『日本軍の治安戦』読後メモ

8月19-31日の間、熊本県立美術館分館において、(一社)くまもと戦争と平和のミュージアム設立準備会主催による「戦時下の市民の暮らしと文化 ~記憶を未来へ 平和のバトン~」という企画展が、開催中です。先日、同展を観てきました。日中戦争およびアジア太平洋戦争の時代の子どもたちが接した教材やおもちゃが展示されていて、それらは日本軍の戦いぶりを讃え、軍に進んで協力する国民へ子どもたちを誘う内容で彩られていました。当然のことながらそれらを手に取った当時の日本の子どもたちは、たとえば中国大陸で日本軍がどのような行為に及んだのか、中国の人々がどのような苦痛を味わったのか、を知る由もなかったかと思います。本企画展には、戦争協力に向かった日本国民の姿を思い起こさせる意義を認めますが、戦地における加害者と被害者の実相を伝えるものではないため、これだけで戦争を知った気になってはならないという思いもしました。
単行本としては2010年5月に岩波書店から出版され、2023年12月に岩波現代文庫版として出た笠原十九司著の『日本軍の治安戦 日中戦争の実相』は、ぜひ多くの現代日本人に読んでもらいたい本です。上記企画展が取り扱っていない側面の理解の助けになります。本書は日中戦争時に「第二の満州国化」と続いて「対米戦争の兵站基地」を担わされた中国華北における日本軍の治安戦の通史となっています。証言や史料は日本側・中国側の両面から突き合わされて構成されているため、実相と称して問題ない研究成果となっています。「天皇制集団無責任体制」に基づく無謀なエリート軍人による作戦指導、それによる日本軍兵士自体の被害、中国人被害者の中国国内における二次被害や「漢奸」の戦後にも紙幅を割いています。
ところで、中国共産党はなぜ中国革命に成功することができたのでしょうか。誘因の一つは日中戦争時の日本軍による残虐・虐殺行為にあったと、本書から学ぶことができます。日中戦争開始期に日本軍の北支那方面軍が華北一帯を軍事占領するのにともなって多くの町や村で住民を殺戮し、掠奪、放火、強姦などの残虐行為をはたらいたことが、民衆を憤激させ、自分や家族、親戚、地域の人々の命を守るために、抗日ゲリラ闘争、抗日根拠地へ参加させずにおかなかったことがあります(p.126参照)。前半期は主に中国の国民党軍との戦闘でしたが、追撃の掃蕩作戦に民衆を巻き込んだことが、後半期に開始された中国共産党の八路軍による百団大戦の要因となりました。この百団大戦で甚大な被害を受けた北支那方面軍は、対共産党軍認識を一変させ、反撃と報復のための大規模な燼滅掃蕩作戦を展開します。それは、八路軍の根拠地を燃えかす同様になるまで徹底的に破壊して消滅をはかれという作戦であり、中国側のいう三光作戦の本格的な開始であり、日本軍の性犯罪はもっとも非道・残虐になりました(p.127参照)。
本書で紹介されているチャルマーズ・ジョンソンの『中国革命の源流』にも、「一般的にいって、共産党は日本軍を直接経験しなかった地域では、ゲリラ基地を建設できなかった」「日本の侵略に伴う破壊と収奪が、北方中国人の政治的態度を激変させてしまった。華北の農民は、戦時中、共産党の組織的イニシアチブに、きわめて強い支持を与え、共産党のゲリラ基地は、華北の農村で最大の数を記録した」と書かれています。1944年1月24日に支那派遣軍に命じられた一号作戦(大陸打通作戦)で、日本軍は膨大な犠牲を強いられますが、日本軍の予期しなかった皮肉な戦果として、国民政府軍に大打撃を与えた結果、共産党軍の対日反抗に有利な条件を作り出し、北支那方面軍が大動員された間隙を利用して八路軍が抗日根拠地を拡大することができた点も触れておきます(p.169参照)。
なお、終戦後4年間、共産党軍と内戦を戦うため、山西省に残留して国民党軍に組み込まれた2600人の日本軍将兵がいたことも、p.303で触れられています。この部隊は最終的には550人の犠牲を出して共産党軍に敗れますが、陥落が予測された2カ月前に司令官の澄田中将と参謀長の山岡少将の2人だけが部下を見捨てて帰国を果たしています。1956年の衆議院「海外同胞引き揚げ及び遺族援護に関する特別調査委員会」において澄田と山岡の2人が「残留は自願によるものであり、彼らは現地除隊の手続きもとり軍籍はなかった。なかには逃亡者も混じっていた」と証言したために、同年以後帰国しはじめた「山西残留部隊」の兵員には、軍人恩給、傷痍軍人手当、亡くなった兵士の遺族年金も支給されなかったという史実もあります。
山西残留部隊については、その生存者に取材したドキュメンタリー映画作品である池谷薫監督「蟻の兵隊」(2006年公開)があります。関連記事が2025年8月29日の朝日新聞夕刊(東京本社版)に掲載されていました
https://www.asahi.com/articles/DA3S16291357.html