることができました。実際、この裁判は3つとも原告が敗けましたが、敗けるべくして敗けた、荒唐無稽の訴訟でした。本来、民事訴訟において被告の不法行為によって被った原告の損害を裁判官に認めてもらうために、原告は因果関係を立証していくものなのですが、これら3つの訴訟は進め方がまるでなっていませんでした。「因」と「果」を言い立てるだけで、「関係」についての立証はまったくできていませんでした。よくそうした裁判の原告代理人を務める弁護士や原告として名前をさらす蛮勇がある学者がいたものだと不思議に感じました。著者は原告らの集会での発言も取材して、その内容も本書で知ることができますが、どうも原告らの願望は朝日新聞を潰すことにあり、裁判はそのための原告らの売名行動に過ぎなかったのではないかと思われます。目的と手段が合っていないので賢しさが感じられませんでしたし、朝日新聞にとっては迷惑この上ない出来事だったと思います。
私も朝日新聞を長らく読んでいますが、そんなに影響力のあるメディアだとは感じていません。地方だと、新聞報道ネタについて地域住民が話題にするとなると、ネタ元のほとんどは地方紙になります。ましてや海外で朝日新聞なる日本の新聞の報道に接する人は、ごくわずかでしょう。朝日新聞の報道がなくても従軍慰安婦の存在は史実として消えません。それで名誉が棄損されたとか、同紙が憎いと考える人の中では、あまたあるメディアの中でそこまで国内外での影響が大きいと言い切るその思い込みの激しさに驚きました。
もしも原告グループが言うように日本の裁判制度が信用ならないのなら、ぜひ日本政府に働きかけてもらいたいことがあるので、ここに提案します。それは、日本が加盟している国際人権条約で選択的議定書の批准を進めてもらい、条約機関への個人通報制度の導入と国内人権機関の設置を働きかけてもらいたいと思います。

貶めるということ

25年前の8月15日に当時の首相が出した「村山談話」は、アジア・太平洋戦争についての日本政府の歴史認識を示した、公式見解として歴代内閣に引き継がれています。しかし、その後も、その歴史認識を受け入れず誤った言動をする国民がいることも事実です。こうした動きについて、村山元首相が今年の8月15日に出したコメントのなかで、「日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、侵略や植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶めるのでは、ないでしょうか」と言っていました。これについては、全面的に賛同します。
昨日から読み始めた北野隆一著『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』のなかで、まさに国を貶める動きを思い起こしたので、紹介しておきます。一つは、2007年6月14日付け「ワシントン・ポスト」紙に掲載された、櫻井よしこ氏らによる意見広告「THE FACTS(真実)」です。この広告は、日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す文書は見つかってはいない、慰安婦はセックス・スレーブではなかった、などと訴えるものでした。慰安婦=公娼だから問題ないとするこの意見広告は米国内から強烈な批判を浴びました。同書では直接的な記載はありませんでしたが、2013年5月13日の橋下徹大阪市長(当時)の「慰安婦制度は必要だった」「米軍、風俗業活用を」の発言も、やはり国内外から多くの批判の声が上がった動きとして記憶に残る出来事でした。櫻井・橋下両氏の主張は、歴史認識以前に女性の人権を何も考えていません。この一点をもってして、国際的な常識でいう知識人の水準には達していないことを示していると私は考えています。ましてやこの程度の人物が政治の諸課題に意見する資格はないのですが、今日なおテレビ等でご活躍なのを見かけるたびに、なんと自虐的・反日的メディアが多いことかと思わされます。

それぞれの戦没者観

私自身は一度も参列したことはありませんが、昨日(8月15日)は日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式が開かれました。この式で追悼の対象となるのは、75年前のその日に終戦を迎えたアジア・太平洋戦争の犠牲者約310万人とされています。天皇の言葉にある通り「さきの大戦において」「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」なので、旧日本軍軍人・軍属約230万人、市民約80万人がその内訳です。靖国神社に1978年以来合祀されているA級戦犯がその対象者に含まれるか、政府は明らかにしてはいません。会場は1965年以来ずっと日本武道館となっていますが、1964年に一度だけ靖国神社境内で開かれています。
ところで、「過去を顧み、深い反省の上に立って、」追悼する際に、310万人の犠牲者だけが対象でいいのかという疑問は残ります。外国の軍人や民間人の失われた命にも思いを寄せなくていいのかという思いです。逆に旧日本軍軍人・軍属の戦没者が祀られている神社の参拝だけをもってしてすべての戦没者を追悼しました、平和を祈念しましたという姿勢に、民間人の死や外国人の死を考えていない、戦争の惨禍への思いの欠如を感じてしまいます。
空襲、沖縄戦・南洋戦、外国籍軍人・軍属、抑留者など、戦後補償からもれた戦没者の問題は75年経った今も残ったままです。ほんとうに私たちはすべての戦没者を追悼してきたのか、まだそこから考えてみるべきです。

克明な記録こそが未来への価値ある資産

7月18日の朝日新聞読書面で、日本中世史が専門の呉座勇一氏が石井妙子著『女帝 小池百合子』の書評の最後で「職業倫理や専門性を持たないタレント学者や自称歴史家のもっともらしいヨタ話が社会的影響力を持つ様を、評者は何度も目にしてきた。私たちが対峙すべきなのは、表面的な面白さを追いかける風潮そのものなのである。」と書いていました。こうした対峙を高い職業倫理と専門性をもって追究できるジャーナリストがいれば、とことん支援すべきです。写真の著者の仕事は30年近く見守っていますが、私が支援したいジャーナリストのひとりです。著者の仕事は、結局のところ人権が擁護された社会の実現につながり、その社会に暮らす多くの人々の利益にもなると考えます。裁判の記録をたどれば、アレとかソレとかテレビでコメントしている輩どもの無知と無恥ぶりが手に取るように理解できると思います。そうした輩にはとても怖い本かもしれません。