いっそ四重構造ぐらいがいい

昨晩NHKBSで放送の「日本人とは何者なのか - フロンティア」は、最先端のDNA解析技術によって、今の日本人の祖先を考察する、興味ある番組でした。現存する人類であるホモ・サピエンスの源流はすべてアフリカにあり、その意味で現在どこの地域暮らしていようが、みな遠い遠い親戚です。最新の研究成果では古墳時代の日本人の骨からは、縄文人と弥生人に加えてそれとは異なるユーラシア大陸由来のDNAが6割程度ある、三重構造になっているそうです。従来は氷河期が終わって大陸と断絶した縄文人の時代のあと、稲作と金属器をもたらした渡来人との混血による弥生人との二重構造説だったのが、古墳時代に弥生時代の渡来人とは異なる人々との交流があったと考えられています。ちなみに縄文人特有のDNA構造を今の人たちで最も残しているのは、アイヌの人たちで7割、沖縄の人たちで3割、今の東京の人たちで1割なのだそうです。
ところで、巷では縄文ブームがあるらしく、縄文時代は争いもなく暮らしていたと、あたかもそれが日本人の伝統であるかのようにもてはやす向きがありますが、違和感を覚えます。縄文時代の人口密度は現在と比べようがないくらいに低く、外部との交流はないと考えられています。寿命も短く明日食べられるか非常に不安定な暮らしだったわけで、他の集団と出合い、争いになる機会がなかっただけだと思われます。文化あるいは文明の発達には外部との交流なくしてありえないわけで、縄文よりも弥生、弥生よりも古墳の時代という具合に時代が下るほどに技術が進化し食べていくことが安定化していったのではないかと思います。したがって、当然のことですが、現代においてもさまざまな人たちとの交流が進むことが、文化や文明をより発達させることにつながっていくはずです。
ともかく、○○人は何々という具合に固定観念で判断するのは無意味だと思います。言葉や身体的特徴は異なってもホモ・サピエンスに変わりはありません。そうした考え方は科学の発展に伴って生まれてきたことで、つい200年足らず前までの人たちはそうした思考を持ち合わせていませんでした。今読んでいるのが、木村草太著の『「差別」のしくみ』(朝日選書、1800円+税、2023年)なのですが、米国の建国当初の独立宣言や連邦憲法の文言をsy紹介していておもしろい指摘を見つけました。たとえば、1776年アメリカ独立宣言には、「全ての人は生まれながらにして平等である」として、1788年発効の連邦憲法でも「国民の身分の平等」を定めました。ですが、当時は奴隷制があり、米国へ連れてこられたアフリカ系の人たちならびにその子孫は、奴隷主の動産とされ、国民でも人間でもない存在とされていました。奴隷制廃止の連邦憲法の修正が成立するのは1865年になってからです。158年前の人権意識はその程度だったことに改めて驚きを覚えますし、今日の日本の政治家のなかにも人権侵犯の言動を行う愚か者がいるわけで、まだまだなのかもしれないとつくづく憂いを覚えます。
https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/XRL92XPWX2/