クレメント・アトリー

大学時代の恩師・河合秀和先生の最新著『クレメント・アトリー』(中公選書、2000円+税、2020年)の読書に取り組み始めました。先生は1933年生まれですので、御年87歳です。今も現役の研究者でおられることに、まず読み手の方が姿勢を正さずにはおれなくなります。
現在では、歴史に埋もれてしまったできごとですが、第二次世界大戦末期から戦後まもなくの期間、日本を支える優秀な科学者や技術者の育成を目的として「特別科学学級」という英才学級が設けられていました。IQ150以上の全国から選抜された児童・生徒が高度なエリート教育を受け、結果的に敗戦後の高度経済成長を牽引する人材として、理工系をはじめ各界で活躍しましたが、先生も京都師範学校附属国民学校(現:京都教育大附属京都小中学校)と京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高)のなかに設置された学年定員30名の特別科学学級に在学されました。映画監督として活躍した伊丹十三と同級生でした。他に湯川秀樹の長男湯川春洋や、貝塚茂樹の長男で経済学者の貝塚啓明、日本画家の上村淳之がいます。京都における設置にあたっては、京都帝国大学の湯川秀樹博士の意向が働いています。湯川がじきじきに旧制高等学校(現在の四年制大学教養課程)レベルの物理学の授業を行うこともあったようです。物理・化学の実験や、生物の実習などにも重点が置かれました。授業の内容は数学や物理学や化学はいうに及ばず、当時敵性語だった英語、さらには国語・漢文・歴史にもわたっており、当時、治安維持法下の禁書とされていた津田左右吉の『古事記及び日本書紀の新研究』を題材に用いるなど、当時の軍国主義的イデオロギーにとらわれない高度な内容の授業で進み方も速かったといわれます。特別科学学級の児童・生徒は学徒動員が免除され、学習を継続しうる特権を持つとともに、上級学校への進学が保証されてもいました。現在のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)構想には、その精神が受け継がれているといえます。
当時の国民学校の歴史教科書を紐解くと、神国日本を刷り込む教育が行われていたことが明らかですが、一方のエリート教育では科学的リアリズム重視だったわけで、この対比から統治者と被治者の教育は別立てだったということがよく理解できます。