歴史と紛争解決のダイヤグラム

日頃新聞を読んでいると歳を重ねてもいろんな情報に接します。たとえば、本日(5月19日)の熊本日日新聞1面コラム「新生面」では、クレイジーケンバンドの横山剣さんの母は熊本の八代出身であることを紹介していました。同日同紙6面「くまにち論壇」で辻田真佐憲さんが触れた、海上保安庁初代長官の大久保武雄についての記述も興味深いものでした。それによると、大久保は高浜虚子に師事した俳人としても知られ、自身の俳号である「橙青(とうせい)」は、海上保安協会主催の俳句コンテストの大賞の名称の一つになっているとのことでした。昨日(5月18日)の朝日新聞別刷「be」4面掲載の原武史さんの「歴史のダイヤグラム」欄では、1945年1月26日、京都の仁和寺に隣接する陽明文庫での高松宮と近衞文麿の密談について記してありました。その密談内容とは、戦争終結をめぐり連合国が天皇の責任追及を回避するための近衞の腹案だったと言います。万一の時は天皇に退位出家を願い仁和寺に迎え入れて「裕仁法皇(ゆうじんほうおう)」とする了解を、高松宮に求めるものでした。これが実現されていれば、天皇制のあり方もかなり現代とは異なったものになっていただろうと容易に思えます。以上のような一つひとつの情報は、まさしく小ネタにそのものですが、歴史を振り返ると当事者の行動や当事者が属する組織風土に影響することが見てとれて、さまざまな事象を考察する際には疎かにできません。ネット情報では接することが困難な情報が紙媒体にはあるように思います。
それと情報源がネット頼みになると、お勧められやすい断片的な情報ばかりになり、自分の文化習俗風土と異なる情報から遠くなり、単純に好き嫌いや美醜で判断しがちになり、偏ってしまう危惧があります。たとえば、国内でふだんイスラム教徒の人と接する機会をもつ人は少ないと思いますが、イスラム教徒の女性に男性が握手を求めることは無礼になりますし、他人が頭に触れてはなりません(相手が子どもでも)。犬に身体を舐められることも忌避されます。もしも舐められたらその箇所を7回洗わなければならないとされます。断食の時期の日中はお茶を飲むよう勧めてもいけません。こうしたことは当事者から学ぶのが早道だと思います。
ただし、ある分野の体系的な知識を得たいのなら、やはり専門の書籍に接するか、その分野の教育なり研修なりを受けるべきだと思います。ここ1カ月ほどは、千葉惠美子・川上良・高原知明著『紛争類型から学ぶ応用民法Ⅱ債権総論・契約』(日本評論社、3000円+税、2023年)に取り組んでいました。正直なところ同書で取り上げられているような契約違反の紛争に巻き込まれたくはありませんが、仮にそうした事態になったときに、どのような手段(請求権)を講じたら少しでも救済(被害回復)されるのかを知識として身につけておくことは重要です。特に2017年の債権関係の民法改正部分については判例がなく解釈論が固まっていないので、実務経験豊かな専門家の執筆による本書は大きな助けとなります。履行請求権、債務不履行を原因とする損害賠償請求権、契約の解除、契約不適合責任、債権譲渡、相殺・弁済、定型約款、不法行為を原因とする損害賠償請求権、不当利得返還請求権など、争点の字面を見ただけではなんともとっつきにくいですが、紛争を引き起こした連中を思い浮かべて、これで攻め立てようなどと考えると、けっこうおもしろくもあり、理解が進むように思います。だからといって私も弁護士並みになろうとは、考えません。仮に紛争に巻き込まれたらその紛争類型の救済に強い弁護士を見つけて依頼するのに限ります。そのために弁護士職があるのであり、マジメにやればあれほどストレスがかかる仕事を自分で担いたいとは思いません。
最後に歴史家と法律家との間に共通点があるとすれば、「ダイヤグラム」についての捉え方のような気がします。上記書のP.163-164に以下のような記載があったので紹介します。「民事裁判手続きは、原告がそのように主張するのであれば被告はこのような反論をする、被告がそう反論するのであれば原告はその反論と自らの主張を補強するという当事者の対話の中で審理が進んでいく動的なものである。実際の民事裁判手続では、最初からブロック・ダイヤグラムのような精緻に整理された主張がなされているわけではなく、当事者の主張のぶつかり合いと出し入れというダイナミックな展開中で争点が形成されていく。ブロック・ダイヤグラムは、弁護士からすれば、当事者の主張・立証が出尽くした口頭弁論終結時点での総括である。証拠関係に照らして、複数存在しうる選択肢中から、自己に有利な結果を導くブロック・ダイヤグラムを如何に作成するかという動的な側面があることを忘れてはならない。」。