きょうは2月26日だなという認識とともに、朝から中2のときのその日を思い出して、半世紀近く前のことなのに、われながら記憶力とはおもしろいものだと感じました。その日は、中学校の職員室内で金銭盗難事件が発生したとのことで、朝から警察が現場検証に入っていて、もちろん生徒は職員室周辺に立ち入るなという指示が出ていて、なんとも落ち着かない校内の雰囲気だったことを覚えています。当時生徒会長として昼休みや放課後の私の居場所であった生徒会室の行事予定表に、役員でもない同級生が事件発生を記録し、その後の捜査の経過を書き込んでいましたが、結局ホシを挙げるまでには至らなかったようです。ともかく歴史的に著名な「二・二六事件」と同じ日付に校内で発生した非日常的な出来事だったので、中学生たちはいたく興奮したのだろうと思います。
ついでながら生徒会活動の思い出としては、なんといっても全校生徒の民主的賛成決議を経てまとめた男子生徒の頭髪にかかわる校則改正案(丸刈り強制ではなく長髪選択を可とする)が、職員会議であっさり否決されて成立しなかったというのが最大です。大半の先生たちの否決理由というのが、長髪は中学生らしくないとかいう、くだらないものでした。学校教師の偽善ぶりを目の当たりにしたので、今となっては政治教育のいい経験だったと思います。強制的同姓から転換して選択的別姓を認めることを頑なに反対する大きなお世話の連中とまるで同じで、世の中の「わからんちん」の存在を、身をもって先生たちが可視化してくれたのかもしれません。
その中学校の職員室の新聞雑誌配架台には雑誌『世界』があって、そのバックナンバーが図書室にありました。私が印象に残る『世界』連載記事は、なんといってもT・K生の『韓国からの通信』でした。他には、ソルジェニーツィンの『収容所群島』に親しみました。民主化運動を弾圧する軍事政権下の韓国や収容所での強制労働が行われていたスターリン主義下のソ連とは当然比較にはなりませんが、中学生の人権なんて権威主義国家の国民と同じく軽いものだったことは否めません。
ほかに中学校時代の教師の発言として記憶に残るのは、同僚に対する蔭口です。当時は学校対抗の男性教職員のソフトボール大会があって、たまにその練習がグラウンドであっていました。映画評論については抜群であってもおよそスポーツが得意ではない国語の園村昌弘先生(退職後の1985年『スポーツという女-二本木仲之町界隈』出版)がおられて、園村先生はまったく練習に出てこられませんでした。そのことを指して実家の小川町の寺で住職を務める社会科教師が「あいつは一度も出てこない」と、生徒にも聞こえるような批判をたたいたことがあって、いけ好かないやつだなと感じた思い出が残っています。政治家はもちろん学校教師とか宗教家とかいう肩書だけで人を判断するなということが学べたと今では考えています。
