『日本史の現在1考古』読書メモ

このところ歴史学関連の書籍を手に取ることが多いのですが、それはかつて学んだ内容(といっても大学入試のときは受験科目として選択しなかったので10代のころはあまり学習していません)から変化しているため、新しい知識を得る楽しみがあるからです。設楽博己編『日本史の現在1考古』(山川出版社、3300円+税、2024年)を読むと、世界史的位置づけでは新石器時代にあたる縄文時代と弥生時代の区分について学ぶ内容が、現在の高校生以下と大学生以上においてでさえ異なることが分かります(その時代は、文字がありませんから文献はありません。日本の土壌は酸性なので、縄文時代以前の人骨は残りにくいとされます。貝塚から人骨が発掘できるのは、貝殻がアルカリ性であるためです)。しかし、現在の考古学では自然科学の手法を用いた分析が可能なので、それによって従来考えられてきた区分よりは遡らせる必要が生じてきました。具体的には、最新の高校日本史の教科書では、縄文時代に始まりは1万6500年前、弥生時代の始まりは約2800年前と書かれているそうです。ただし、縄文時代が日本列島内できっかり約2800年前に終わりを迎えたわけではありません。朝鮮半島や大陸に系譜を持つ稲作農耕を例にとると、その始まりは北部九州から始まったわけで、東日本まで反映されるには数世代、数百年の移行期があります。つまり、地域差があります。指導者やエリートが登場し、武器型青銅器や銅鐸が広まるのは弥生時代中期、鏡や鉄製品、金属製の腕輪が広まるのは後期とされます。もちろんそれらをもたらしたのは中国という先進世界があり、そことの交流があったからです。言うなれば最初の国際秩序は中国が主導していました。
時代が下って古墳時代になると、倭が朝鮮半島南部の鉄資源を確保するために、加耶と密接な関係がありました。おおむね5世紀ころ、倭は百済や加耶からさまざまな技術を学び、多くの渡来人が海を渡って、多様な技術や文化を日本列島に伝えました。乗馬の風習も朝鮮半島から学んだもので、日本列島の古墳に馬具が副葬されようになったのも5世紀になってからです。より進んだ鉄器・須恵器の生産、機織り・金属工芸・土木などの諸技術、漢字の使用や水筒・外交文書の作成、6世紀以降の儒教や仏教の伝来など、渡来人の役割は大きいものがあります。実際、山川出版社発行の高校の日本史教科書には、「日本列島の中での人々の歩み」は、「様々な地域との交流の中で、その影響を受けつつ展開してきたもの」であり、「日本史を学ぶ場合、いつの時代についても、周辺の国々をはじめとする各地域の歴史や、日本と諸外国との関係に目を向けていく必要がある」(p.161)と本書で紹介している点は、重要な箇所だと捉えました。
このように、日本史一つとっても、学ぶ内容は研究の進展で変化しているので、実は年配者ほど学び直しが必要ですし、地理による時代進行の差や、逆に国境や国籍によらないボーダーレスな人的流れに対する視座が重要だと考えます。つい1世紀前の1930年代を振り返ると、記紀神話を前提とした皇国史観が日本の歴史学界の主流でした。そのことをもってしてもいかに歴史学は日々発展してきたのかが分かりますし、学習の成果がなくエセ歴史に嵌ったまま大人になった皇国史観国民が多数現存している知の貧困状況があります。もしも政治に携わる者が、こうした国民の後進性を憂いていないとすれば、それは騙しやすく管理しやすい対象として国民をバカにしているのか、本人自体がバカかのどちらかになるかと考えています。