博物館訪問で得るもの

博物館・美術館といったミュージアム訪問が基本的に好きです。初めてのところはもちろんですが、何度か訪れたことがあるところでも、必ず新しい学びが得られます。先月、福岡県太宰府市にある九州国立博物館では古代メキシコの特別展を観てきました。マヤ、アステカ、テオティワカンといった3つの文明の各出土品の展示がありました。メキシコは中米に位置しますが、古代メキシコ文明を築いた人たちの祖先は、北米の先住民と同じく約4万年前にシベリアから渡ってきた狩猟民です。つまり、約4万年前はユーラシア大陸とアメリカ大陸は陸続きだったわけです。同じころ、現在の日本に最初に暮らした人たちもユーラシア大陸から渡ってきたと考えられています。その頃の日本列島にあたる地帯は「島」ではなくユーラシア大陸と陸続きだったからです。その説明が先日訪ねた佐賀県立名護屋城博物館の展示にありました。熊本県立運動公園一帯は、石の本遺跡といって最古のものでは3万7500年前の旧石器が出土していて国内でも最古の人が暮らした痕跡があります。メキシコと熊本とはずいぶん離れていますが、移動した時代を考えると、妙に親しみを覚えて不思議な感じになります。広島県立歴史博物館(福山市)では瀬戸内の海上交通についての展示が印象的ですが、そもそも瀬戸内が海になったのは6000年前ということも先月知ったことでした。そのように、今現在の陸地のありようではなく、氷河期の陸地で考えたらずいぶん世界も違って見えるのではないかなという気持ちになります。それでいうと、固有の領土・領海とか言ってもせいぜい200年足らず前のつい最近の話ということになって権力者の執着心が強すぎると無用の争いしか招かないものだと思います。
そして争いの中では、それに加担する者の武功アピールが必ずあります。佐賀県立名護屋城博物館の解説ペーパーでは、慶長の役(第2次朝鮮侵略)に従軍した医僧の慶念が、日本軍の殺戮の凄さを、『朝鮮日々記』として記していると紹介しています。それによると、戦功の証として戦闘には関係のない子どもの鼻切りまでもが横行し、たくさんの人たちが奴隷として日本に連行されたことも記されています。敵の首ではなく鼻を斬って持ち帰り戦功申告を行うということは、後年の島原の乱でもありました。そこでも多くの非戦闘員が犠牲となっています。12月13日の熊本日日新聞で、細川家の松井家文書にその記録があることを、熊本大永青文庫研究センター長の稲葉継陽氏が明らかにしていました。
400年後の現代においても世界各地で無益な殺戮が続いています。このような救いようのない愚かなことを行うのも人の業であり、これを繰り返さないために歴史を学び現実を変えていくしかありません。