南京事件前哨戦を知る

先月末に岩波新書から笠原十九司著の『南京事件 新版』が出ています。1937年の南京事件を発生させた日本陸軍による南京攻略戦には熊本で編成された歩兵第一三聯隊が属する第六師団も参加しており、けっして無縁ではない史実です。戦後の南京軍事法廷では事件当時の師団長であった谷寿夫元中将が死刑判決を受け同地で処刑されています。このことからも陸軍による戦争犯罪のイメージが強いのですが、新版の本書では冒頭の2章を割いて海軍による前哨戦となった渡洋爆撃についても戦争犯罪として焦点を当てています。
宣戦布告なき首都南京爆撃が始まったのは1937年8月15日からでした。海軍木更津航空隊所属の九六式陸上攻撃機(中攻)20機が長崎の大村基地を発進、南京に向けて初出撃したとありました(南京への空爆は同年12月13日の占領に至るまで50数回、延べ900余機、数百トンの爆弾投下に及んだ)。この空爆の背景には、海軍内の主流の「艦隊決戦派」と、戦艦無用をとなえる山本五十六(のちに第六師団が組織的戦闘能力を失ったブーゲンビル島で戦死)、大西瀧治郎(のちに特攻隊起案し終戦翌日自決)、源田實(東京大空襲を指揮した米空軍カーチス・ルメイ将軍とともに戦後の航空自衛隊の生みの親とされる)らの「航空主兵派」との対立があり、渡洋爆撃決行は航空が実績をあげてみせる千載一遇のチャンスだったとされます。実際、攻撃翌月に開かれた帝国議会で決定した臨時軍事予算において「軍艦ではなく飛行機で予算獲得に成功した」(田中新一『支那事変記録 其の二』)とありました。
のちに南京安全区国際委員会の委員長となるドイツ人ジョン・H・D・ラーベの報告によれば、都市空爆前の1937年7月当時の南京の人口は約135万人、空爆開始後は数十万人が南京から避難しました。しかし、残っている大多数は民間人であり、無差別爆撃により、多くの民間人が命や家屋財産を失いました。現在のガザを彷彿とさせる惨劇も事件の一環としてみなければなりません。そして、海軍の行為は当時においても明確な国際法違反でした(今年米国がイランへ行った空爆も想起されました…。)。
本書の冒頭の2章だけを読んでもこれは現代につながる話だと思いました。しかも、イスラエルやロシア、米国と言った他国だけに限った話ではありません。今日この熊本に長射程ミサイルが配備されるかもしれないという話を聞くと、そのミサイルが向かう先には民間人がいる可能性が十分あります。発射の判断を誤れば国際法違反の可能性も十分あります。自国を守るための迎撃ミサイルならいざ知らず、もっぱら敵基地攻撃のための兵器の存在は堅固な地下基地にこもれる自衛隊は守れても周辺住民は危険にさらされるだけということが明らかです。