本と美術の楽しみ

どのような社会づくりを私たちは目指すのか。それには技術発展の基礎となる理工系の学問は重要ですが、それとともに新しい価値を作り出す人文・社会科学系の学問も重要です。異文化が交錯するところ、多様な文化的背景をもつ人や土地との出会いから視野が広がり、さまざまな価値に気づくことがあります。その手っ取り早い方法は、旅行であるとか留学などがそうです。時間や金銭的制約を考慮すると、本や美術に接するのもいいと思います。食事は人が生きるために必要不可欠ですが、私にとっては読書や美術鑑賞もアタマのための食事です。つまり本や美術は食べ物です。
そんなこともあって他人がどんな食事をしているかよりも、どんな本を読んでいるのか、どんな美術作品に接しているのかという方に興味が湧きます。だいたいそれでその人となりが知れます。
昨日のBSフジの番組で、中国・南京出身のエコノミスト、柯隆さんが、都内にリベラルな中国関連書籍を扱う書店があって、中国出身の知識人が日本に呼び寄せられる要因になっているというようなことを言っていました。これまでそうした書店はロンドンやニューヨークにはありましたが、東京にも新しい華人ネットワークが形成されることは、むしろ望ましいことだと思います。
一方、ついこの前まで副知事を務めていた方の10代の頃の読書遍歴の記述を目にしたのですが、野村克也の『裏読み』と川北隆雄の『大蔵省』を挙げていて、ちょっとどうかなと思いました。対戦相手を出し抜く技量や財政を握って権勢(県政?)を振るうことへ憧れを感じて官僚を目指されたように感じました。
ちなみに私の10代の頃の読書遍歴で印象が強い作品としては、ソルジェニーツィンの『収容所群島』であるとか、五味川純平の『戦争と人間』あたりでしょうか。お互いヒネたガキだった点では似ているともいえますかね。
写真はロンドンのウィンストン・チャーチル像。1993年12月撮影。