山僧活計茶三畝 漁夫生涯竹一竿

高校生たちの科学研究に協力している漁協の事務所に写真の扁額が掛かっているのを見つけて意味を調べてみました。
そうすると、禅林句集が元ネタのようです。下記の通り上下一対の句となっています。
山僧活計茶三畝 漁夫生涯竹一竿
物欲に超然として清貧簡素な生活に甘んじ、悠々と自適する禅者・真の風流人の境涯を、山僧と漁夫とに託して頌じたものであり、わびの真境をよく詠じた句とされます。
その大意は、「托鉢で得た財物で正常な毎日をすごす山僧には、これといった財産もないし、またいりもしない。財産といえばわずかに、庵前の三畝歩ほどの茶畑にすぎない。漁夫もまた同様でただ一本の釣り竿でのどかに暮しをたてている。それは一見まことに貧しく不風流にみえるが、心豊かな彼らはけっこう『風流ならざるとこ処、また風流』と、その自由な境涯を楽しみ味わっている。」というようなこと、と西宮市立中央図書館のレファレンス事例にありました。
扁額を書かれたのは、半世紀以上も前に当時文部大臣だった国会議員の方ですが、いまどきの裏金議員連中には到底思いも付かない言葉だなとしみじみ思いました。