Facebookのタイムラインで「平和を願い戦没者を戦没者を慰霊顕彰する国会議員の会」(原文ママ)メンバー(以下、「本メンバー」と称す)が写った投稿を見かけました。戦没者を慰霊する気持ちは誰しもありますが、本メンバーと私とでは、認識の違いを感じる部分もありそうです。それについてメモを残してみます。
第一に、本メンバーと私とでは、「戦没者」の対象が異なるのだろうと思います。本メンバーが指す「戦没者」とは、靖国神社に祀られている日本の軍人・軍属の戦死者に限定されていると思われます(A級戦犯も合祀されていますが戦死者ではないのでここでは含めずに考察します)。私が考える「戦没者」とは、戦死・戦病死した軍人・軍属のみならず、戦争によって犠牲となった民間人を含みます(国籍や民族を問わず)。
第二に、本メンバーと私とでは、戦没者を「顕彰する」ことの是非について判断が異なるのだろうと思います。顕彰とは、特定の個人が成し遂げた功績や善行を世に広め、称賛する行為を指します。本メンバーは、戦闘に係ることやそれで命を落としたことを称賛に価すると考えているのでしょう。しかし、私は、いかなる理由があっても殺し・殺されることを称賛する気持ちになれません。繰り返しますが、死者を悼む気持ちはありますが、その死を称えたり、犠牲となられたことを感謝したりしようとは考えません。それよりも死者の無念を晴らすべく過ちに学び、それから得た知見を社会と共有したいと考えます。第一の「戦没者」の対象範囲が異なるので、便宜的に、本メンバーの考える「戦没者」を「(狭い意味での)戦没者」、私の考える「戦没者」を「(広い意味での)戦没者」として、以下のように違いを表してみました。
顕彰主体/対象 (狭い意味での)戦没者 (広い意味での)戦没者
本メンバー 顕彰する ?
私 顕彰しない 顕彰しない
本メンバーの皆さんは、ひめゆり平和祈念資料館や徴用犠牲者慰霊碑を訪ねたことはあるのだろうかとも思います。
