国内法と国際法の関係について

国内法と国際法の関係について放送大学テキストの『法学入門』の記載からメモを残しておきます。私自身は仕事柄少し国際法とは縁のある、行政書士という立場にいます。たとえば、在日外国人の難民認定についていえば、当然に難民条約の規定を意識しなければなりません。それだけではなく、迫害の背景を知ることも必要になります。インターネットを利用する上での著作権侵害の問題を検討するとなれば、まさしく世界に影響しますから知的財産保護の条約の規定も意識しなければなりません。といっても、いつもすらすら頭脳から湧き出すことはないので、必要に応じて資料にあたる作業が求められます。
まず国内法は必ずしも国内だけに適用されるものではありません。日本の刑法を例にとると、日本国民または外国人が、内乱罪、通貨偽造罪などを犯した場合(すべての者の国外犯)、日本国民が殺人罪、業務上堕胎罪などを犯した場合(国民の国外犯)、そして外国人が日本国民に対して殺人罪、強制性交罪などを犯した場合(国民以外の者の国外犯)は、適用されます。ただ、立法・執行・司法の国家管轄権が競合することがあるので、それは属地主義が基本となります。次に国際法(条約と慣習国際法)はどうかというと、国家はそれを遵守する義務があります(国内法援用禁止の原則はありますが、国際法に違反する国内法はただちに無効となるわけでもありません。しかし、国際法上の国家責任は問われます)。それにとどまらず、条約についてはそれぞれの国家で一定の措置が取られた後に、慣習国際法についてはなんらの国内的措置も取られることなく、国内的効力をもつとみなされています。
そこで問題なのは、国際法の国内的効力がどう確保されるかです。第一は、条約を国家の国内的な手続きを経て公布・発表する一般的な受容方式で、日本や米国、中国など多くの国家で採用されています。第二は、条約の内容を国内法のなかに移し替える変型の受容方式で、イギリスやスカンジナビア諸国で採用されています。なお、慣習国際法は特段の措置をとることなく国内的効力が認められています。
さらに、国際法を直接に国内裁判所が適用して判決が下せるかという問題があります。これに関連して国際法の国内的序列の問題もあります。日本においては、憲法と条約とでは憲法優位説が支配的とされています。慣習国際法と法律とでは慣習国際法が優位であり、憲法とでは憲法が優位と一般に考えられています。
そこで、前記の国際法の直接適用の問題ですが、最近の裁判例として以下があります。
・受刑者接見妨害国家賠償請求事件(高松高判H9.11.25)・・・受刑者が接見を制限されていることについて「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」14条(公正な裁判を受ける権利)違反を主張した例。→監獄法施行規則という法令よりも上位にある人権条約違反にあたらないかが審査され、損害賠償が認められた。最高裁判決では逆転敗訴となった。
・大麻取締法・関税法違反事件(東京高判H5.2.3)・・・外国人の被告人が通訳料の負担を命じられたことについて同規約14条3項(f)(無料で通訳の援助を受けること)違反を主張した例。→条約の具体的規定を裁判規範として用いて、通訳料の負担を命じた国側の行為が違法と認められた。ただし、現在も刑事訴訟法第181条第1項本文の改正は行われていない。
・小樽入浴拒否事件(札幌地判H14.11.11)・・・公衆浴場への外国人の入浴を拒否されたことについて同規約26条(法の前の平等・無差別)および人種差別撤廃条約5条(f)・6条違反を主張した例。→民法1条、9条、709条の解釈にあたっての基準として人権条約を間接適用し、入浴施設に賠償支払いが命じられた(高判で確定)。市の条例制定責任は最高裁まで争われたが認められなかった。
本書ではあまり触れられていませんでしたが、国内の人権状況が各条約機関からどのようにみられているのかについて確認する必要があります。ほんとうに国際水準に達した人権先進国なのかどうか、各条約機関から勧告の対象となっている国内法が意外と多いことを知ると驚きです。その点については、私が人権擁護委員として一端を担う法務省の人権擁護行政もお粗末極まりなくパリ原則が求める人権擁護機関の水準ではありません。人権委員会設置の方向も考えられているようですが、法務局の多くの職員はふだん国際法を意識することなく仕事をしています。