8月17日の朝日新聞記事に、各地の公的機関が運営するミュージアムで戦時中の日本の加害行為の展示をめぐって、撤去・縮小へ向かう動きがみられることを報じていました。過ちを直視してそれを反省し教訓とすることは、それだけ賢い国民を育成し、ひいては国益になることなのですが、誠に嘆かわしい限りです。権威主義国家における公的ミュージアムではしばしば国威発揚が目的のプロパガンダ施設になりがちですが、最近では米国でもあまり賢くなさそうなトップが、自身の見解に沿った展示に見直すよう国立スミソニアン博物館等に通告したという報道もありました。権力者やその取り巻き連中にとっては、愚かな国民ほど都合がいいという風潮は、このようにスキを見ていつでも顔をのぞかせるものだと思います。
○(戦後80年 記憶の先へ)日本の加害、縮みゆく展示
https://www.asahi.com/articles/DA3S16282957.html
○「党派色排除」迫る米政権 スミソニアン博物館、展示見直しへ 「歴史を正確に描く」主張
https://www.asahi.com/articles/DA3S16281089.html
ここ数日で、笠原十九司著『南京事件 新版』(岩波新書、2025年7月刊)と吉見義明著『日本軍慰安婦』(岩波新書、2025年7月刊)を読んでみました。たいへん貴重な知見を得ることができました。同時にこれら書籍の内容を、とりわけ公的なミュージアムや文科省検定済み教科書から得られるかというと、現状甚だ乏しいのではと感じます。いずれも戦時中に軍など国の組織の関与が認められる加害行為だっただけに、組織としては変わっても先人たちの過ちに触れたくないのでしょう。しかし、国の内外を問わず被害を受けた側にとってはけっして忘れられない記憶としてあるので、不都合な史実ほどを後世へ継承しなければ、国民が同じような過ちをいつか繰り返してしまうことになりかねません。それこそ学ぶことができない国民であることは、不名誉極まりないと考えます。
とはいえ、現状の公的ミュージアムは、ことに近現代史の扱いに及び腰なので、引き続き笠原十九司著『日本軍の治安戦 日中戦争の実相』(岩波現代文庫、初版2023年12月刊)と吉見義明著『草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験』(岩波現代文庫、初版2022年8月刊)を読んでみることにします。
『南京事件 新版』では、「広義の南京事件」(新版)と「狭義の南京事件」(旧版)が示されていましたので、以下に紹介します。戦時中に米軍から日本が受けた都市空襲や原爆使用は無差別爆撃だったわけですが、その始まりを日本軍の行為にも見ることができるので、広島や長崎の原爆資料館ではやはり南京事件について触れる必要があると考えます。東京都江東区にある民間の東京大空襲・戦災資料センター(館長:吉田裕氏)の展示では、日本軍による錦州爆撃、南京渡洋爆撃、重慶爆撃が都市空爆の口火として示されています(辻田真佐憲『「あの戦争」は何だったのか』p.256-258参照)。これは稀有な例です。
○東京大空襲・戦災資料センター 館長から皆様へ
https://tokyo-sensai.net/archives/category/director
■南京事件の定義:日本の海軍ならびに陸軍が、南京爆撃と南京攻略戦ならびに南京占領期間において、中国の軍民(中国軍兵士と民間人、市民)にたいしておこなった戦時国際法に違反した不法残虐行為の総体のことをいう。
■広義の南京事件(新版)の開始時期・期間:1937年8月15日の海軍航空隊の南京渡洋爆撃に始まり、9月、10月、11月、12月とつづけられた海軍機の南京爆撃を下記狭義の期間に含む。
■狭義の南京事件(旧版)の開始時期・期間:日本の大本営が南京攻略戦を下命し、中支那方面軍が南京戦区に突入した1937年12月4日前後からからはじまる。終わりについては、大本営が中支那方面軍の戦闘序列を解いた1938年2月14日が南京攻略戦の終了にあたるが、南京における残虐事件はその後もつづいたので、日本軍の残虐事件が皆無ではないまでも(近郊農村ではあいかわらずつづいていた)、ずっと少なくなった3月28日の中華民国維新政府の成立時と著者は考えている。
※事件の期間と地理的範囲の定義によって犠牲者概数の計算は異なるが、著者の結論は旧版と同じで「十数万以上、それも20万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される」(p.209)としている。
本書では、南京事件のような大虐殺事件の犠牲者数は概数の推定で十分であり、根拠を示して算出し、一番実態に近い概数を通説化していくことが重要としています。日本軍が戦場においてどのような虐殺をおこなったかという歴史実態を知ろうとしない者に限って、概数でしか記すことができないからと事件の存在を否定したり矮小化したりしがちに感じます。不都合な歴史から逃げて学ばない者は、いつかその者自身も騙されるなど不利益を被るのではないかと思います。実に哀れで気の毒です。