平和憲法を活かす熊本県民の会が主催する「第18回熊本空襲を語り継ぐ集い」に今年も参加しました。1945年7月1日の第1回熊本大空襲の際に本荘国民学校(現・本荘小学校)3年、8歳の少年だった寺本さんの証言を、いつも子どもたち向けに語るときに使っているという紙芝居仕立てで聴いてきました。その内容については取材に来ていた地元民放TV局のキー局サイトに載っていましたので、紹介します。
https://news.ntv.co.jp/category/society/kkc1f05e115a344c56a713d0e2855eeb34
この証言の前に、集いの代表幹事である高谷和生さんから、熊本大空襲に先んじて1945年の3月・5月から陸軍健軍飛行場と爆撃機「飛龍」を生産していた三菱重工業熊本航空機製作所へ空襲があったのは、米軍側が出撃基地と兵器工場を叩くことを優先していたからと解説がありました。同年7月の熊本大空襲の米軍の攻撃目標は健軍へ送られる部品工場がある南熊本周辺でしたが、実際の攻撃では東側にずれたと見立てていました。
三菱重工業熊本航空機製作所があった場所は、現在陸自の健軍駐屯地であり、今年長射程ミサイル部隊が配備されています。先の大戦当時も現代も有事となれば、直接の脅威をもたらす敵の出撃基地を相手側がまず無力化しようというのは当然です。それがために、指揮所や装備・弾薬がある健軍駐屯地の地下施設化が進められようとしています。一方、駐屯地が狙われるということは、周辺の住民・民間施設も危険に晒されます。まさに81年前のような被災に遭わないと断言はできないと考えます。
ところで、昨年12月にはFIFAの会長が、トランプ氏に「FIFA平和賞」なるものを贈ったことがありました。その後、イラン攻撃で多くの無辜の子どもたちが殺されたのですが、W杯に浮かれる人たちからFIFAへ平和賞を取り消せという声は聞こえてきません。そんなこともあって今回のW杯放送はまったく見る気になれませんでした。
この集いに参加する前には、2つの美術展会場を訪ねて心穏やかな時間を過ごせました。
6/15-7/31「フェルメール蘇る全37リ・クリエイト作品展」(肥後の里山ギャラリー)…元勤務先の前社長が熊大薬学部へ寄贈したリ・クリエイト絵画展。
6/23-7/4「大和淳子」(画廊喫茶オアシス)…中高時代の同級生の初個展。