2月3日放送のNHK「映像の世紀バタフライエフェクト」の「ラストエンペラー 溥儀 財宝と流転の人生」の回は、清朝最後の皇帝だった溥儀が紫禁城から持ち出した1200点以上の書画その他宝飾品を切り売りするなどして生き延びたエピソードを描いていて、たいへん興味深く視聴しました。現在は北京故宮博物院所蔵の御璽「乾隆帝三聯印」と絵画「清明上河図」や東京国立博物館所蔵の絵画「五馬図巻」も、溥儀がかつて持ち出した財宝なのだそうです。番組では流出した財宝の回収に中国政府は躍起になっている紹介していましたが、今も300点以上の書画財宝は所在が分からないそうです。
なお、歴代王朝の財宝の持ち出し数量においては、蒋介石の国民政府によるそれは溥儀の比ではなくかなり大規模です。家近亮子著『東アジア現代史』のp.256によれば、「国家は滅んで再興できるが、文物は一度失われたら永遠に元には戻らない」という理由から、日本軍の華北への介入が濃厚になっていった1931年から故宮博物院の宝物の疎開を計画し、1933年1月から南京、上海への移送を開始します。日中戦争開始後は四川省の峨眉山、巴県など国民政府下の奥地に移送し、様々な形で保管していました。1948年9月、上海から台北への移送が開始され、1949年半ばまでに断続的に行われました。故宮の宝物は蒋介石にとって正統政府のシンボルそのものでした。移送計画当初の目的は日中戦争の戦禍から文物を守る点にありましたが、戦後の1960年代から1970年代に中華人民共和国で起きた文化大革命における文物の組織的破壊からも保護された側面もあります。
故宮の宝物は正統政府のシンボルそのものという考えは、溥儀が流出させた財宝の回収に躍起である今日の北京政府にも共通するものがあると感じます。
https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/N1JP3YW9NR/