焼き場に立つ少年と同世代の父

【通夜の席でのあいさつ文を掲載します / 写真の寺と会場は関係ありません】
本日は父・関成行との別れのためにご参列いただきまして、誠にありがとうございます。
晩年の父がかねがね口にしておりましたのは、良き伴侶や4人の可愛い孫に恵まれて幸せだということでした。最期も特別養護老人ホーム照光苑の穏やかな環境のもとで迎えることができ、人生に悔いはなかっただろうと思います。私どもとしては、もちろん寂しさはありますが、それ以上に家族を見守り人生を全うした父を誇らしく思い、褒めてあげたい気持ちの方が強くあります。
ここで父の人生を紹介させていただきます。父は、昭和9年11月8日、農家の5男として当地で生まれました。小学5年生の夏に終戦を迎えるのですが、当時一番上の兄は出征中で、終戦間際に実家を空襲で焼失する体験をしています。私も子ども時代に父の実家で、焼夷弾の残骸の鉄くずが、漬物石代わりに使われていたのを見た覚えがあります。
昭和29年に当時の熊本鉄道高校、今の開新高校を卒業し、当時の保安隊、現在の陸上自衛隊に入ります。昭和35年に結婚、その後、二人の息子が生まれます。長崎県大村市や北海道滝川市での勤務を経て昭和44年から熊本へ戻りました。昭和62年に定年退官しました。自衛隊勤務時代は、幾度か災害派遣出動はありましたが、平和な時代のうちに勤めあげることができました。さまざまな免許取得にも励み、隊の中では自動車運転教習の教官も務めました。ですが、家庭内での父の操縦については、喪主を務める母が数段上手で夫婦で家計をやり繰りしてきました。
仕事外では、スポーツや趣味にも励みました。新年は地区の駅伝に何年も出ていましたし、四段の腕前を持つ銃剣道では私の結婚式前の大会でアキレス腱を切り、披露宴では車いすで参加したのも我が家の一つ話の大きな思い出です。私たち兄弟の子ども時代、本人はまったく本を読みませんでしたが、子どもに本の買ってくるのは好きな父でした。おかげで、二人の息子は東京の大学へ進むことができました。本人は定年退職後に吉川英治全集を読むといって買い込んだのですが、結局1冊も読み終わらないまま書棚を占有しています。
このようにだいたい自分が行いことは行って満足だったと思います。見送る遺族としては、父にならって悔いの残らない生き方を続けたいと思います。みなさんに見送られて父もたいへん喜んでいると思います。本当にありがとうございました。