『生まれたくなんかなかったのに』読書メモ

今年3月リニューアルオープンした三省堂書店神田神保町本店を6月に初めて訪ねたときに、小島和男著『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』(幻冬舎新書、960円+税、2026年)を買い求めました。著者は古代ギリシア哲学を専門としている学習院大学文学部哲学科教授。数年前から著者のXをフォローしていたので、なんとなく人柄について知った感じでいましたが、著書を読んでみたのは今回が初めてでした。
X投稿で得る断片的な情報だけで知った風なつもりでも、それでは著者の思想の核心を理解するのは困難です。1冊目に過ぎませんが、著書に接してみてやはり良かったと満足しています。
まずもって著者は、反出生主義者を自任しています。「生まれてこないほうが良かった」と考えるわけですから、「生きていたくない」とか「今から死んだほうがいい」と誤解されますが、そういう主張ではありません。「生まれてしまったものとして、どうやって生きていくかを考える思想」(p.4)だと言います。生きづらさの原因は「個人」ではなく「制度」にあるという視点を示し、「自己責任」の呪縛から読者を解放してくれます。本書を通じて人生に「続ける価値」を感じ取れる点において、特に若い読者は気持ちを楽に持てるのではないかと思いました。文体も読みやすいですし、文字を読むのが不得手なら電子書籍版で読み聞かせしてもらうのもいいのではないかと思います。
反出生主義の思想は、難民の認定と保護のあり方の考えに通じる思いをしました。というのは、生まれた側には、その出生の自己決定権はありません。同様に、たまたま人権が尊重されない国・地域に生まれて難民とならざるを得なかった側にも、生まれの偶然性があります。それがために、難民条約の前文では「難民保護を世界の国々が協力して責任分担する」と謳い、個人の問題として放置するのではなく、社会が制度として受容しようとします。生きづらさを強いられる難民が、それを覚えなくて済む場所で生きていくことができれば、受け入れた側の国益へ長い目で見てなることは歴史が証明しています。
本書でのテーマには難民問題は含まれてはいません。取り上げているのは、働くこと、結婚、親子関係、猫との暮らし、友人、楽しみ、病と老い、子どもを持つこと、人生の目標、経験の価値、安楽死、生きる理由、差別など、たいていの人が一度ぐらいは選択決定を伴うテーマばかりです。そのどれにも常識だと刷り込まされた呪縛があることを知ることができます。哲学者というと、ごく狭い分野の、しかも古典的な専門知を極めた人と思いきや意外に現実社会の構造や現象を追っているんだなと思いました。こういう先生に出会える学生たちは恵まれています。私が学生だったら講義を受けたいなと感じました。

2026.7.16追記
著者が語る動画がありました。
https://youtu.be/8AU_i3MOksw?si=PPXPcYRO_s0G_n27