社会的グルーミング

ここ1週間ばかり所用で県外に出かけていてその間せわしなかったので、オックスフォード大学進化心理学名誉教授のロビン・ダンバー著の『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(白揚社、3000円+税、2023年)の読書は、行きがけの列車の中で読み進めたところで止まったままです。というわけで、読みかけの感想なのですが、タイトル通り宗教の起源の考察という側面もありますが、人間の脳と共同体の規模感とのかかわりの考察が面白く思えました。
第4章共同体と信者集団(p.119)で以下の通り要点がまとめられています。
1霊長類が結束の強い社会集団で生活するのは、外的脅威から身を守るためだ。
2特定の種の集団規模は、脳の大きさによって制限される(次いでその規模は、居住と採餌の環境が良好であるかぎり、その種が通常経験する脅威のレベルに順応している)。
3人間の自然な社会集団と個人の社会ネットワークにもこのパターンが当てはまる。
4人間の自然な共同体、個人の社会ネットワーク、そして教会の信者集団には、約150人というはっきりした上限が存在する。
5この上限は、構成員の帰属意識、ほかの構成員との個人的なつながり、集団所属による利益に対する満足度といった、集団規模が与える影響によって決まっていると考えられる。
1974年にデヴィッド・ワスデルが発表した「自己限定的教会」の研究というのがあって、英国内の1万超の教区を対象に毎週の日曜礼拝に出席する信者数は、地域の人口規模に関係なく、175人前後という結果が得られています。別の研究でも信者数はおよそ200人ではっきりと頭打ちになるそうです。信者が150人から250人の教会は安定を失いやすいという、「バスター(牧師)とプログラム(事業運営)の中間圏」を突きとめた研究もあります。それによると、50人までのファミリー・サイズの教会であれば指導者を持たない民主体制でも機能しますが、150人までのバスター・サイズになると誰かが指導者を務める必要があり2~3のサブグループを作ってそれぞれに精神的支柱のような存在も求められます。さらに350人までのプログラム・サイズになると牧師ひとりでは手に余り集団指導体制が求められます。これも1970年代のアラン・ウィッカーの研究ですが、構成員が約340人と約1600人の教会を比較すると、小さい教会の信者集団のほうが日曜礼拝への出席率や収入に対する寄付額が高いことが確認されています。
直接触れ合うグルーミングを行うサルと類人猿の場合、結束社会集団の大きさはおよそ50頭で頭打ちになりますが、ヒトは直接ふれることなくエンドルフィン分泌をうながす社会的グルーミングを獲得することで、より大きな社会集団を構成することが可能になりました。笑う、歌う、踊る、感情に訴える物語を語る、宴を開くなどがそうです。宗教儀式にはそれらの要素を含むことからトランス状態に通じるものがあります。
どうしたらヒトは満足感・高揚感を得られるのか、そのヒントは音楽やスポーツ、宗教にありますから、政治や企業経営がその手法を取り入れるのは自然の流れとも思えます。