『なぜ難民を受け入れるのか』読後メモ

橋本直子著の『なぜ難民を受け入れるのか――人道と国益の交差点』(岩波新書、1120円+税、2024年)は、著者が国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)での実務経験を有することもあって、難民受け入れに際して表からは見えない世界各国の論理と戦略にかかわる有益な情報が得られた良書でした。まず難民の受け入れ方式が、「待ち受け方式」と「連れて来る方式」の2つに大別されます。前者は受入国まで自力でたどり着いた難民(本国ではエリートが多い)が庇護申請を行い、受け入れ国の政府が受動的に審査したうえで、何らかの在留資格を与える方法です。後者は他国にいる難民を、受け入れ国側が選んで能動的・積極的に連れて来て、何らかの在留資格を与える方法です。後者の具体例としては、第三国定住やウクライナ避難民のような本国からの直接退避があります。
特に日本の場合、国の規模と比較しても、第三国定住難民の受け入れが少なく、国際的に批判されていることをもっと知る必要があります。量質ともに拡充することが人道的にも国益的にもメリットが高く、日本よりもはるかに人口が少ない北欧諸国が脆弱な立場に置かれた多くの難民を受け入れて定住政策を成功させている実績に学ぶべきです。
本国からの直接退避の例としては、2021年8月のアフガニスタンのタリバン制圧に伴うアフガニスタン人現地職員の退避があります。しかし、その退避要件の厳格さ(通常の短期滞在査証発給要件よりもハードルの高い条件をわざわざ新規に創り出して要求)は非人道的な理不尽なものであり、来日後も難民申請阻止や帰国強要を疑われる行為があったと、著者は憤怒の念をもって日本政府の仕打ちを批判しています。そのこともあって本書の印税は著者の知人が身元保証人となって日本になんとか退避させたアフガニスタン人難民一家の女児2名の教育資金に充てると明らかにされていました。
印象に残った言葉として「生まれの偶然性」というものがありました。これは著者が学んだオックスフォード大学難民研究所の講師陣が繰り返し言及した概念だそうです。それを受けてp.254-255には次のように記されています。「たまたま日本に生まれ、もし日本が「いい国」だと思っていらっしゃる方がいるとしたら、日本がいい国であるということを、たまたま「悪い国」に生まれた方々と分け合っていただけないでしょうか。それがまさに難民条約の前文に謳う、難民保護を世界の国々が協力して責任分担するということです」。
さらに、日本の入管法第61条の2の9第4項第2号(2023年6月成立のノン・ルフールマン原則の例外規定)は、入管庁の幅広い裁量によって難民申請中の送還停止効を解除できる条文となっており、難民条約違反と言わざるを得ないと指摘しています。実際の条文では、在留資格が無い難民認定申請者はほぼ誰でも、(改正案審議中に問題視された)3回目どころか1回目の申請中でも送還の対象となり得る文言となっています。これは、難民認定制度において可及的速やかに改訂されるべき問題です。この改訂がなければ、日本が人権や人道に後ろ向きであるイメージを拡散し続けることになり、国益に反します。
他にも知ることができて重要な情報として、難民審査参与員制度の問題点がありました。この制度は2005年に30名程度で発足し、2023年末時点で110名程度いるそうですが、参与員の意見には法的拘束力が無く、参与員(著者自身も2021年から参与員の1人)の専門性に大きな差があり、組織が法務省から独立していない、とのことでした。この点は日本には行政から完全に独立した第三者機関である国内人権委員会が存在しない状態と併せて後進性を示すものであり、国際的に不名誉であることを国民は知った方がいいと思います。
最後にUNHCRの「難民認定基準ハンドブック」に記された有名なフレーズを本書が示していたので引用します。「認定の故に難民となるのでなく、難民であるが故に難民と認定されるのである」。
なんだかんだ言って自国第一主義のポピュリストやレイシストのみなさんほど国益を損なっている可哀そうな○○はいないなと考える次第です。