『核心・〈水俣病〉事件史』読書メモ

全219ページからなる富樫貞夫著『核心・〈水俣病〉事件史』(石風社、2500円+税、2025年)を、4月6日に行われたJ2第8節ロアッソ熊本vs.カターレ富山のゲーム観戦のため向かったスタジアムとの往復の時間に読了しました。富樫先生からはご著書刊行のおりにいつも頂戴しているので、文章を読みなれている点もあるかもしれませんが、論理明快、切れ味が爽快でいて人物描写も的確、つまりは読者が理解できやすい読みやすさを覚えます。実際、本書は帯にも謳っている通り「水俣病事件入門決定版」に値すると思いました。
富樫先生は、熊本大学で民事訴訟法を教授されていたのですが、私はその分野での接点はありません。専門は他にあったとしても、水俣病事件の通史を書かせれば、先生の右に出る人を私は知りません。そして、今回本書を読んで、先生を法律家という狭い枠に捉われて見るのは間違いで、実は政治学者あるいは社会思想家に近い視座を評価すべきではと思うようになりました。
本書内の記述からそれを感じる箇所を下記に引用してみます。
p.75「本来、水俣病の原因を究明し、被害の拡大を防止すべき第一次的責任が、原因者であるチッソにあることはいうまでもない。しかし、通常、疑いをかけられた原因企業が自分の責任で原因を究明することは、まず期待できない。チッソの行動が示しているように、加害企業は、例外なく、判決などで断罪されるまで原因者であることを否認し、その間、廃棄物を出しながら操業をつづける。これは、近代日本の公害の原点といわれる足尾鉱毒事件以来一貫して変わらぬ企業の行動様式である。そうだとすれば、被害の拡大防止にあたって行政に課せられた責任は大きいといわなければならない。」
p.235「長い水俣病の歴史を通じて、チッソの責任とともに問われているのは、行政の責任である。水俣病の発生や拡大を防止するために、国はいったいその責務を果たしたといえるのかという問題だ。」
p.237「水俣病の歴史を通じて問われてきたのは、日本という国家のあり方の問題であり、人民に対する国家の責務は何かという次元の問題だからだ。」
p.244「水俣病事件は、日本の近代化が生み出したものであり、今日の経済大国日本のもうひとつの顔である。私たちは、この巨大公害事件の歴史をたどることによって、どのような犠牲のうえに現在の日本が存在し得ているかを垣間見ることができるはずだ。」
本書には学生時代に富樫先生の研究室に入り浸って「門前の小僧」を自任する朝日新聞水俣支局長の今村建二さんによるインタビューも載っていて、民事訴訟法を専攻する研究者の道へ進んだいきさつを初めて知りました。それによると、大学卒業に際して最初は企業の採用試験に臨んでいたそうですが、面接で重役にいつもかみついてしまうため企業への就職は断念し、親しい刑事訴訟法の先生に相談したそうです。しかし、相談を受けたその先生が「刑事訴訟法では飯が食えない」からと、民事訴訟法の先生を紹介されてそこの助手に雇ってもらったということでした。