国立歴史民俗博物館の「第6展示室(現代)」の解説パンフレット表紙には、東京都北区の赤羽台団地を空撮した写真が載っています。同団地は、日本住宅公団(現・UR)によって1959年から建設が始められ、1962年から入居が開始されました。当時、東京23区内では最大規模の3373戸を擁する「マンモス団地」として呼ばれました。もともとは被服本廠があった軍用地だったのですが、その広大な跡地には団地のほかにも3つの小中学校や公園、消防署、商店街などが設置され、高度経済成長の時代を象徴する最先端の生活の場所となりました。つまり、戦後復興の光の部分を代表する風景として表紙写真に採用されたのだと思いますし、その関連展示パネルも室内にありました。
1980年代前半の時期、団地内ではありませんが、私はこの赤羽台に住んでいました。そのため、個人的にも思い出深い街です。現在同団地は再開発され一部の建造物が残されているとともに、URまちとくらしのミュージアムが2023年に開館して集合住宅の歴史を伝えています。旧赤羽台団地の「41号棟(板状階段室型)」と「42,43,44号棟(スターハウス)」の外観は無料でいつでも見学できますが、同潤会代官山アパートや日本住宅公団黎明期の蓮根団地や晴海高層アパート、多摩平団地テラスハウスといった復元住戸を含むミュージアム棟は、事前予約制の90分間ツアー形式での無料見学となっています。
https://akabanemuseum.ur-net.go.jp/
水・日・祝日が休館で、ツアーは1日3回組まれています。私が参加したときは、1組15人程度で年齢層は中高年が大部分でした。外国人観光客と思われる参加者もいました。1979年に欧米から日本の住宅の狭さを「ウサギ小屋」と揶揄されたのが、中高年層の頭の片隅には残っていると思いますが、実際に高度経済成長期の住宅のしつらえに接してみると、生活の温かさが感じられたり、将来への希望が持てた時代の明るさがよみがえってきたりします。
以下はツアーで得たマメ知識。ガイドは若い女性でしたが、解説はよどみなく、時間管理や見学者捌きもテキパキしていて仕事ができるなと感じました。
・同潤会代官山アパート時代の電気料金は使用量ではなく設置する電球数で決められていた。トイレには照明具を付けなかった。部屋番号は建物全体の通し番号で振っていた。たとえば148号室でも5階に所在。高い部屋の外壁には縄梯子を架けられるフックがあった。
・公団初期の蓮根団地の流し台は石製。一戸ごとに職人の手作りだった。風呂桶も木製。
・前川國男設計の晴海高層アパートにはエレベーターが設置されたが、着床する階が3階ごととなっており、階によってはアクセスが悪かった。各階廊下に共通電話があり着信を交換手が各戸へ知らせ受信をしらせるボタン設備が各戸にあった。流し台はステンレス製。トイレも洋式。
・昭和30年代の郊外の団地には専用庭のある長屋建てのテラスハウスと呼ばれる低層集合住宅が多く建設された。
※この赤羽周辺には戦跡や鉄道見物スポットもあるので、別に投稿します。