けさの熊本日日新聞1面では、水俣病患者団体との懇談に臨んだ中で熊本県知事が見せた、救済に対する消極姿勢について報じていました。一方、本日夕方のNHK熊本放送局のニュース番組では、被害を訴えて環境大臣や知事との懇談に参加した女性のことを取り上げていました。この女性は、不知火海(八代海)沿岸地域出身の62歳の方です。診察した医師からは胎児性水俣病の疑いが濃厚と言われたそうです。この方の亡き母親は鮮魚商を営んでいたこともあり、チッソがメチル水銀を含む排水を流していた頃、不知火海で獲れた魚を食べる生活を送っていました。この女性は患者認定申請を行いましたが、熊本県は因果関係を認めず救済されないままとなっています。
今から64年前の1958年9月、チッソはメチル水銀を含む工場廃水を水俣川河口に流すように変更しました。これが汚染地域を拡大する悪因となりました。翌1959年12月に浄化装置を取り付けるのですが、その装置のメチル水銀化合物の除去効果は不完全であり、1966年6月まで排水の海への排出が続きました。
汚染地域に居住し、汚染海域で獲れた魚を食べた母親から産まれた娘であり、自身もそうした魚を食べて育ったので、因果関係があるのは明白なのですが、国や県はとにかく被害者を患者と認めたくない、患者数を増やして補償をしたくないという姿勢を崩しません。これほど人権を蹂躙した不正義はありません。
