愚行権を考える

今読んでいる『不寛容論』のなかに愚行権という用語が出てきます。他人に迷惑をかけない酩酊といった個人の愚行については寛容であるべきだという考えが独立前の米国でありました。ただし、よほど他人との接触を断って孤立して暮らさない限り愚行の実現が難しいのも事実です。ましてや国家に愚行権はありません。人権侵害という愚行への批判を内政干渉というのは間違っていると思います。一方、宗教文化によって許されるものと許されないものというのもあります。多宗教文化の共同体において法律を定めるというのはたいへん難しいことです。いわば宗教文化の違いによる愚行観の違いもあると思います。違いがあるからこそ寛容・不寛容の問題が生じてくるわけで、本書は米国のみならずどの地域の問題を考えるうえでも避けられない視点だと思います。