『象徴天皇の実像』読書メモ

原武史著の『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』(岩波新書、960円+税、2024年)を昨日購入して翌日すぐに読了しました。それだけ読みやすくまるでサスペンス小説のように先を知りたくなる題材だったからなのだろうと思います。意外にも原武史さんの著書を手に取ったのは今回が初めてです。ですが、放送大学のラジオ放送で「日本政治思想史」を講義されていたことで、語り口や同世代の時代体験に以前から親しみを感じていましたし、毎週土曜日の朝日新聞に連載されている「歴史のダイヤグラム」で披露される豊富な鉄道の知識にいつもワクワクさせられる楽しさを覚えていました。
さて、本書は、タイトルの通り昭和天皇という人物の考えやふるまいなどを、その発言記録から明らかにしています。国民が抱くイメージは、とにかく歴史に翻弄された人物であり、本音がまったく不明、生身さが感じられないというものではなかったかと思います。国民の前に感情をむき出しにされることはありませんでした。私が生の昭和天皇を初めて見たのは、高校1年生のときに青森県で開催された国民体育大会での開会式でした。その翌年の長野県での国体開会式でも目にするのですが、とにかく著名人を見たということと、訥々とした口調のお言葉を聴いたというだけで、地方の高校生からすれば感動というより物珍しい体験をした思いで終わっています。ちなみに、天皇が戦後地方巡幸する出席行事としては、この国民体育大会(現・国民スポーツ大会)や植樹祭(現・全国植樹祭)がありますが、戦前は陸軍特別大演習がそれにあたりました。ただ、この大演習がいずれも三重県で予定されていた1923年と1937年は、それぞれ関東大震災と日中戦争とが原因で中止となっています。昭和天皇は、平和の神であるアマテラスを皇大神宮が伊勢に鎮座しているのに、そこで戦勝を願ったので神罰が下った旨の考えを後年述べています。
ところが、本書では、側近が話し相手ということもあって、昭和天皇は周囲の人物評から政治や社会情勢、歴史、宗教と幅広く饒舌に語っています。とりわけ、母親や弟たちとの関係は概してよくなく、側近に批判や不満をしばしば漏らしています。宮中祭祀に際しては、「血のケガレ」が今でも存在して、生理中の女性職員は祭祀に出られないそうです。これは皇后についても同様で、そのために皇后の極めてプライベートな情報が天皇と側近に共有されていたという情報には驚きました。現在の上皇后が皇太子妃の時期に精神的な不安があったのも、宮中祭祀に出られない日があることで、その情報が宮中で広く共有されることに悩んだためと見られます。このように女性にとっては、かなりストレスがかかる環境です。
一方、昭和天皇自身は、三笠宮のように公言はしませんでしたが、神武天皇は史実に反するし、歴代天皇の式年祭も史実に基づいたものではないと考えていたことが、史料からはうかがえます。なお、昭和天皇が考えてもいないことを公表しているのが、自民党という政党で、2024年4月26日の「安定的な皇位継承の在り方に関する所見」には、「神武天皇以来、今上陛下までの126代にわたり、歴代の皇位は一度の例外もなく男系で継承されており」というくだりがあるそうです。ちなみに1926年10月21日の詔書で南朝の長慶天皇が正式に第98代天皇としてカウントされたので、それまで大正は第122代とされていたものが第123代に繰り下がりました。関連して付け加えると、天皇家が北朝の系統であるにもかかわらず南朝が正統とされたのは、南朝が皇位の象徴である三種の神器を所持していたからだそうです。明治から戦前まで、1泊以上の行幸では天皇とともに剣爾を動かす剣爾動座が行われていたそうです。お召列車の中で天皇が乗る御料車に持ち込まれていました。1974年に天皇が伊勢神宮を参拝したときに剣爾動座が復活したとも書かれていました。
あと、政治家・学者に対する評価や共産党やソ連への警戒感、再軍備志向、憲法に対する理解度、宗教観など、興味深い情報が豊富に載っていて、どれも初めて知ることばかりでした。これ以上はあまりにもネタバレで長くなって著者に申し訳ないので控えますが、これほど新しい発見がある史料はないということは伝わったかと思います。