中国の指導者で周恩来は日米では評価が高い好人物として認識されています。1970年代に米中関係の基礎を共に築いたキッシンジャーは、周のことをスマートで思慮深い人物として回想録で書いています。日本にとっても周が唱えた戦争責任二分論によって日中戦争の戦争犯罪人の多くが死罪を免れました。連合国側の裁判の戦争犯罪人からは多くが極刑に処せられたのとは対照的です。1972年の日中共同声明においても中国側からの提案で「戦争賠償の請求を放棄すること」が宣言されました。台湾も以徳報怨の姿勢でいましたから、戦後処理においては大陸からも台湾からも恩恵を受けたことは否定できません。一方、中国内モンゴル自治区のモンゴル人からすれば、周は弾圧を加えた張本人ということになります。国内(漢民族)の対立による不満の矛先をモンゴル人に向けさせたと、『紅衛兵とモンゴル人大虐殺』の著者は指摘しています。まさに「夷狄」としてモンゴル人を扱っています。評価が二分されるわけです。専制国家の中で長らくナンバー2の位置に座るにはいろんな立ち振る舞いが要求されたと思います。歴史に登場する人物を見るときにいろんな側面から見る必要性を感じます。