これほど相応しい仕事はない

愛子内親王が学習院大学卒業後の2024年4月より日本赤十字社に就職することが昨日報じられました。これほど相応しい仕事はないと思います。たいへん気の早い話ですが、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長を歴任された、現・日本赤十字社名誉社長の近衞忠煇氏のように、将来、国内外において社会の協調と平和の実現・維持に貢献できる役割を果たしていただけないかと期待しています。
東日本大震災翌年の12年前に学校法人学習院主催の公開講演が熊本県で開催されましたが、当初、講師の候補として学習院大学卒業生であり当時IFRC会長だった近衞忠煇氏から一旦内諾を得ました。しかし、その後、突発的な海外出張が多い要職にあることから、迷惑をかけてはならないと辞退されてしまいました。その頃の同氏の関心が強かったのは「原発事故を想定した国際支援への取り組み」でした。「国際赤十字としては政治的に中立を保ち、原発については賛否を示さない」とも発言していました(毎日新聞2011年12月10日)。ちなみに同氏の実兄である元首相の細川護熙氏は、同時期に『世界』(2012年1月号)に「政府は「脱原発」に舵をとれ」のタイトルで寄稿していました。
それで、近衞氏から講師内諾を得た直後の時期に、日本赤十字社熊本県支部へ挨拶のため訪ねたことがあります。その際応対してもらった同支部参事の梶山哲男氏から支部創立120周年記念事業として2010年に編集出版された『西南戦争と博愛社創設秘話』を贈られ、読む機会を得ました。それによると、西南戦争において小松宮彰仁親王殿下率いる官軍が、激しい戦闘のすえ熊本県北に残っていた敵軍の薩軍傷者の治療を借りた民家で始めており、それを引く継ぐ形で、佐野常民らが総督の有栖川宮熾仁親王殿下の許可を洋学校教師館(ジェーンズ邸)で得て、日赤の前身である博愛社を設立させたとあります。そのため、県北には複数箇所で救護の言い伝えや日赤発祥地標示(正念寺、玉名女子高=仮県庁跡地、徳成寺)があります。