海外に開かれた熊本の歴史

くまもと文学・歴史館10周年記念佐藤信館長講演会「海外に開かれた熊本の歴史」を9月12日聴講してきました。海外交流というと、人の移動手段が発展してきた近現代をイメージしてしまいますが、この講演では古墳時代から語られました。その時代の九州は中国文明、ことに漢字文化が伝わる玄関口であって、それを示す出土品などの存在について学ぶことができました。
講演の中で紹介された一部の情報に関連情報を付加して以下に示します。講演では中世、近世、近代の歴史についても語られましたが、下記では割愛します。
○江田船山古墳出土銀象嵌銘大刀…1873(M6)年、現在の熊本県和水町の江田船山古墳から出土。同年、東京国立博物館で保管された(窒素で錆を防ぐドイツ製のケースに現在保管されている)。刀身のみねの部分に銀象嵌の銘文がある。その内容からワカタケル大王(雄略天皇)のヤマト王権が肥後の地方豪族と連携して支配領域の拡大を進めた様子(5世紀後期)がうかがえる。当時は漢字を扱えること自体に呪力があったと考えられ、「長寿である」とか「支配権が安泰」であることを意味する文言が書かれている。渡来人とみられる「張安」の名が書者として刻まれている。
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=J573
○日羅(にちら)…6世紀の百済王威徳王やヤマト王権の敏達天皇の外交顧問。父は肥後の地方豪族火葦北国造(ひのあしきたのくにみやつこ)刑部靱部(おさかべのゆげいべ)阿利斯登(ありしと)。『日本書紀』によれば、日羅は父とともに百済に渡って育ち、威徳王に仕えたのち、来日。朝廷へ百済に不利な内容を奏上したため、百済人によって難波で暗殺された。現在の八代市坂本町百済来に日羅の墓とされるものがある。
http://kumamoto-midori.com/rojumeiboku/100/100_detail.html
○浄水寺跡石碑…熊本県豊野町の浄水寺跡に奈良・平安時代の古代石碑群4点がある。延暦9年(790)南大門碑、延暦20年(801)燈籠碑、天長3年(826)寺領碑、康平7年(1064)如法経碑からなる。仏教とともに古代肥後へ漢字文化が広まったことを示す。
https://www.city.uki.kumamoto.jp/hihyoji0/hihyoji/2267777
※写真は、講演受講帰りに見た風景(砂取橋、水前寺児童公園、サクラマチクマモト)。