このところ地方議会での「憲法改正を求める意見書」の取り扱いを巡っての投稿が続きますが、この意見書の取り扱い方によってその地方議員の程度が知れると思っています。憲法を改正するかどうかの問題ではなくて、憲法の役割である立憲主義がどうあるべきかという世界の常識を理解しているかどうかが問題です。
立憲主義の本質とは何かということですが、高橋哲哉氏がかつて寄せた論考「憲法記念日に考える」(2005年5月3日共同通信)にわかりやすい説明がありますので引用紹介してみます。「立憲主義の基本は、国家権力の乱用を防ぐために、権力者が何をすべきであり、何をしてはならないかを憲法に定めて、主権者である国民が国家権力を統制する点にある。国民の「権利」規定が多くなるのは当然である。憲法は為政者が定めて「国民が守る」ものではなく、国民が定めて「為政者に守らせる」ものなのだ。」
ここにある統制される側の連中というのは、とにかく変節します。都合の悪いことは忘れたり、隠したりして、責任をとらず、自分になびく者を好んで使い、用済みになれば蹴落とすのを得意とします。ですから、彼らは憲法改正案に個人の義務を盛り込みたがります。このように権力者は自分たちが守れないことを条文から取り除きたがります。
先の意見書の憲法に対する捉え方は、まったくこの統制される側に都合のいい勝手な憲法観に依拠した代物であって、立憲主義という大原則を無視しています。地方議員が国政に立憲主義の原則を意見するのではなく、逆に破壊しようとする意見に組みしているようでは、自己の立ち位置をわきまえない愚か者ということになります。