先日都内(一部近郊)の11のミュージアムを訪ねる歩く機会がありました。何回かに分けて投稿してみます。まずは、岡本太郎「殺すな」(『ワシントン・ポスト』1967年4月3日)についてです。これはベトナム戦争当時に「べ平連」によるベトナム戦争反対の意見広告として制作された作品です。いずれも開催中の企画展最終日に東京国立近代美術館(企画展「記録をひらく 記憶をつむぐ」)と川崎市岡本太郎美術館(「戦後80年《明日の神話》次世代につなぐ 原爆 芸術」)とで観てきました。
東京国立近代美術館の展示の目玉は、鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す」(1942年)や藤田嗣治「アッツ島玉砕」(1943年)といった戦争記録画(いずれも終戦後米国に接収され、1970年に「無期限貸与」という形で同館が保管)でした。しかし、同展の出口に近い部屋に展示されていた、やはり岡本太郎や熊本県出身の浜田知明のように二等兵として召集され戦地経験のある人間が戦後に制作した作品の方が、けっして大作ではありませんが、思いの深さが直截的に伝わりインパクトがありました。
川崎市岡本太郎美術館を訪ねるきっかけは、NHK「ETV特集」で広島県立基町高等学校の生徒たちが被爆者の証言をもとに絵を描く活動を取り上げていて、その作品が同館に展示中と知ったからでした。30歳のとき二等兵として召集を受けて中国戦線に赴いた岡本太郎は、その期間を「冷凍された5年間」と言っています。絵画だけでなく造形、写真、書(太郎の父・一平は書家)と、多彩な才能をもつ岡本太郎は、「本職は何か」と問われて「本職は人間」と答えていますから、戦争は人間であることをやめさせるという思いがあったのかもしれません。それだけに同館ほど反戦反核の作品を展示するにふさわしい施設はないという思いもしました。