どちらの記憶が信じられるか

6月13日の熊本日日新聞文化面に宇城市小川町出身で現在は神奈川県藤沢市在住の俳人・長谷川櫂さんのエッセー「故郷の肖像② 第1章 海の国の物語」が掲載されていました。熊本県の北を阿蘇山の地下水が潤す「泉の国」阿蘇国、南は九州山地をえぐるように海を取り巻く「海の国」不知火国と、風土や地名由来からユニークな見方を示していました。
ですが、私がもっとも印象深かったのは、文章の結びに読まれた句の中に織り込まれている「海ほほづき」(ある種の巻貝の卵嚢だそうです)を子ども時代の長谷川氏へくれた、行商人についての思い出の部分です。「子どものころ、松合から行商のおばさんがバスを乗り継いで小川町まで魚を売りに来ていた。」とありましたから、1954年生まれの長谷川氏にとっては60年ほど前の話なのだろうと思います。松合というのは、不知火海沿岸部の北端にある地域です。その当時の不知火海沿岸部の南端に近い水俣では、チッソがメチル水銀を海へ垂れ流していました。この時代、漁民ではない普通の生活者が食卓に出す魚を行商人から買うことは、ごくありふれた行為だったことが、長谷川氏の記憶からうかがえます。
そこで思い出すのが、水俣病特措法の救済から漏れた被害者たちの存在です。不知火海沿岸部から離れた山間部地域で暮らす人たちのなかにもメチル水銀曝露による症状が多数見られました。この方々は、水俣・芦北地域からやって来る行商人から魚を買い求めていたのです。しかし、60年前の行商人からの魚購入の領収証がないことを理由に、熊本県は山間部地域の申請者を被害者だと認めませんでした。魚の行商に限らず一般個人の現金取引において領収証を発行する商習慣自体が60年前はなかったと思います。それより確実に残っているのは、長谷川氏のように子どもの記憶であり、その証明力が高いと思います。さらに言えば、水俣の魚の行商人の子にあたる人でさえ被害者として認められていない例があると聞きます。行商人の家庭内で商品である魚を自家消費することは十分ありえますし、自家消費であればなおさら領収証を出すということは、某政党国会議員たちによる自己の政治団体への政治資金付け替えでもない限りありえません。シンプルに考えて、魚の行商人の子どもの記憶が確かであり、証明力が高いと思います。
以上のことを考えていたところに、昨日(6月14日)の熊本日日新聞において、わが熊本県知事が講演を行った記事が載っており、その中の「木村知事はTSMCの『誘致』に自身も関わった経緯に触れ、」というくだりを見つけて、「はて?」と思いました。『進出』には関わっているかもしれませんが、『誘致』に関わったとは、初耳だったからです。
記者の捉え方で『誘致』と書かれたのか、木村知事の発言で『誘致』という言葉が発せられたのか、今一つ不明ですが、仮に後者であれば、自らの手柄話として神話化を始めたことになり、その記憶の信頼性をちょっと疑いたくなります。
私の理解では、TSMCの『誘致』には経産省と東大が大きな役割を果たしており、熊本県はTSMCの『進出』が方向づけられた後から動き回っているに過ぎません。一般論として書きますが、ドサクサ紛れに他人の手柄を自分の手柄話にすり替えるような人物を私は信用していません。
参照記事 朝日新聞電子版2024年2月27日