『紙に描いた「日の丸」』読書メモ

『紙に描いた「日の丸」——足下から見る朝鮮支配』(岩波書店、2500円+税、2021年)の著者である加藤圭木氏について知ったのは、つい1か月前のこと。安田菜津紀さんがMCを務めるラジオ番組のテーマが、「朝鮮と水俣」であり、その配信回のゲストとして出演されていたからでした。よって氏の肉声に接したのが最初の出会いとなりました。そこでぜひ著書も読みたいと手に取りましたが、当然のことながら番組では語り尽くされなかった情報に触れることができて貴重でした。
著者は同書を通じて、足下から歴史を考えるということと、他者にとっての足下を想像してみることを目指したと述べています。日本の朝鮮侵略と植民地支配の歴史を取り上げています。国家と国家の関係だけでなく、その中で朝鮮人がどのような状況に置かれたのか、そうした困難に直面する中で朝鮮人が足下からどのように行動したのかについて目を向けています。
以下は、私が印象に残った記述のメモです。不知の情報を多数得た学びとなりました。
・1928年11月の昭和天皇の即位の礼に際しては、日本側が警察を通じて圧力をかけ、朝鮮人に「国旗」(日の丸)を掲げさせようとし、掲揚戸数を徹底的に調べ上げた記録が残っている。
・水俣病の原因企業のチッソ水俣工場が立地する町名は創業者の野口遵に由来する「野口町」。そのことをもっても企業城下町であることが明らかだが、チッソ(当時の社名は日窒)が朝鮮へ進出するにあたっては朝鮮総督府の権力を背景に土地買収が進められ、多くの朝鮮人が立ち退きを迫られた。化学肥料工場用地となった地域は元々、雲田面と西湖面という2つの行政区画だったが、合わせて新しく興南面という地域がつくりだされ、1930年10月、野口遵は初代面長となった。1931年11月、興南面が興南邑に昇格したことに伴って、野口は同邑長となった。企業のトップが地方行政の長も兼ねた。(p.70)
・支配意識は水俣から興南へ移り住んだ日本人男性たちにもあった。1930年代にはチッソ興南工場周辺には性買売がおこなわれていた貸座敷や料理屋などが立ち並ぶようになった。日本人による民族差別と性差別があった。
・植民地期の朝鮮は農業社会であり、人口の大部分を農民が占めていた。そうした朝鮮農民の多くにとって、日本による植民地支配の時代とは、自らの生活基盤を脅かされ、絶対的な貧困を強制された時代だった。1920年代には日本人が食べるための米を、朝鮮人に増産させる「産米増殖計画」がおこなわれ、朝鮮人は自らつくった米を消費できない飢餓輸出状態となった。(p.133)
・1934年以降は朝鮮農村の貧困層に対する「人口調整」の意味から北部における土建労働者への「移動紹介事業」という棄民政策がおこなわれた。(p.125)
・植民地期の朝鮮における日本人の大地主としては、三菱財閥の創始者の岩崎弥太郎の長男である岩崎久彌や、大倉財閥を経営した大倉喜八郎、細川家の第16代当主であり大物政治家の細川護立などがいた。彼らは高額の小作料を課し、大きな利益をあげた。(p.133)