地元校区の小学校・中学校の入学式に5年ぶりに参加しました。公立の義務教育学校だけにさまざまな家庭環境に育った子どもたちが学ぶこととなります。将来どのような大人に成長するのか、はたしてその頃の社会はどのような姿になっているのか。見守る側の世代の人間としては、いろいろ複雑な心境で式を迎えました。
それぞれの学校長が新入生に贈った言葉を紹介してみます。まず、小学校では、3つの守ってほしいお願いの話がありました。「1.命を大切にする」「2.仲良くする」「3.あいさつをする」ということでした。次に、中学校では、「自分で考えて自分で決めて自分で行動する」という呼びかけでした。現在、この中学校では、校則も生徒たちが決めていると紹介がありました。実は、私はこの中学校の卒業生(しかも生徒会長のなれの果てでもある)なのですが、在学時に校則改正を生徒で決議しても職員会議で否決(まるで機能不全の国連安保理みたいなもの)されて、あまりいい思い出がなかったものですから、隔世の感に驚きました。ただし、LGBTQの生徒にも配慮した標準服がせっかく今年決まったのに、導入が新1年生に間に合わなかったのは残念に感じました。
あと、それぞれの式の番外編の話題として2つ記しておきます。小学校では、元相棒に違法賭博の賭け金を盗まれたプロ野球選手から全国の小学校に6万個進呈されたうちのグローブ3個を見ることができました。大量発注によって単価1.1万円として推定コストが、6億6000万円ですから、彼はこの代金と誤解して口座からカネが減っても気付かなかったのではないかというのは、まったくのシロウト推理です、はい…。中学校の会場は市の体育館であり、その敷地入口付近には戦没者慰霊塔があるので、改めてその碑文を確認してみました。気になったのは「英霊」の部分。靖国神社に祀られた戦没者を指す用語であり、この慰霊塔で慰霊の対象となっているのは、軍人・軍属のみとなっています。たとえば、アジア太平洋戦争末期の1945年8月10日、米軍機の空襲により現在の宇土市内では300超の家屋が全半焼し、多数の死傷者が出ましたが、こうした民間人の死者の存在は忘れられて慰霊されることもありません。子どもたちには、「集団浅慮」(心理学者のアーヴィング・ジャスニスが作った用語。協調を重んじ、論争や異議を抑制し、結果的に融通が利かない間違った信念に至ってしまう組織文化。誤認識が改善されず、議論の結果が極端になる)のワナに嵌らず、学校の内外で学んでほしいと思います。
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