自分で勉強すればいいんだよ

本日(12月15日)の熊本日日新聞に、渡辺京二さんの連載「小さきものの近代」の編集を担当した記者の手記が掲載されていました。その中で、生前の渡辺さんが「(自己の文章を読んで)分からなかったら、自分で勉強すればいいんだよ」と語っていたことが紹介されていました。手記の執筆者は、「分からないことにぶつかり、思考を促される文章こそが読み手を鍛えていくと言いたかったのだろう」と、捉え直していました。
状況をどう認識するかは、人によってさまざまですが、その違いはどう学び続けてきたかによって形成されていくものだと思います。直に渡辺京二さんのような知識人と出会う機会は限られていますから、多くは確かな著作や報道で学ぶしかありません。学び続けることで、たとえば読むに値する著作や報道かどうかという判断力も備わってくると思います。思考が鍛錬されることで、自分はどのように生きていきたいかも定まっていく気がします。
今、政界では裏金疑惑が取りざたされていますが、政治資金規正法を正しく理解していれば、収支の不記載を派閥から指示されたとしても、それは違法だと簡単に判別できるものなのですが、よほど日頃から考えることや調べるといったことをしない人たちの集まりなんだなあと、驚きました。法を犯すような人たちが法をつくる国会議員の仕事に就いてはなりません。即刻国会議員を差し控えていただきたいものです。
写真は佐世保駅の「貧乏が去る像」ですが、国会議事堂内の一つ空いている台座上には「不勉強が去る像」でも置いておく必要があります。