強制的夫婦同姓は「百端の紛雑」だ

共同通信が「選択的夫婦別姓」について全国の自治体首長に尋ねたアンケート集計結果に基づく、熊本県知事と県内市町村長の回答の一部が、けさの地元紙紙面に掲載されていました。しかし、残念なことにすべての首長個別の回答内容について紙面から知ることはできません。電子版会員のみスマホで紙面にあるQRコードで読み出すことによってしか知ることができないようになっていました。わずか46人分の図表なら10cm四方に満たないスペースで表示できそうなものです。反対の首長への忖度なのか、読者にたいへん不親切な報道だとまず感じました。
私自身の考えは、選択的夫婦別姓の実現には賛成です。現行の強制的夫婦同姓制度を採用している国・地域は、法務省が把握する限りにおいても世界で日本だけです。しかも、その夫婦同姓は明治民法の成立によって始まったもので、日本古来の伝統ではまったくありません。そもそも苗字強制となったのも1875年(明治8年)に陸軍省が兵籍登録を確実にするため、すべての人民に苗字を使用させることを建議したからです。しかし、ただちに夫婦同姓となったわけではありません。明治憲法や皇室典範、教育勅語などの起草の主軸を担った、熊本出身の法制官僚・井上毅は、明治民法成立前の戸籍法制定に向けた意見書案(1878年)において、「戸籍は一戸一籍とするを必とす、姓氏は必しも一戸一姓ならざるべし。……即ち数姓にして一家に過活するは世間常に有るの事なり」と述べ、戸籍法によって戸内の氏姓を統一しようとするのは社会における氏姓の慣習に適合せず、むしろ「百端の紛雑」を来たすものと理解していました。繰り返しになりますが、夫婦同姓の原則が法文化されるのは明治国家時代の民法の成立によってです。1890年制定の旧民法を経て、1898年制定の明治民法で、一家一氏の原則、一人一氏主義の原則となりました。家の標識として一つの氏の方が国として管理しやすいといった便宜主義から始まった側面もあります。それが戦後の家制度の廃止から氏(姓)の選択の自由だけが取り残された形となっています。
このたびの共同通信による全国首長アンケートによると、「選択的夫婦別姓」に反対は「どちらかといえば」を含めて17%となっており、理由は「家族の一体感を損なう」が最も多かったとあります。ですが、19世紀末の明治民法成立以前の日本では、夫婦同姓ではなかったので、それまでの家族は一体感が損なわれていたのでしょうか。それでよく日本人が古から存続できたことに考えが及ばないのでしょうか。歴史的な根拠もないのに反対するとか賛否を表明できない首長の知的レベルは、この際、大いに疑ってみるべきだと思います。
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