「漱石山房記念館」訪問メモ

夏目漱石(1867-1916)が亡くなるまでの9年間を過ごした旧居は「漱石山房」と呼ばれ、1945年5月25日の空襲で焼失するまで早稲田南町の地にありました。2017年、その地に「新宿区立漱石山房記念館」が開館しました。一度ぜひ訪ねてみたいと思っていましたが、最近初めて観に行きました。館内の展示は有料ですが、図書室やブックカフェだけの利用も可能ですし、建物の周囲の植栽や裏手の「猫の墓」(猫の名前は「福猫」)がある漱石公園、あるいは早稲田駅からそこへ至る「漱石通り」、夏目坂、生誕の地碑など、見どころがたくさんあり、楽しめること請け合いです。近くには予約制になりますが、草間彌生美術館もあります。
https://soseki-museum.jp/
さて、訪ねたときには企画展「夏目先生 漱石の教師時代」が開催中でした。漱石の孫にあたる夏目房之介氏が2008~2021年、学習院大学教授を務めていましたが、漱石自身も学習院へ英語講師としての就職を希望し、一高時代の同輩で先に学習院教授を務めていた立花銃三郎(三池藩家老の三男)宛に送った書簡が展示されていました。ですが、残念ながら不採用になってしまいます。このときのいきさつは下記の論考が参考になります。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/12070/p001.pdf
熊本の五高教師時代にやはり立花銃三郎へ出した書簡も展示されていました。ここでは、腸チフスにかかり学費も払えずに退学処分となった漱石の教え子を、学習院へ転入学させてほしいという内容でした。かなり教え子思いだった漱石の人柄がうかがえました。
漱石は五高勤務、英国留学を経て東京帝大と一高の英語教師に転じますが、一高での教え子に後に学習院長を務める安倍能成がいます。夏目坂通りに「夏目漱石誕生之地」の石碑が建っていますが、これを揮毫したのが安倍能成です。「遺弟子安倍能成書」と刻まれています。このように漱石と学習院の縁を感じました。