定住と遊動

昨日、自身の結婚記念日の小旅行をこのところしていないと投稿しましたが、昨年は太宰府の九博で開かれていた三国志展を観に行ったことを、連れ合いからの指摘で思い出しました。このように1年前のことでさえ忘れているのですから、かなりいい加減です。けさは、地元農業委員会が遊休農地に植え付けているジャガイモのめかき作業に参加しました。委員の多くはプロの生産者ということもあって作業は20分ほどで終了しました。12月初めの収穫が楽しみです。
人類学は面白い学問分野だと思いますが、昨日たまたま視聴した放送大学の講座では定住と遊動について語られていました。人類の歴史は500万年前から始まりますが、最初は狩猟民や遊牧民であって農耕を始めたのはつい最近の1万年前からなのだそうです。日本列島で稲作が始まったのは渡来弥生人によってですから3000~2000年前くらいに過ぎません。つまり、農耕を行うようになってから定住があるようになったわけで、それまでは遊動でした。いわゆる焼き畑農業は遊動を伴う定住ですから、人類が定住という味を知った歴史は浅いようです。そして社会が生まれるとさまざまな軋轢が発生し、憎しみや妬みも出てきます。悪いことは「呪い」で発生するという考え方も出てきます。遊動生活であれば、ウマが合わない人と無理に暮らす必要がなく、互いに離れればいいのですが、定住社会になると排除あるいは征服という行動になりがちです。もちろん現代社会では、定住していても社会的孤立、ひきこもりという形態もあります。ともかく面白いなと思ったのは、人類はもともと定住しない生き方をしていたので、社会でストレスを感じるのは不思議ではないということです。たまに仕事(職場)を変えて自由になりたいと思うのは当然のことなのだと思います。ということで、農業というのも人類学的視点ではかなり新しい産業なのだなと思った次第です。