時代考証力の判断材料になる研究

尾脇秀和著『氏名の誕生』(ちくま新書、940円+税、2021年)は、日本国民の氏名の形が実は150年足らずの歴史しかない固有の伝統でもないものだということを明かしている学術研究の成果を示してくれます。江戸時代における武家社会と朝廷社会の人名の成り立ちの違いが明治の新政府の時代になってぶつかり合い、国民管理の都合上、現在の形に決めた過程が丁寧に実証されています。江戸時代の一般の人たちにとっては、苗字がなくても何ら差しさわりがなかったのですが、極端に言えば兵籍簿を備えるにあたってなんかあった方が管理上便利だったということに過ぎません。
江戸時代は一生の間に幼名・成人名・当主名・隠居名のように名前を変えることがむしろ自然でした。今のように親に付けられた名前に縛られる必要はありません。位が高い武士は官名由来のかっこいい名前を通称として使用していて、それがために本来の職名、たとえばどこそこの地域の長官という意味とは関係ない名前で普段は呼ばれていて、実名は手紙で使うなどして周囲の人から呼ばれる名前としては使われていません。位の低い武士や一般の人も官名由来の字を名前に取り入れていますが、勝手に使ってはならない表記もあるので、そうした決まり事を知っていないと時代小説・ドラマでありえない人物名が登場するハメになります。たとえば「必殺仕事人」の「中村主水」は時代考証的にはアウトになるようです。
氏名で国民管理を行う必要はあると思いますが、どう名乗るかという点については本人に決めさせることをもっと緩やかにしてもいいのではと思わせる本でした。それでいくと、家族で苗字が異なっていても関係そのものには変わりはありませんし、さらに言えば苗字は不要という選択があってもいいという議論さえ考えられます。