明治大学平和教育登戸研究所資料館館長の山田朗著『兵士たちの戦場 体験と記憶の歴史化』(岩波現代文庫、1600円+税、2025年)によって、戦争の記憶の継承方法ならびに継承すべき記憶の再構成・歴史化についてまず考えさられました。これが出発点になるので、数回に分けてメモを残してみます。
著者によれば、〈戦争の記憶〉の継承は、以下の流れとなります。①私的継承→②〈集団的記憶〉→③公的継承→④〈歴史〉化。しかし、〈戦争の記憶〉には〈表の記憶〉と〈裏の記憶〉があり、①の私的継承において、戦争の〈栄光〉や〈被害〉の部分といった〈表の記憶〉は比較的語りつがれやすいのですが、戦争の〈秘匿〉すべき部分や〈加害〉の部分といった〈裏の記憶〉は断絶しやすいとしています。それだけに、戦争の〈裏の記憶〉の部分については、研究者や教育者が史実を掘り起こし、意識的に戦争の〈記憶〉の継承を図らないと、歴史の闇の中に消え去ってしまうと指摘しています。〈裏の記憶〉の継承がなければ、過去の歴史から十分な知識と教訓は得られないというわけです。
それと、〈戦争の記憶〉の継承が、ヒト(体験者)からヒト(非体験者)への時代が終わりつつあり、ヒト(非体験者)からヒト(非体験者)へ、モノ(書物・映像・遺跡・博物館など)からヒト(非体験者)へ移行してきています。したがって、モノを整理するコンセプトやモノを解説するヒトの役割が重要です。
本書自体は、兵士側からの〈記憶〉だけで再構成され、歴史叙述化を試みています。しかし、著者自身が被害者・犠牲者となった「他者」の側からの〈記憶〉が対置されなければならないと記しています。民間人の殺害や「慰安婦」を含む戦場での性暴力などの〈加害〉についての記述が相対的に手薄になったことは否めないと認めているところです。
何よりも、「死者は自身の口では何も語ることができない」(p.251)ところから〈記憶〉を捉える視点が必要だと考えます。
本書には触れてないことですが、それは「戦没者」をどう捉えるかということでもあると考えます。実は、ある衆議院議員が2025年3月5日付の質問主意書で「『戦没者』の定義について、いつからいつまでの戦争で亡くなられた方々を指すのか、亡くなられた方々の範囲には民間人や子どもも含まれるのか、『戦没者』を規定した法律は何か」と質したところ、3月14日付の答弁書で「『戦没者』について、現行法令上、確立された定義があるとは承知していない」と石破茂首相名で回答があっています。「戦没者」の法的な定義はないのです。この点、私が考える「戦没者」は戦争に関連して命を失った民間人を含めます。
たとえば、最近、熊本県護国神社の敷地内に戦死した兵士の遺品や遺書を展示、デジタルデータ化した遺影・遺品のデータベースを備えた施設建設の計画が開始されました。ここで叙述される歴史は、あくまでも戦死した兵士の〈栄光〉や〈被害〉の部分に留まり、兵士たちが〈秘匿〉してきた部分や〈加害〉の部分であるとか、民間人犠牲者の〈記憶〉はすっぽり抜け落ちることが予想されます。靖国神社にある遊就館同様の地方版軍事博物館では限られた〈戦争の記憶〉を継承したことにしかならず、そこで得られる教訓もいびつなものにしかならないと憂慮しています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20250722/5000025803.html
〈裏の記憶〉の一例として、土屋芳雄憲兵少尉(1911年生まれ)自身が書き留めた記録の内容を示します。それによれば、「直接・間接に殺害に関係した中国人は328名、逮捕し、拷問(土屋は相手に水を大量に飲ませる「水責め」が得意だった)にかけ、投獄した中国人は実に1917名に及んだ」(p.241)とありました。郷里の山形にいた頃、虫一匹殺してもバチがあたると思うような男だったのが、軍隊生活の14年間で「(自分は)人間を捨てていた。鬼になっていた」(p.242)と省みています。