『「戦前」の正体』読書メモ

神話に支えられた明治維新から戦前までの近代日本の国民的ナラティブを一望し理解できる著作として、辻田真佐憲氏による『「戦前」の正体』(講談社現代新書、980円+税、2023年)は、たいへん読みやすく、広く教養書として手に取ってほしいと思っています。著者の辻田氏の名前は、私の地元・熊本県の熊本日日新聞の読者であれば、月1回「くまにち論壇」欄に登場しているので、見知った方も多いのではないでしょうか。年齢的にも30代でありながら近現代史研究者として熊本にかかわりのある人物の足跡を深く掘り下げていて、いつも「お主デキるな」と、その切れ味ある論考に魅了されていました。
本書のp.268には「明治の指導者たちは、神話を一種のネタとわきまえたうえで、迅速な近代化・国民化を達成するために、あえてそれを国家の基礎に据えて、国民的動員の装置として機能させようとした。その試みはみごとに成功して、日本は幾多の戦争に勝ち抜き、列強に伍するにいたった。しかるに昭和に入り、世界恐慌やマルクス主義に向き合うなかで、神話というネタはいつの間にかベタになり、天皇や指導者たちの言動まで拘束することになってしまった。」とあります。その明治の指導者として共に熊本出身であり、やはり共に教育勅語の起草に携わった井上毅と元田永孚がいます。本書ではp.98-100で今も熊本県内の主要な神社には教育勅語の記念碑が建てられており、教育勅語に熱心な熊本県としての紹介記述もあります。井上や元田はたいへん実直な人物でありその人間性には好印象を持っていますが、後年、ネタがベタとなる利用のされ方をしてしまった点は、起草当時の両人らにとっては思いもよらないことで、今も熊本県内で続けられている顕彰をどう思っただろうと気になります。
最近、戦時下の子どもたちの周囲に存在した資料展示を観る機会があったのですが、神話国家を支えたのは「上からの統制」だけでなく「下からの参加」もあり、そのことを資料から強く感じました。本書p.284では時局に便乗して軍歌を多数世に出したレコード産業を例にとり、プロパガンダをしたい当局と、時局で儲けたい企業と、戦争の熱狂を楽しみたい消費者という3者にとってWIN・WIN・WINな利益共同体の存在を指摘しています。なお、本書の出版元の講談社の前身も子ども向けに国威発揚の教育雑誌を盛んに刊行し儲けていました。
けっきょく日本神話に登場する伝説をネタとして知ること自体は一つの教養と言えるかもしれません。しかし、南九州に金属器が存在しない時代に鏡や剣の鋳造、造船(木の切り出しを伴う)をなし得ることはできません。渡来系弥生人が伝える前の時期に稲穂が登場するのも辻褄が合いません。神話を史実だとベタに信じ込んでいる人がいたら、はなはだ失礼ながら無教養人だと言わざるをえません。
今後ルーツが異なる人々との共生が必然になる中で、どのような統合の物語が必要なのか、戦前の有り様から学ぶことは多いと思います。