アジア太平洋戦争期の1944年11月から1945年8月にかけて5度にわたる空襲に遭った大牟田市では、これを「大牟田空襲」(※)と呼び、その記録を伝える活動が続けられています。たとえば、大牟田市立三池カルタ・歴史資料館では毎年「平和展」が開催されています。今回の「平和展2024 兵士たちの記憶 戦場からのメッセージ」では、戦地において実際に兵士が使用した武器や装備品、生活道具などが展示されていました。展示品の大半は、荒尾市の戦時資料収集家の松山強氏から借りた品々ということでした。松山氏の所蔵品については、玉名市立歴史博物館こころピアのエントランスホールで開催されている「夏の平和展2024 子どもたちが見た戦争」でも観覧する機会がありました。
※大牟田空襲
①1944年11月21日 B29、7機が爆撃。死者31人。
②1945年6月18日 B29、116機が爆撃。死者260人。
③1945年7月27日 B29、124機が爆撃。死者602人。
④1945年8月7日 B24、23機、P47、18機が爆撃。死者240人。
⑤1945年8月8日 B29、1機が爆撃。死傷者8人。
大牟田市立三池カルタ・歴史資料館については昨夏、やはり平和展開催中の時期に行きましたので、今回が2回目になります。展示品が異なれば当然知り得ることもより広くより深くなります。展示品の中に海軍の水兵帽のペンネント(ハチマキ状に帽子に巻く前章リボン)があったのですが、それに刺繍される文字が1942年10月30日の改正を境に統一されたことを初めて知りました。それまでは艦船名が入っていたのが、改正以降は防諜のため、「大日本帝國海軍」(ただし文字の並びは右から左)に統一されたそうです。いつかその改正日をまたいで水兵が登場する映画や再現ドラマを見たら、ペンネントの表記をぜひチェックしてみたいと思います。
ところで、大牟田における戦争の記録・記憶を伝える活動は、平和展にだけにはもちろん留まりません。JR大牟田駅前に「おおむた観光案内所(大牟田観光プラザ)」があるのですが、そこではこの三池地方をエリアとする地方紙「有明新報」を読むことができます。同紙を読んでみると、大牟田空襲や戦争遺構関連の記事などが載っていました。
この「有明新報」は徹底してローカルネタだけを網羅する紙面構成となっていて、なかでも「こちら110番」のコーナーは地元警察署に寄せられた通報と出動対応記録が載っている特異な紙面でした。初めて目を通した新聞でしたが、6~8面立ての小規模な日刊紙ながらたいへん存在感あるおもしろいメディアだと思いました。大牟田市立三池カルタ・歴史資料館の新マスコットの名前が「カルタン王子」というのも同紙を見たから知り得たことです。
なお、案内所では土産物も販売されています。どうしても買いたいというものはありませんでしたが、「石炭クッキー」や「せきたん飴」などは、やはり印象に残りました。