昨日(3月5日)と本日(3月6日)の朝日新聞紙面に、国語力について参考になる記事があり、印象に残りました。
まず昨日の方は、私より少し若い方だと知ってその驚きもありましたが、TVでもロシア問題の解説で顔を見る機会が多い、駒木明義論説委員が「新聞記者の文章術」欄で書かれた記事です。そこでは、「自分が書いている文章がわかりやすいかどうか自信が持てないときに、時々私が試してみることがある。それは、外国語に移してみるという方法だ。」とありました。確かにネット上の自動翻訳を利用してみると、原文の言わんとするところが不明瞭であれば、変てこな訳文しか返ってきません。このように、自分の国語力の検証方法として有益だと感じた経験が、私にもあります。加えて、大学時代の所属ゼミの教授も同じようなことを言われていた覚えがあります。その教授は、日本語訳本で意味が通らない箇所を原書で当たってみると、だいたい原文そのものに問題があるものだと、言われていました。言いたいことが多すぎて一文が長すぎると、結局何を伝えたいのかわかりませんし、トランプ流に短く断言しすぎても、前提や周辺の情報が伴っていないと、単なる遠吠え的な発言に終わってしまうかもしれません。トランプの言葉は単純で平易であり、その言葉を信奉者らと共に口にさせることで、一体感に酔わせるだけが目的のように思います。バイデンではなく、あえてオバマを例に取り上げると、彼の言葉は含蓄に富み論理的ですが、あまり理知的ではない国民が大勢を占める社会では通じないのかもしれません。
次いで本日の記事の方ですが、内田伸子お茶の水女子大学名誉教授に聞いた、シリーズ「早期教育へのギモン」の5回目の見出しには「英語読解 日本語の読み書きが土台」とありました。「早く英語に取りかかればいいというのは誤解だと考えています。カナダ・トロント大の言語心理学者らがかつて、日本からカナダに移住した子どもを10年間、追跡調査したことがあります。」として、「学業成績が一番高かったのは中学から行った子どもたちでした。」と紹介していました。つまり、国語力が「考える力」の土台というわけです。
どの言語であれ、自分の国語力を公開する行為というのは、自分の「考える力」の度合いを晒しているのと等しいということになりますから、SNS投稿もリスクがあるかもしれません。かといって国語力に自信がないからと、むやみに写真や動画をアップすると他人の権利を侵害することもありえますから、とにかく用心することです。
写真はワシントンD.C.のホワイトハウス。2000年5月撮影。